「礼儀」 「型」が品位、品格を形成する。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【消えた偉人・物語】




戦前までの修身科を否定したのが占領軍(アメリカ)であったと信じている人は意外に多い。しかし、これは大きな誤りである。占領軍の修身教科書に対する評価は決して低いものではなかった。

 とりわけ占領軍は、日本人の礼儀正しさを称賛した。昭和21年に来日した米国教育使節団の報告書でも「日本人の現在もっているもの即ち礼儀を以(も)って修身科をはじめるなら、それでよかろう」と述べている。

 修身教科書では、「せいとん」「ぎょうぎ」「礼儀」「公徳」の項目が多く設けられ、正しい礼儀作法の「型」が具体的に記述されている。

 「人と食事をする時には、みんなで楽しく飲食するやうに心掛け、食器の類(るい)を荒々(あらあら)しく取り扱つたり、さわがしく物音を立てたりしないやうにしませう。(中略)汽車・汽船・電車・自動車等に乗った時には、人に迷惑をかけないやうにすることはもとより、不行儀なふるまひをしたり、卑(いや)しい言葉づかひをしたりしてはなりません。(中略)又、人の顔かたちや身なりなどをあざ笑つたり、とやかく言つたりするのも、かたくつゝしむべきことであります」

 しかし、修身教科書の趣旨は、単に礼儀作法の「型」を列挙することにあったわけではない。「人に対しては、恭敬(きょうけい)の念を失はず、礼儀を正しくしなければなりません。礼儀が正しくないと、人には不快の念を起させ、自分は品位をおとすことになります」と記述しているように、礼儀作法の「型」を身につけることが、人間としての品位と品格を形成する方途であると説いていたのである。

こうした項目で取り上げられたのが、本居宣長(もとおり・のりなが)、松平好房(よしふさ)、細井平洲(へいしゅう)、乃木希典(まれすけ)である。特に、雨の日に濡れた外套(がいとう)を着た乃木が、車内で席を譲られても丁寧にお礼を言うだけで決して腰をかけず、側近にも外套を持たせなかったという逸話は、乃木の人となりを清々しく描いている。

 「価値の押し付けはいけない」という戦後の風潮の中で、戦後教育は、礼儀作法を教えることを無視し続けたが、その一方では、物事の原因を内面的な心の問題に還元する心情主義を過度に強調してきた。

 しかし、礼儀作法の「型」をしっかりと教えること、いわば「型から入る」教育にもっと目が向けられてよい。

                              (武蔵野大学教授 貝塚茂樹)