「夕刻の備忘録」 様のブログより。
急告:菅直人を逮捕せよ!
史上空前の劇場型犯罪を許すな。
退陣詐欺の被害者は一億二千万。
国会議員の不逮捕特権も現行犯は別だ!
★ ★ ★ ★ ★
かつて「総理の犯罪」と呼ばれたものは利権問題であった。今時のような国を売り、国民を殺し、敵も味方もなぎ倒すが如く裏切る異常犯罪ではなかった。ここまで狂った人間が頂点に居ることに、国民の心は氷の如く固まっている.
それでもなお被災地には、不思議なおかしな空気が漂っている.
被災していない地域まで自粛されたのでは、かえって被災地の復興が遅れる。普通の暮らしをして、普通に消費して経済を回して欲しい。このように語る被災地の方が多かったように記憶する。被災後僅か二週間程度で、この種の意見が出て来た。なるほどと思う所もあれば、無理だと感じる所もあった。何万人もの人が亡くなっているのに、花見でもあるまい。誰と会っても会話が弾むはずがない。しかし、「自粛を自粛して欲しい」という話は次から次へと出て来たのである。
ところが、選挙になると話は変わるらしい。
大半はマスコミの捏造・偏向によるものであろうが、被災地の方は他の地域で選挙が行われることにも、随分と敏感になられているようである。被災地が選挙の出来る状態にないことは理解出来るし、そうした気分にもなれない、というのも当り前の話だと感じる。
しかし、その一方で「こんな時期に選挙でもあるまい」「国会は何をやっているのか」「国会議員は被災地のことを考えないのか」「そんな議員なら要らない」といった派手に報道されるフレーズが、本当に被災者の方から出た言葉だとしたら、それは余りにもオカシイ。何故、被災地以外は普通に暮らし、普通に選挙をやってくれ、とは言わないのか。経済を回さねばならぬように、政治もまた回さねばならぬのである。
被災地の決定権はまさに被災者の方にある。しかし、これを全国レベルにまで拡大し、「この時期に選挙をやるのは何事だ」というのは過剰反応である。衆議院の総選挙であっても、特例を駆使して地域別にすることは可能なはずだ。
まさに被災地のみならず、日本全体の政治が危ういのである。震災復興を人質にとって、好き放題をやっている「稀代の詐欺師」の横暴に対して、何故我々が「それはオカシイ」と言うことが出来ないのか。
東北地域は、他にも増して多くの民主党議員を輩出したところである。即ち、現政権の軸を与えている地域でもある。彼等が地域の代表として、震災復興の先頭に立って地元を走り回っているのだろうか。彼等の働きが、多くの被災者を勇気づけているのだろうか。
政府の対応が遅いとの意見は全国共通であるが、地元の議員の働きまでは他府県の者には分からない。あれほど異常な政府の下支えをしなければならないほど、地域住民のヒーローとして民主党議員が働いているのならば、「こんな時期に選挙をやるな!」という声も理解出来る。しかし、そうではないだろう。地域代表の議員がダメなように、それにも増して民主党本部や政府はさらに輪を掛けてダメなのだ。
これを変える権利は、日本国民全体にある。
選挙を求める権利は、誰にでもある。
これを封じるような風潮は極めて異常である。
その異常な空気を最大限に活かして、卑怯者達が自らの権力に酔い痴れている。全ては震災復興の名の下に隠され、役人は裏切られ、国民は騙されている。事は日本国全体の問題なのだ。日本全体が沈んで、被災地の復興もないだろう。
政局に対する批判は、マスコミ操作により全て野党に向かうように調整されている。即ち、政府に利するように利するように偏向されている。それを知ってか知らずか、被災地の人々の声が被せられて、情のある政治家ほど身動きが出来ない金縛り状態に押しやられている。自民党の中にすら不信任案に賛成することに悩みに悩んだ議員が居るのだ。
自由に、勝手に、法律すら無視して、我が世の春を謳歌しているのは、卑怯者達だけなのである。彼等を護って、一体何の得があるというのか。実に不思議である。
