「夕刻の備忘録」 様のブログより。
エネルギーシフトを唱える人間は、何故ここまで傲慢なのか。自らの権力を手放したくないだけで、自らの金を増やしたいだけで、どうしてここまで傲慢になれるのか。原発反対であろうと賛成であろうと、この件だけは落ち着いてよく考えて頂きたい。
政府が「これをやれ!」と言えば、それに従わねばならぬのか?
政府が「これをやるな!」と言えば、直ちに止めねばならぬのか?
犯罪行為ではない、公序良俗に反する行為でもない。公共の福祉に貢献すると信じて取り組んできた事業でも、思い付きの発言一つでこれを止めねばならぬのか。
自称首相も虚業家も、大はしゃぎで「新エネルギー構想」とやらをぶち上げているが、彼等は共に研究者ではない。現場の技術者でもない。プロ市民の成れの果てと、大衆煽動にのみ長けた単なる政商である。彼等は自分では何も出来ないことを、ああしろ、こうしろ、と御託宣を述べている。
誰がその研究開発を行うのか。誰がそれを実現させ、誰が敷設するのか。研究者や技術者は、「それ」が三度の飯より好きだからこそ、薄給にも絶えて生涯を自らのテーマに賭けているのではないか。
「昨日まで牛の研究をしていたらしいが、明日からは魚の研究に変えて貰うぞ。国民のダイエットの為だ!」と一言いえば、それで人が動くのか。誇りを賭けて研究開発をしていた人達に、頭の上から「これからはこうだ、それはもう終わりだ!」と押さえつけて、それで人の心が動くと思っているのか。
政商は金を積むのだろう。その何倍も儲けるつもりだから。
自称首相は金をばらまくのだろう。どうせ自分の金じゃないから。
しかし、幾ら金をばらまいて餌で釣ろうと思っても、牛の研究者は魚の研究に変えたりはしない。有人ロケットを研究していた人間に、予算が尽きたから次からは自転車の研究をしてくれ、「同じ乗り物」だからいいだろう、と言って「ハイそうですか」と転向する技術者が居たらお目に掛かりたいものだ。
当然研究費は必要だろう。国費で賄わねば何もできない分野も多かろう。研究者にも生活はある、家庭もある。一人前の給料は必要だ。しかし、彼等は金が目当てで、その研究を目指したのか。原子力の分野に進めば、大層な金持ちになれそうだから、とそれを選んだのか。そんな賤しい根性で、昼夜を分かたぬ開発に取組むことなど出来はしないだろう。
★ ★ ★ ★ ★
本当の技術者、職人、研究者達が何を考え、何を誇りにして生きているのか。その詳細は知らない、分からない。しかし、ただ一つだけ間違いなく言えることは、マトモに生きてきた人間ならば、その仕事に誇りを持って生きてきた人間なら、頭の上から「オマエの人生は明日からこうだ」と言われて、そのまま従うはずがない。
戦争中ですら自らの研究の使い道を考え、それを恐れ、孤独な抵抗運動を続けた人達は多いのである。「命に代えても協力しない」と公言して戦った人もいるのである。左翼の連中は口を開けば戦争責任だ、戦争賛美者だ、戦争加担者だと過去の言動を論う。単に政府の方針に従っただけの人も、心ならずもそれに沿った仕事をしてしまった人も、知らずに利用された人も、何もかも一緒くたにして唯々相手を罵倒するのみである。
戦時中の「加担者」を追いかけ回して非難している連中が、同じ勢いで反原発デモに参加しているのは、実に現代の奇観である。反政府が好きではなかったのか。反権力ではなかったのか。妙に権力者と波長が合っているじゃないか。
ならば現政府に対する「抵抗運動」も認めて貰おう。原子力に命を捧げた研究者達が、今一番望んでいることに従事して貰う。それは事故の収束である。そして安全な原発の研究開発である。彼等が望むなら、その道を残しておくのが国家の義務である。原子力の基礎研究と原発の新立地とは全くの別問題である。
研究だけは続けておくべきだ。原発反対の余勢を駆って、真面目な研究者の進路を妨害してはならない。予算が減っても、非難を浴びても、それでも自らの信念に従って研究を続ける人達には、一筋の灯りは残しておくべきである。それが必ず役に立つ。それで国民が救われる時が必ずやってくる。
★ ★ ★ ★ ★
現政権は官僚に対しても、国民に対しても態度は常に同じである。権力を笠に着て、上から目線で命令すれば、それで人が動くと思っている。要望だ、要請だと言って間接的な脅しを掛けておけば、自分達は免責されて、しかも相手は折れてくると信じている。
