ジャーナリスト・伊豆村房一
新聞が「菅政権の延命」を追認しているようでは…
いま世界中が福島第1原発の成り行きに神経をとがらせている。事故発生から2カ月半以上たってもその収束のメドはまだ立っていない。政治の無能、リーダー不在が声高に問われている。お粗末だったのは仏ドービル・サミットに菅直人首相が出かけている最中に日本政府の危機管理、情報伝達のずさんさが世界に知れ渡ったことだ。
このドタバタ劇は明らかに菅政権の危機に対する初動対応の稚拙さを物語る。首相の責任は重大であり、これだけでもリーダー失格である。5月31日の衆院特別委で、自民党の中川秀直氏の退陣要求に対し菅首相は「優先すべきは大震災と原発事故の収束だ。今やらなければならない責任を放棄できない。危機の中、次の段階まできちんとつなぐのが自分の役目であり、その義務を果たす覚悟だ」とあくまでも続投の構えだった。
その姿勢は1日の党首討論でも変わらず、通年国会も辞さずと語り、延命を強くにじませた。だが、与党の中にも“菅降ろし”の動きが強まり、党首討論のあと提出された内閣不信任案に対し与党の一部にも賛成する声が上がった。与党分裂不可避となったが、2日の衆院本会議での採決直前に事態は急変。菅首相が「震災対応に一定のメドがついた段階」での辞意を表明したのだ。
結局、不信任案は大差で否決されたが、問題は首相辞任のタイミングだ。「一定のメド」とは何か。特例公債法案、第2次補正予算案など重要法案がめじろ押しの中で優先すべき対策、その方向づけを自ら指示し、リーダーとして率先して問題解決に取り組んでいくのならいいが、場当たり、人任せ、あわよくば手柄の独り占めでは誰もついていくまい。何よりいったん辞意を表明した首相が責任のある仕事ができるのか。野党も黙ってはいまい。
思えば、前原誠司前外相が辞任に追い込まれたのと同じ問題で、あわや退陣と思われた矢先に起こったのが東日本大震災だった。それを“天命”と受け止めて権力の座にしがみつこうとしたのだから何をかいわんや。辞意こそ表明したものの権力への妄執は絶ち切れそうにない。
そうした中で「菅首相辞意表明-不毛な政争に区切りを」(3日付朝日社説)、「首相は懸案片付け早期退陣の時期示せ」(同日経社説)など、新聞が菅政権の延命を追認しているようでは情けない。新聞は競って復興の構図、再生日本の未来を描くべきである。
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【プロフィル】伊豆村房一
いずむら・ふさかず 昭和16年東京都出身。慶大経卒。元東洋経済新報社取締役編集局長。