【第10回産経志塾】参議院議員・中山恭子氏
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110817/art11081707420005-n1.htm
北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさんは、昭和52年11月15日に北朝鮮に連れて行かれ、もう34年になる。拉致問題を初めて世に知らせたのは55年1月7日の産経新聞だったが、他の新聞社はフォローせず、そのまま拉致問題は静かになってしまった。北朝鮮に対する日本の報道は非常に偏った報道が続いている。今もなお偏った形の報道を続けている新聞社が大きな力をもっている。
63年に梶山静六国家公安委員長が拉致事件に北朝鮮が関与していると発言し、平成9年、13歳のときに北朝鮮に連れてこられた少女がいるとの情報が入った。被害者家族らは北朝鮮と非常に緊密な関係を持っていた旧社会党の先生に訴えたが、「(北朝鮮が)そんなことをするはずがない」としかられた。被害者家族は厄介者扱いをされてきた。
14年9月17日に小泉純一郎首相が金正日総書記と会談し、金総書記が初めて拉致を認め、謝罪した。ただ、生存しているのは5人だけで、あとはすべて死亡と伝えた。10月15日、私は5人を平壌空港に迎えに行ったが、5人は北朝鮮で「君たちは日本に行ったら、帰れコールが起きるだろう」と言われていた。
でも、日本ではあらゆるところから日の丸が振られていた。本当は「北朝鮮で非常に大切に扱われ、北朝鮮は本当にいい国です」と伝える指令があったわけだが、こらえられなくて涙を流していた。当初は1週間で北朝鮮に戻るということだったが、温かく迎えられたことが、5人が日本にとどまる決心をする際の大きな要因になった。
北朝鮮による拉致被害者の死亡証明書は、まったくの作り話だ。ほとんどの人々は生存しているであろう。拉致被害者を帰国させる交渉を一時も休んではならない。今は、どうもそういう動きがほとんどないと心配している。国家間の問題なので、政府が真剣に取り組まない限り進展しない。
平成11年8月、キルギスで日本人4人が拉致された。駐ウズベキスタン兼タジキスタン大使に着任して2週間もたたないときだ。犯人はイスラム原理主義グループの一派。すぐにウズベキスタンやタジキスタン政府、さらにグループを配下に置いていた「イスラム復興党」というグループの党首らに救出を依頼。60日かかったが、4人を救出できた。
国民が人質になったとき、日本は大使が命がけで救出にあたる国だと中央アジアの人が見て揺るぎない信頼を寄せてくれた。現政権の根っこにあるのは「世界市民」の考え方で「国家」という意識が欠落している。国際社会でその思想は通じない。
国際社会では「沈黙は金」は通用しない。日本が長い歴史の中で培ってきた文化は素晴らしいものである。日本の歴史や文化を正しく学び、さらに自分を力の限り磨いて、国際社会で活躍してほしい。自分の国の文化を知り、相手の文化を尊重することが大切。文化の多様性についても考えてほしい。
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【プロフィル】中山恭子
なかやま・きょうこ 参議院議員。昭和15年生まれ、71歳。東京都出身。群馬県立前橋女子高校、東京大学文学部卒、41年大蔵省入省。退官後、駐ウズベキスタン特命全権大使、国連改革欧州諸国担当大使を務める。平成14年拉致被害者家族担当の内閣官房参与、北朝鮮に赴き拉致被害者5人を出迎えた。18年安倍内閣の総理大臣補佐官(北朝鮮による拉致問題担当)に就任。19年参院議員選挙に出馬し初当選。20年拉致問題担当大臣、公文書管理担当大臣、内閣府特命担当大臣(少子化対策・男女共同参画担当)として初入閣。
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≪Q&A≫
Q 日本文化を発信していきたいのだが
A 日本を分かってもらうことは重要だ。友達でもそうだが、国と国も同じだ。日本、日本人を理解してもらうために、論理的に説明する力をつけてもらいたい。
Q 日本人は外交下手なイメージがある。どのような教育があればいいか
A 今の学校の教育はあまりにも薄っぺらい。算数の得意な子もいれば、かけっこの得意な子もいる。基礎をしっかり教え込んだ上で、それぞれの能力を十分伸ばす教育が必要だ。
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≪塾生コメント≫
▼日本女子大学3年、鈴木詩織さん(21)「拉致問題の解決にまだまだ希望を捨ててはいけないと思った」
▼巣鴨高校2年、滝本弘毅さん(17)「国会は結論が出るのが遅すぎると思っていたが、もっと複雑なんだと思い知らされた」
▼上智大学大学院、横貝康央さん(23)「日本が世界で発展していくため、日本の良さを宣伝していく人間になりたい」
▼仙台第一高校2年、高橋裕里子さん(16)「拉致問題を解決するのは、すごい困難なことだと分かった」