何の根回しも無く、「こっちに来れば儲かるぞ!」と号令さえ掛ければ、企業も研究者もそれに乗ってくると考えている。人を使ったことがない自称首相と、研究開発などしたこともなく、常に誰かのお零れを集めて金勘定だけをやってきた政商の傲慢ぶりには反吐が出る。
どうせ太陽電池パネルも他社から掠め取るのだろう、他国からかもしれない。自前では何も出来ない連中である。何の誇りも無く、やりたいことも無く、ここまでのし上がった連中である。権力欲と金銭欲以外に何ものも持ち合わせていない人間の、実に無残な姿を我々は日々見せ付けられているのである。
名も無き英雄達は今、この瞬間も戦っているのだ。
放射線は恐い。確かにそれは恐ろしい。しかし、それ以上に我々が決して忘れてはならないのは、知らない恐ろしさよりも、知ってなおその場に挑む恐ろしさは、無知の恐怖を何千倍も上回るということである。
何処までが安全で何処からが危険かを熟知している人達だからこそ、万が一への恐怖は凄まじいものだろう。しかし、彼等は自らの責任感に従って、堂々とこれに挑んでいる。直接的に彼等が事故を起こした訳ではないのだ。後年、反省すべき点も、裁かれるべき点も出て来るかもしれないが、今のこの段階で、現場から逃げようとする人間が一人として居ないことに、同じ国民として大変な誇りを感じる。
東電はもう信じられないから、アルバに任せるべきだとか、IAEAに主導権を渡すべきだとか寝言を言う人に伺いたい。
彼等が日本国の為に死にますか?
彼等が日本国民の為に死にますか?
福島の復旧復興の為に死にますか?
契約でやってきて、契約満了と共にこの国を去る人達に、一体何を期待しているのか知らないが、今、福島原発内部に留まって命懸けの仕事を続けておられる方々を批判することは、原発の続行の為にも、廃止の為にも、未来の為にも、何の利益ももたらさない最大級の愚行だと断じておく。
幾ら非難しても彼等は現場から逃げないと信じているなら、これは彼等の「義務だから」、そんなことは有り得ない、と信じているなら、あなたも首相・政商レベルの外道である。もし彼等が居なくなった時、その代わりを務め得る人間は、この国に居ないのである。
我々は沈黙に徹し、そして祈るべきである。彼等の無事と事態の収拾だけを祈るべきなのである。
政府が「これをやれ!」と言えば、それに従わねばならぬのか?
政府が「これをやるな!」と言えば、直ちに止めねばならぬのか?
犯罪行為ではない、公序良俗に反する行為でもない。公共の福祉に貢献すると信じて取り組んできた事業でも、思い付きの発言一つでこれを止めねばならぬのか。
自称首相も虚業家も、大はしゃぎで「新エネルギー構想」とやらをぶち上げているが、彼等は共に研究者ではない。現場の技術者でもない。プロ市民の成れの果てと、大衆煽動にのみ長けた単なる政商である。彼等は自分では何も出来ないことを、ああしろ、こうしろ、と御託宣を述べている。
誰がその研究開発を行うのか。誰がそれを実現させ、誰が敷設するのか。研究者や技術者は、「それ」が三度の飯より好きだからこそ、薄給にも絶えて生涯を自らのテーマに賭けているのではないか。
「昨日まで牛の研究をしていたらしいが、明日からは魚の研究に変えて貰うぞ。国民のダイエットの為だ!」と一言いえば、それで人が動くのか。誇りを賭けて研究開発をしていた人達に、頭の上から「これからはこうだ、それはもう終わりだ!」と押さえつけて、それで人の心が動くと思っているのか。
政商は金を積むのだろう。その何倍も儲けるつもりだから。
自称首相は金をばらまくのだろう。どうせ自分の金じゃないから。
しかし、幾ら金をばらまいて餌で釣ろうと思っても、牛の研究者は魚の研究に変えたりはしない。有人ロケットを研究していた人間に、予算が尽きたから次からは自転車の研究をしてくれ、「同じ乗り物」だからいいだろう、と言って「ハイそうですか」と転向する技術者が居たらお目に掛かりたいものだ。
当然研究費は必要だろう。国費で賄わねば何もできない分野も多かろう。研究者にも生活はある、家庭もある。一人前の給料は必要だ。しかし、彼等は金が目当てで、その研究を目指したのか。原子力の分野に進めば、大層な金持ちになれそうだから、とそれを選んだのか。そんな賤しい根性で、昼夜を分かたぬ開発に取組むことなど出来はしないだろう。