被災地域の住民やその首長が選挙封印の旗頭になっている間は、決して被災地は救われないだろう。残念ながらこれが事実である。この事実を知ることから、ようやく「復旧が始まる」のである。こうした冷徹な事実から目を背けている限りは、地域の復旧もままならず、加えて日本全体に害を為すことにもなることを知って頂きたい。
日本国民全てに、彼等を当選させた責任がある。そして同時に、彼等を追放する権利がある。それは誰にも封印されることのない、絶対的なものである。このことを何としても知って貰いたいと願うのである。
被災地から解散総選挙にゴーサインが出れば、彼等は自らの立場を失うのである。しかし、マスコミに乗せられ煽られて、政局批判を続ければ続けるだけ、彼等は延命する。そして、復旧復興が遅れれば遅れるだけ、居座りが長くなる.この矛盾の環を解き放つことが出来るのは、まさに被災者だけなのだ。
よって彼等は、被災地を事のついでにしか考えない。復旧して貰っては困るのだ。何時までも何時までも、悲劇の被災地であって貰わねば困るのだ。そんな彼等を糾弾し、政権を倒そうとする勢力を批判するのは、余りにも状況に疎すぎる。被災地の矛盾は被災地で解決して頂くしかない。我々のなけなしの義捐金すら、一向に配ろうとしない政府を倒すのは、当り前の話ではないか。誰も余った金を送っているのではないのだ!
確かに雨露しのげる家に居て、三食を頂き、家族も健在である。しかし、同じ日本国民として、被災地を蔑ろにし、その復旧を阻害する人間に対する怒りは、被災者の方々と変わるものではない。その苦しみ哀しみが分かるとは言わないが、我々も国全体のことを考えて、最善を尽くして地道な活動しているのだ。
「政治家は全て同じ」「政治家なんて要らない」というのは、現政権と同レベルの心無い発言である。森まさこ議員や小野寺議員の言動を含めて、なお政治家が信じられないというのなら、それはもはや政治不信ではない、単なる人間不信に過ぎないのではないか。
史上空前の劇場型犯罪を許すな。
退陣詐欺の被害者は一億二千万。
国会議員の不逮捕特権も現行犯は別だ!
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かつて「総理の犯罪」と呼ばれたものは利権問題であった。今時のような国を売り、国民を殺し、敵も味方もなぎ倒すが如く裏切る異常犯罪ではなかった。ここまで狂った人間が頂点に居ることに、国民の心は氷の如く固まっている.
それでもなお被災地には、不思議なおかしな空気が漂っている.
被災していない地域まで自粛されたのでは、かえって被災地の復興が遅れる。普通の暮らしをして、普通に消費して経済を回して欲しい。このように語る被災地の方が多かったように記憶する。被災後僅か二週間程度で、この種の意見が出て来た。なるほどと思う所もあれば、無理だと感じる所もあった。何万人もの人が亡くなっているのに、花見でもあるまい。誰と会っても会話が弾むはずがない。しかし、「自粛を自粛して欲しい」という話は次から次へと出て来たのである。
ところが、選挙になると話は変わるらしい。
大半はマスコミの捏造・偏向によるものであろうが、被災地の方は他の地域で選挙が行われることにも、随分と敏感になられているようである。被災地が選挙の出来る状態にないことは理解出来るし、そうした気分にもなれない、というのも当り前の話だと感じる。
しかし、その一方で「こんな時期に選挙でもあるまい」「国会は何をやっているのか」「国会議員は被災地のことを考えないのか」「そんな議員なら要らない」といった派手に報道されるフレーズが、本当に被災者の方から出た言葉だとしたら、それは余りにもオカシイ。何故、被災地以外は普通に暮らし、普通に選挙をやってくれ、とは言わないのか。経済を回さねばならぬように、政治もまた回さねばならぬのである。
被災地の決定権はまさに被災者の方にある。しかし、これを全国レベルにまで拡大し、「この時期に選挙をやるのは何事だ」というのは過剰反応である。衆議院の総選挙であっても、特例を駆使して地域別にすることは可能なはずだ。
