鶏が先か卵が先か、いや捏造が全ての始まり。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





「夕刻の備忘録」 様のブログより。



水掛け論の後始末にしばしば持ち出される、「鶏が先か卵が先か?」という言葉がある。どちらが先とも決められない例を持ち出して、「引き分け」の裁定をしようということであろう。これを言われると論争が続かなくなる。あるいは、その裁定者のレベルの低さに呆れて、どちらか一方が論争から降りる。

鶏と卵はどちらが先か、は科学の領分であろう。決着の着かない堂々巡りの話ではないはずだ。鶏と卵の話の遙か前に、「宇宙創生」があるはずだから。宇宙の誕生が全ての始まりのはずである。「その前」は無いはずである。しかし、ほとんどの人がこの言葉「鶏・卵」によって思考停止してしまうのである。

本当にどちらが先か、分からない問題もあれば、逆もある。
単純な「鶏・卵」議論で思考停止されては困るのである。

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人気があるから、露出が増えたのだという。
露出が多いから、人気があるのだという。

実際は、ほとんどの人が興味も関心も無く、その執拗な「宣伝」にウンザリしているにも関わらず、事情通、業界通なる「御用聞き」が周囲の空気を読んで、その単純にして哀れな「御高説」を垂れ流す。

人気が先か、露出が先か、いやいや「捏造が先」でしょう!
捏造こそ、この分野での「宇宙創生」なのである。
捏造があるからこそ、人気も露出も作られていくのである。
捏造こそ彼等の住まい、捏造こそ彼等の舞台なのである。

金をばらまき、異様なほどの露出を企み、その結果を無理矢理見せ付けて、「こんなに露出しているのは人気がある証拠、人気があるから露出が増える」と御用聞きの口吻そのままに解説するテレビ局が登場してくるのである。これもまた御用聞きが先か、局が先か、どちらが作った解説文であるにせよ、それで通ると考えるほど、彼等が世間を舐めていることだけは確かである。

よほど金も人も余っているのだろう。その使い方を知らないのだろう。真っ直ぐな努力をすれば叶えられることも、金を使って、人を酷使して、捏造の限りを尽くして「掠め取ろう」とする。もはや常識かも知れないが、それでもやはり驚かされる、いやゲンナリさせられるのが細かい細かい「裏工作」である。

検索サイトで遊んでみて欲しい。例えばGoogle。最初の数文字を入力しただけで、予測検索機能が働いて候補名が出る。過去に検索された件数が多いほど、上位欄に出る仕掛けであると言われている。企業は上位ヒットをさせる為に、涙ぐましい努力をしているとも聞く。ところが

     Google s□□□□□

その検索欄に「s」と入力しただけで、日本人には全く興味も関心も無い名前が出て来る。単に「s」の一文字だけでである。一体どれだけの「やらせ検索」があったのか。ひらがなで「し」まで入力するとトップである。Youtubeも全く同様である。その検索欄で試して欲しい。不愉快になることだけは保証する。

こうした「既成事実」を作っておいて、「人気があるから」「人気の証拠」と話を持って行くのである。それでも同意しない人には、「鶏・卵」で、どちらにしてもの現状肯定、実際にこうして「目の前に確かな現実がある」のだから致し方無いでしょう、と論を進めるのである。

こうした連中に対抗するのは簡単である。
「事実の否定」、これに尽きる。

何を突き出されても、「それは私には見えません」で結構である。「私には見たいものしか見えませんので」で押し通す、そして最後に「あなたと同じように」と付け加えればいい。「事実を作って見せたがる人」と「作られた事実は見ない人」の対決である。

これには「押売撃退法」で充分対抗出来る。「英語が出来ればいいですよね……」と迫られれば、「思いません!」の一言で瞬殺出来る。「英語は嫌いです!」で退散するはずである。この要領で、捏造に加担する人、洗脳された人に対抗すればいいのである。ホンの数秒の我慢である。

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人気の証拠は見たことは無いが、捏造の証拠なら山ほどある。「万を超える人のデモを伝えない」これだけで充分である。「桁違い」という言葉があるが、何しろ三桁も違うのである。一方では十数人のデモを仰々しく伝え、一方では万を超える人々を無視する。「数の問題ではない、ニュースバリューがあるかないかの問題だ」と訳知り顔で答える「マスコミ関係者」は、自らの給料が三桁減っても、「数の問題ではない、仕事の質の問題だ」と是非とも言って頂きたい。