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本当の技術者、職人、研究者達が何を考え、何を誇りにして生きているのか。その詳細は知らない、分からない。しかし、ただ一つだけ間違いなく言えることは、マトモに生きてきた人間ならば、その仕事に誇りを持って生きてきた人間なら、頭の上から「オマエの人生は明日からこうだ」と言われて、そのまま従うはずがない。
戦争中ですら自らの研究の使い道を考え、それを恐れ、孤独な抵抗運動を続けた人達は多いのである。「命に代えても協力しない」と公言して戦った人もいるのである。左翼の連中は口を開けば戦争責任だ、戦争賛美者だ、戦争加担者だと過去の言動を論う。単に政府の方針に従っただけの人も、心ならずもそれに沿った仕事をしてしまった人も、知らずに利用された人も、何もかも一緒くたにして唯々相手を罵倒するのみである。
戦時中の「加担者」を追いかけ回して非難している連中が、同じ勢いで反原発デモに参加しているのは、実に現代の奇観である。反政府が好きではなかったのか。反権力ではなかったのか。妙に権力者と波長が合っているじゃないか。
ならば現政府に対する「抵抗運動」も認めて貰おう。原子力に命を捧げた研究者達が、今一番望んでいることに従事して貰う。それは事故の収束である。そして安全な原発の研究開発である。彼等が望むなら、その道を残しておくのが国家の義務である。原子力の基礎研究と原発の新立地とは全くの別問題である。
研究だけは続けておくべきだ。原発反対の余勢を駆って、真面目な研究者の進路を妨害してはならない。予算が減っても、非難を浴びても、それでも自らの信念に従って研究を続ける人達には、一筋の灯りは残しておくべきである。それが必ず役に立つ。それで国民が救われる時が必ずやってくる。
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現政権は官僚に対しても、国民に対しても態度は常に同じである。権力を笠に着て、上から目線で命令すれば、それで人が動くと思っている。要望だ、要請だと言って間接的な脅しを掛けておけば、自分達は免責されて、しかも相手は折れてくると信じている。
何の根回しも無く、「こっちに来れば儲かるぞ!」と号令さえ掛ければ、企業も研究者もそれに乗ってくると考えている。人を使ったことがない自称首相と、研究開発などしたこともなく、常に誰かのお零れを集めて金勘定だけをやってきた政商の傲慢ぶりには反吐が出る。
どうせ太陽電池パネルも他社から掠め取るのだろう、他国からかもしれない。自前では何も出来ない連中である。何の誇りも無く、やりたいことも無く、ここまでのし上がった連中である。権力欲と金銭欲以外に何ものも持ち合わせていない人間の、実に無残な姿を我々は日々見せ付けられているのである。
名も無き英雄達は今、この瞬間も戦っているのだ。
放射線は恐い。確かにそれは恐ろしい。しかし、それ以上に我々が決して忘れてはならないのは、知らない恐ろしさよりも、知ってなおその場に挑む恐ろしさは、無知の恐怖を何千倍も上回るということである。
何処までが安全で何処からが危険かを熟知している人達だからこそ、万が一への恐怖は凄まじいものだろう。しかし、彼等は自らの責任感に従って、堂々とこれに挑んでいる。直接的に彼等が事故を起こした訳ではないのだ。後年、反省すべき点も、裁かれるべき点も出て来るかもしれないが、今のこの段階で、現場から逃げようとする人間が一人として居ないことに、同じ国民として大変な誇りを感じる。
東電はもう信じられないから、アルバに任せるべきだとか、IAEAに主導権を渡すべきだとか寝言を言う人に伺いたい。
彼等が日本国の為に死にますか?
彼等が日本国民の為に死にますか?
福島の復旧復興の為に死にますか?
契約でやってきて、契約満了と共にこの国を去る人達に、一体何を期待しているのか知らないが、今、福島原発内部に留まって命懸けの仕事を続けておられる方々を批判することは、原発の続行の為にも、廃止の為にも、未来の為にも、何の利益ももたらさない最大級の愚行だと断じておく。
幾ら非難しても彼等は現場から逃げないと信じているなら、これは彼等の「義務だから」、そんなことは有り得ない、と信じているなら、あなたも首相・政商レベルの外道である。もし彼等が居なくなった時、その代わりを務め得る人間は、この国に居ないのである。
我々は沈黙に徹し、そして祈るべきである。彼等の無事と事態の収拾だけを祈るべきなのである。