まさに被災地のみならず、日本全体の政治が危ういのである。震災復興を人質にとって、好き放題をやっている「稀代の詐欺師」の横暴に対して、何故我々が「それはオカシイ」と言うことが出来ないのか。
東北地域は、他にも増して多くの民主党議員を輩出したところである。即ち、現政権の軸を与えている地域でもある。彼等が地域の代表として、震災復興の先頭に立って地元を走り回っているのだろうか。彼等の働きが、多くの被災者を勇気づけているのだろうか。
政府の対応が遅いとの意見は全国共通であるが、地元の議員の働きまでは他府県の者には分からない。あれほど異常な政府の下支えをしなければならないほど、地域住民のヒーローとして民主党議員が働いているのならば、「こんな時期に選挙をやるな!」という声も理解出来る。しかし、そうではないだろう。地域代表の議員がダメなように、それにも増して民主党本部や政府はさらに輪を掛けてダメなのだ。
これを変える権利は、日本国民全体にある。
選挙を求める権利は、誰にでもある。
これを封じるような風潮は極めて異常である。
その異常な空気を最大限に活かして、卑怯者達が自らの権力に酔い痴れている。全ては震災復興の名の下に隠され、役人は裏切られ、国民は騙されている。事は日本国全体の問題なのだ。日本全体が沈んで、被災地の復興もないだろう。
政局に対する批判は、マスコミ操作により全て野党に向かうように調整されている。即ち、政府に利するように利するように偏向されている。それを知ってか知らずか、被災地の人々の声が被せられて、情のある政治家ほど身動きが出来ない金縛り状態に押しやられている。自民党の中にすら不信任案に賛成することに悩みに悩んだ議員が居るのだ。
自由に、勝手に、法律すら無視して、我が世の春を謳歌しているのは、卑怯者達だけなのである。彼等を護って、一体何の得があるというのか。実に不思議である。
被災地域の住民やその首長が選挙封印の旗頭になっている間は、決して被災地は救われないだろう。残念ながらこれが事実である。この事実を知ることから、ようやく「復旧が始まる」のである。こうした冷徹な事実から目を背けている限りは、地域の復旧もままならず、加えて日本全体に害を為すことにもなることを知って頂きたい。
日本国民全てに、彼等を当選させた責任がある。そして同時に、彼等を追放する権利がある。それは誰にも封印されることのない、絶対的なものである。このことを何としても知って貰いたいと願うのである。
被災地から解散総選挙にゴーサインが出れば、彼等は自らの立場を失うのである。しかし、マスコミに乗せられ煽られて、政局批判を続ければ続けるだけ、彼等は延命する。そして、復旧復興が遅れれば遅れるだけ、居座りが長くなる.この矛盾の環を解き放つことが出来るのは、まさに被災者だけなのだ。
よって彼等は、被災地を事のついでにしか考えない。復旧して貰っては困るのだ。何時までも何時までも、悲劇の被災地であって貰わねば困るのだ。そんな彼等を糾弾し、政権を倒そうとする勢力を批判するのは、余りにも状況に疎すぎる。被災地の矛盾は被災地で解決して頂くしかない。我々のなけなしの義捐金すら、一向に配ろうとしない政府を倒すのは、当り前の話ではないか。誰も余った金を送っているのではないのだ!
確かに雨露しのげる家に居て、三食を頂き、家族も健在である。しかし、同じ日本国民として、被災地を蔑ろにし、その復旧を阻害する人間に対する怒りは、被災者の方々と変わるものではない。その苦しみ哀しみが分かるとは言わないが、我々も国全体のことを考えて、最善を尽くして地道な活動しているのだ。
「政治家は全て同じ」「政治家なんて要らない」というのは、現政権と同レベルの心無い発言である。森まさこ議員や小野寺議員の言動を含めて、なお政治家が信じられないというのなら、それはもはや政治不信ではない、単なる人間不信に過ぎないのではないか。