【幕末から学ぶ現在(いま)】
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110721/art11072107330001-n1.htm
元祖・なでしこジャパン
7月18日の朝はいつもより早く起きた人も多かったのではないか。私も、サッカーの女子ワールドカップ(W杯)の日本代表「なでしこジャパン」とアメリカとの決勝戦を観(み)た1人である。
19日の帰国早々、初優勝を果たしたなでしこの面々は、首相官邸を訪れた。菅直人氏が祝福したのは当然としても、沢穂希(ほまれ)キャプテンに向かって「今から間に合うか分からないが勉強したい」と、彼女のリーダーシップに学びたいという趣旨の発言をしたのには驚いた。
もちろん、彼女の素晴らしい人柄と率先垂範の高い統率力は誰の目にも明らかである。しかし一国の首相がこうも簡単に、これからリーダーシップの秘訣(ひけつ)を学びたいと平然と述べるセンスにも驚くほかない。
◆運命を変えた米国留学
幕末から明治にかけて外国人に大和撫子(なでしこ)の存在感を見せつけた女性といえば、何よりも大山捨松であろう。捨松は、会津藩の家老職の家柄に生まれ、長兄が陸軍少将の山川浩、次兄が東京帝国大学総長となる健次郎である。“賊軍”の身内だった捨松の運命を変えたのは、北海道開拓使がアメリカに派遣した5人の女子留学生に選ばれたことだ。後に津田英学塾(現・津田塾大学)をつくる津田うめ(後の梅子)もそのなかにいた。女子の派遣は、アメリカの西部開拓を男子と一緒に担った女性たちのたくましさに感銘を受けた長官・黒田清隆の卓見によるものだ。
捨松は、コネティカット州の高校を経て、ニューヨーク州のヴァッサー大学に進んだ。会津の籠城戦に加わったサムライの娘は、まさに才色兼備の女性であり、2年になると学年会会長に選ばれるほどの人気者であった。捨松は、大和撫子ここにありとの気概や自覚をもって多くの分野を学んだ。なかでも看護学と慈善事業への関心は生涯のものとなる。
幼くして渡米した捨松の英語は、ほとんど母語となった代わりに、津田うめも苦しむように日本語の力がかなり落ちてしまった。しかし、帰国後異常な努力で日本の文化と社会に再適応し、薩摩の陸軍軍人、大山巌(いわお)の後添(のちぞ)いに迎えられ、明治の日本で独特な輝きを放つことになった。
◆語学堪能な社交界の花形
条約改正など近代国家としての日本を確立するには、外交や政治でも能力のある女性の存在を必要とした。英語をはじめ西洋語の堪能な捨松は、独仏語を自由に駆使した大山の配偶者として、外国人が集う社交界でも花形となり、夫婦ぐるみの付き合いで信頼を得るに至った。
会津若松城に砲弾を撃ち込んだ薩摩の大山との結婚は、兄の反対もあってすんなりとはいかなかった。しかし、いかにも西洋流なデートを重ねることで、日露戦争で将器を評価される巌の人柄にひかれたのである。輝くばかりの知性と社交力を併せもつ一方、“朝敵”に仕立てあげられた会津武士の娘の誇りを失わなかった大山捨松は、まさに統一国家をつくる新政府高官の妻にふさわしい存在であった。
捨松は、日本初の本格的なチャリティー・バザーを鹿鳴館で開き、最初の看護婦学校になる有志共立病院看護婦教育所を設立している。彼女には何でも日本初という形容詞がつきまとう。日清・日露の両戦争では、主人の巌が第2軍司令官や参謀総長、満州軍総司令官となり、捨松も妻として寄付金集めや婦人会活動を組織した。自ら日本赤十字社で戦傷者の看護にもあたり、政府高官夫人たちにもボランティアとして包帯を作らせた。
◆国際世論に日本の主張
特筆すべきは積極的にアメリカの新聞に投稿し、日本の主張を堂々と国際世論に訴えたことだ。なにしろ派遣軍の総司令官夫人がアメリカの学士だったのだから、明朗闊達(かったつ)な女性を愛するアメリカ人の気風に合わないはずがない。
西洋かぶれの巌とアメリカ仕込みの捨松との間には、本物の愛情もさることながら、互いへの尊敬心も潜んでいたに相違ない。
アメリカで少女の時から本物と競い合った捨松には、プロのアメリカ人女性の闘争心にくじけずサッカーへの志を貫いた沢さんとも共通する要素がある。それは凛(りん)とした美しさとでもいうべきものだ。大和撫子という言葉が時空を隔てて「なでしこジャパン」という国際語として蘇(よみがえ)ったことをいちばん喜ぶのは、女性として日本とアメリカとの間に最初の橋を懸けた山川改め大山捨松なのかもしれない。
(東大教授・山内昌之)
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【プロフィル】大山捨松
おおやま・すてまつ 安政7(1860)年、会津藩家老の娘として生まれる。明治4(1871)年、日本初の女子留学生として津田うめら4人と渡米。名門女子大ヴァッサー大を優秀な成績で卒業し15年帰国。翌年陸軍卿の大山巌と結婚し、鹿鳴館時代の社交界で活躍。社会活動や女子教育の分野でも力を尽くした。大正8(1919)年に死去。
日本初の女子留学生として米国に渡った大山捨松(国立国会図書館蔵)