「西村眞悟の時事通信」 より。
八月十五日、午後三時。
靖国神社参集殿前に集まった二百名を超える同志の皆さんと、靖国神社に昇殿参拝させていただいた。
いつも感じることだが、靖国神社では、二の鳥居をくぐると、霊気は一変する。
日本国再興の基点は、ここ靖国神社にある。
英霊に、祖国の再興を祈った。
吉田松陰は、
「君は功業を為せ、我は忠義を為さん」
と言った。そして、武蔵野の露と消えた。
靖国神社の英霊も、功業の為に生きたのではなく、忠義のために死んだ方達である。
参拝を終え、参集殿に戻り、冒頭に明治天皇の御製を載せた紙を手に取ると、比島ミンダナオ島にて昭和二十年六月九日に戦死した岡 敏雄陸軍兵長、二十八歳の「御母上様」と書かれた遺書が記載してあった。そこに、次の一文があった。
「小生身はたとい何れの地に果てましょうとも、皇国の万代不易と一家の隆盛を祈って安けく冥じます。
父上の英霊に続いた不肖の身でありましたが、何卒御許しの程願ひます。」
この遺書を読む母は、夫と共に息子を失うのだ。
母に、この悲しみを強いるまっただ中において、
二十八歳の岡 敏雄兵長は、「何れの地に果てましょうとも、皇国の万代不易と一家の隆盛を祈って」いるのである。
これが靖国神社に祀られる英霊の思いである。
この英霊が祀られる靖国神社に、内閣で申し合わせて全員が参拝しない菅民主党内閣は、
「日本人ではない!」
先にも書いたが、今後この中から如何なる者が総理になろうとも、もはや先が見えている。
如何なる先か、それは「反日」である。
参拝前に、参集殿で集まった皆さんに次のように語った。
「菅直人という人物を総理大臣にした事態を見くびってはならない。また、菅が政権にしがみつき延命に努めていることを彼の個人的な要因で理解していてはならない。
菅を支えているのは、戦後体制の中で増殖して我が国の内外に巣くう得体の知れない根強い反日の勢力である。
この反日の力を菅が身を以て実感しているので菅は自信を持って延命を続けて本日も総理大臣であり、全閣僚と共に靖国神社を敵視して英霊を辱め総理大臣として国家弱体化の方向に巧妙な演出を行っているのである。
従って、この菅が変われば何か好くなると思わされてはならない。
ポスト菅選びは、菅を支えているこの反日の勢力が変わらずに、次の誰を支えることになるかだけの問題である。」
一昨日の八月十四日、栃木県護国神社の勉強会で「日本の再興」について講演させていただいた。
その時、いつも脳裏を離れない次の英霊の姿を語った。
日露戦争におけるロシアの旅順要塞司令官ステッセル将軍の乃木希典第三軍司令官に対する降伏の伝達は、明治三十八年一月一日午後四時三十分である。
そして一月五日午前十時五十分、ステッセル中将は水帥営を訪れて乃木大将と会見し降伏文書に調印する。それからの日程は次の通り。
一月十三日、第三軍、旅順入場式
一月十四日、招魂祭
一月十五日、第三軍、遼陽に向かって北進開始
この招魂祭は、水帥営北方高地で挙行され、乃木軍司令官は自ら「第三軍将士戦死病没者之霊位」と墨書した祭柱を立て、戦没者名簿を置き、供物と花を供え、雪が舞うなかで次のような祭文を朗読した。
「乃木希典ら、清酌庶羞の奠を以て、我が第三軍殉難将卒諸士の霊を祭る。
嗚呼諸士と、この栄光を分かたんとして、幽明あい隔つ・・・、
悲しいかな。地を清め、壇を設けて、諸士の英魂を招く。
こい願わくば、魂や、髣髴として来たり、饗けよ」
乃木将軍が祭文を読み進む内に、整列する第三軍将兵の間を嗚咽が雪に乗って流れた。
旅順要塞攻撃には、十三万人の兵士が投入され五万九千余人が死傷して英霊となったのである。
彼らがいなければ今の日本はない。
今日、総理大臣は自衛隊の最高指揮官なら、乃木軍司令官のように、靖国神社において「殉難将卒諸士の霊を祭る」立場の者ではないか。
また明治三十八年三月十日、帝国陸軍は奉天でロシア軍に勝利した。そして、この日は陸軍記念日となった。
この奉天会戦の直後、戦場を巡視した第二軍の石光真清少佐は、同じく戦場巡視をしてきた総司令部付きの川上素一大尉から次のような報告を受けた。
彼らは一万六千余人の兵士が戦死して累々と横たわる新戦場を巡視し、兵士の戦闘と戦死の状況を点検したのである。
「このような戦闘は、命令や督戦でできるものではありません。
兵士一人一人が、『勝たねば日本は滅びる』とはっきり知っていて、命令されなくとも、自分から死地に赴いています。
勝利は、天佑でも、陛下の御稜威でもなく、兵士一人一人の力によるものです。」
(以上、「日露戦争と日本人」鈴木壮一著、かんき出版より)
この満州の荒野において斃れた一万六千余の兵士をはじめ、「自ら死地に赴いた」無量の人々が我が国の歴史の中にいる。
彼らは、吉田松陰の「忠義を為さん」とした英霊なのだ。
昭和二十年二月二十三日夜から二十五日未明にかけて、硫黄島の擂鉢山の頂上に死を決して二度「星条旗」を下ろして二度「日の丸」を掲げた無名の兵士達も、「自ら死地に赴き、忠義を為さん」とした英霊である。彼らは、一日硫黄島で踏み留まれば、アメリカ軍の東京空襲は一日遅れ、その間、多くの学童や婦女子が疎開できて助かると、はっきり知っていたのである。
そして、これら「功業」を求めず「忠義を為さん」とした人々を忘れて、我が国の政(まつりごと)はあり得ない。
然るに、菅直人と菅内閣と民主党の面々は、「自ら死地に赴いた」英霊を、支那に屈服して、犬死にと卑しめ、さらに敵視している。そして、昨日も靖国神社を無視した。
彼らは、日本人ではない。
彼らは「無道の者であり速やかに掃蕩すべきである(宇佐八幡神託)」。


