【正論】震災下の8・15 学習院大学教授・井上寿一
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110803/dst11080302570001-n1.htm
戦後日本の矛盾をこう解消する
被災地の瓦礫(がれき)の光景が空襲で焼け野原となった惨状と重なる。放射能に対する恐怖は、原発と原爆との間で違うところがない。東日本大震災後に迎える「8月15日」は新たに特別な意味を持つようになった。以下では、敗戦時にさかのぼって、これからの日本の歴史的な課題を考えてみたい。
戦争は突然、終わった。勝てるとは思わなかった。敗れるとも考えなかった。8月15日は解放感よりも虚脱感の方が強かった。
虚脱感の一方で敗戦の原因を探る。中国に敗れた実感はなかった。敗れたのはアメリカに対してだった。アメリカの物量と近代的な軍事科学に屈服させられた。
≪科学技術と絶対平和の立国≫
この見方は敗戦の合理化と同時に国家再建の動機付けとなる。植民地をすべて失った資源の乏しい小さな島国に転落した日本は、どうすれば復興できるのか。答えは科学技術立国だった。他方で戦争への反省は絶対平和主義の思想を生む。「唯一の被爆国」日本の平和運動が始まる。
戦後の日本は矛盾を抱えて再出発する。科学技術立国の立場から原子力の平和利用(原子力発電)に積極的であると同時に、絶対平和主義の立場から反核運動を展開したからである。
矛盾はもう一つあった。冷戦状況の進展の中で、敗戦国日本は戦勝国アメリカに依存しながら独立した。アメリカの核の傘に守られる「唯一の被爆国」の矛盾の現実があった。
戦後日本は矛盾を矛盾として意識せずに済ますことができた。原発が象徴する科学技術によって、高度経済成長が可能になったからである。近代以降の歴史において、日本社会は初めて格差縮小へ向かう。国民は「一億総中流」意識を持つようになった。
経済発展を重視する国家再建路線は、日米安保条約における軍事負担の対等性の回避を志向する。基地貸与と駐留米軍の経費負担以上の関与はしない。アメリカに向かってそう言うとき、憲法9条は有用性があった。
≪米核の下で「唯一の被爆国」≫
アメリカの核の傘に守られる「唯一の被爆国」日本の矛盾とは、憲法9条と日米安保条約を同時に受容することの矛盾でもある。戦後日本はこのような矛盾のなかで、経済成長と平和を追求し続けることができた。
東日本大震災によって、図らずも日本はこれらの矛盾を露呈する結果となった。国際的な支援の中でも、「トモダチ作戦」の米軍の活動は際立っていた。災害時の在日米軍は役立つ。だとすれば、基地の現状維持志向が強くなる。沖縄普天間飛行場移設問題の解決はさらにむずかしくなるだろう。
原発問題も同様である。福島第1原発の現状を見れば、誰しも反原発、脱原発に傾くだろう。
しかし、代替エネルギーが原子力と同等程度の電力を供給できるとは限らない。生活水準の引き下げを伴う反原発、脱原発には躊躇(ちゅうちょ)する。原発問題をめぐる議論も結局のところ、現状維持へと戻ってくるのではないか。
「8月15日」から始まった戦後日本の歴史のサイクルは「3月11日」に終わった。新たな歴史のサイクルを描く再出発点に立つ今、日本はどうすべきか。別の言い方をすれば、戦後日本の矛盾はどうすれば解消できるのか。
≪成熟した先進国像を新たに≫
第1は国家アイデンティティーの再確立である。経済成長による国民統合の時代は終わった。日本はアジアの国でも欧米の国でもない。そのような日本の国家アイデンティティーの再確立は、福祉国家の再定義を通して、新たな成熟した先進国像をもたらすだろう。言い換えると、国民負担の増加を正当化できるような、共同性の回復をとおして、希望を持つことのできる福祉国家像を作り出さなくてはならない。
第2は、国際社会に対する責任分担である。戦後の「一国平和主義」に代わる、責任分担の裏づけのある平和主義へ転換する。この平和主義とは、伝統的な安全保障政策から国際警察活動や平和構築などの「新しい安全保障」政策に至る多様な分野における国際貢献を意味する。
他方で朝鮮半島を中心とする東アジアに核不拡散の安定的な国際秩序の確立に関与する。そうなれば、安全保障をめぐる日米関係の矛盾は解消に向かうだろう。
第3は、強力な国内政治基盤を作り出すことである。戦後の保守一党優位体制は終わった。代わりに政権の座についた民主党はもとより、自民党も国家目標を実現するための強力な国内基盤を作り出すべきである。
以上の3点から新たな歴史のサイクルを描くことは、長く困難な道のりをたどるかもしれない。しかし国家が破綻した「8月15日」から奇跡の復興を遂げた歴史を持つ日本にできないはずはない。そう信じて、今年の「8月15日」を再出発の日としたい。
(いのうえ としかず)
