【正論】震災下の8・15
立命館大学教授、大阪大学名誉教授・加地伸行
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110802/dst11080203390002-n1.htm
■戦後なくした「死の覚悟」教えた
昭和20年8月15日、敗戦のとき、私は国民学校(現在の小学校)3年生であったが、66年の時が流れ、75歳の老人となり、老残の虚(むな)しき今は、漠然とながら死を意識している。もっとも、それは平和の中での凡庸な〈死の意識〉でしかない。
それに比べて、大東亜戦争当時、米英と直接に戦って散華された方々には、祖国のためにという〈覚悟の死〉の意識があった。
しかし、敗戦は死の問題を闇に押しやり、人々は最高の価値を平和に置いて66年、死の問題そのものを忘却していった。日本人は、いつのころからか、死を語ることを避けてきた。のみならず、「死」に代わることばを使って、死を覆い隠してきたのである。
≪呪文に唱えた「安心・安全」≫
そのことばとは「安心・安全」である。このことばを呪文のように唱えてさえおれば、死を避けられると信じてきた。いや、信じようとしてきた。
その結果、日本中に、「安心・安全」ということばが溢(あふ)れ、政治家は口先だけの「安心・安全の保証」を叫び続け、人々は人々で、「安心・安全」を当然と思いこんでしまった。
その悲喜劇はさらに深まる。社会保険、年金、介護、老人雇用…の完全さを無理に要求し続け、死の恐怖や不安を隠し続けてきたのであった。
その嘘(うそ)・詐(いつわ)りの化けの皮を剥(は)いだものこそ、この3月の東日本大震災であった。
荒涼凄然(こうりょうせいぜん)とした被災地の光景が全日本人に与えた衝撃は計りしれなかった。だが、瓦礫(がれき)は日に日に取り除かれてゆく。いつの日か再び必ず復興がなされる。
しかし、それはあくまでも外形のことである。内側の心はどうなのであろうか。
被災直後、人々は家族の名を呼び、親しい人を求め、捜し尽くしていた。けれども、その声は空(むな)しく、多くの方々は二度と帰らぬ遺体となっていた。
≪限りある人生を奮闘し生きよ≫
死-それ自体は、あらゆる地域において日々に起こっているが、今回の震災による死は、一般的な死とは異なる。天災とか人災とかといった原因論などよりも、遥かに重い意味を持っている。すなわち、〈人間は死ぬ〉という鉄則を厳しく教えたのである。
人間は必ず死ぬ-このことはだれでも知っている。しかし、それは知識や観念の上の話である。実感できるのは、〈親しき者の死〉なのである。被災者が家族や親しい人の名を叫び求める姿がそれである。
大東亜戦争の戦没者の多くは〈覚悟の死〉であった。それは、迫り来る死の恐怖への覚悟に基づく死であった。
一方、東日本大震災が教えたものは〈死の覚悟〉であった。いつかは訪れてくる死の不安への覚悟をせよということを日本人全体に教えたのであった。日本が同震災から学んだ最大のものは、終戦以来、隠蔽し忘却してきた〈死の覚悟〉である。
人間は必ず死ぬ。だからこそ、限りある一生を緊張感をもって十分に生きよ、というのが〈死の覚悟〉の意味である。それが奮闘の人生を造りだすのだ。そのことをもって、いつの日かの人生の終焉(しゅうえん)を待とう。
しかし、死は寂しい。キリスト教徒は神への信仰の下に天国に召される。インド仏教徒は輪廻(りんね)転生の新しい旅立ちとなる。だから寂しくない。これに反して、われわれの死は寂しい。と思うのは誤りである。
≪「万霊祭祀の日」の制定を≫
東北アジアという儒教文化圏では、死者を慰霊し、生きてある者が死者と再会するのである。死者は死者で、己の遺族や友人がしっかと自分を覚えてくれていることが慰めとなる。慰霊とは想い出の共有のことなのである。
儒教のこの死生観は日本仏教の中に取りこまれている。8月のお盆における祖先に対する祭祀(さいし)(先祖供養)の大いなる柱は、死者への慰霊、想い出の時間の共有ということなのである。
これこそ〈死の覚悟〉から生まれた儒教的死生観である。われわれ日本人は、この死生観を強く意識し、〈死の覚悟〉を持っていたのだ。その死生観の下、生きてある時間を意義あらしめよう。
8月15日は、全国戦没者に対する慰霊の日であるが、偶然にも、盆の期間(13日~16日)の中にある。その期間、多くの日本人は、それぞれの家の祖先を慰霊する。とすれば、8月15日を新しく国民的慰霊日に制定してはいかがであろうか。
わけの分からない記念日の多い中、8月15日を〈万霊祭祀の日〉と定めてよい実質的基盤が全国にあるではないか。
その日が制定されたならば、靖国の英霊はもとより、東日本大震災により無念の死を遂げられた方々も、三界万霊、日本人は広く慰霊申しあげることができる。
(かじ のぶゆき)