【古典個展】立命館大教授・加地伸行
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110817/stt11081702480002-n1.htm
近ごろ気になることばがある。「子どもたち」だ。
「ども」も「たち」も共に複数を表すものの、「ども」は相手を低く見る感じだ。「野郎ども、馬鹿(ばか)ども」と。「たち」は相手を高く見ている感じ。「先生たち」、古くは「公達(きんだち)(貴族グループ)」と。
すると、子が一人前でないと下に見て「子ども」となるが、もし「子たち」と言うと、子に対して大事にしているという感じ以外、その言いかた自体が上品な感じを与える。
だから「子どもたち」と言うと、なんだか子を下げたり上げたりの感じを否めない。あるいは「子ども」で「子」を指し、「たち」をつけて複数の意味としているのかもしれない。もっとも「たち」の元来の意味を離れ、子自体を指して「子どもたち」と使われるようにもなったらしい、と諸説ある。
それなら響きのいい「子たち」を使ってはどうか。私は反省して最近は「子たち」と言っている。ただし「子どもっぽい・子どもの使い・子どもだまし…」は変えないが。
さて、「子ども・子たち・子どもたち」、どれを使おうと大した差はないと言えばそれまでのこと。
いやそういうことではない。ことばを正しく使わなければ、議論の筋道が崩れてしまうのである。
その典型が民主党。政権担当能力のない民主党がなぜ政権を維持しているのかと言えば、2年前の衆院選で国民に支持され、多数派を占めたからだと彼らは言っている。
それは筋道が通らない。自民党時代の予算から16兆円もの財源が出てくると原口一博・前総務相は言っていた。この種の大嘘をはじめ、することなすことのほとんどが選挙公約違反。それでは国民の支持に反するではないか。当然、衆院を解散して国民に信を問うべきだ。
するとこう言う。東日本大震災の被災地3県は選挙人名簿も作れず、投票できる状態にない。地方選挙も9月に延期したぐらいだと。
それは通らない。総選挙は国政問題であり、地方政治と異なる。あえて言おう、国政を立て直さなければ被災地3県の復興はできない、と。
ところが、民主党はもちろん、野党の自民党までが同3県における総選挙に腰が引けている。選挙人名簿の確定困難だの被災者感情への配慮だのと言い、総選挙どころではないとしている。
愚かな話である。ならば同3県に限り、比例代表制選出にすればすむことだ。党への票を比例配分して、議員を決めれば、同3県における多数の意志を反映できるではないか。たとい完璧な選挙人名簿がなくとも。
だいたいが投票率100%などありえないのだ。60%で十分。この特例は国会で臨時措置として決めればできるはずだ。
民主党は自民・公明との連立などと恥も外聞もないことを言いだしている。延命を図っているのは、首相でなくて、実は民主党そのものではないのか。
『論語』子路(しろ)篇に曰(いわ)く「名(ことば)正しからざれば、則ち言(げん)(論理)順ならず。言順ならざれば、則ち事(こと)(政事(せいじ))成らず」と。
なお、前回の『論語』の出典は子路篇ではなく、「顔淵(がんえん)篇」でした。ご指摘、ありがとうございました。
(かじ のぶゆき)