被災者を見殺しにし侮辱までする政府。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





「夕刻の備忘録」 様のブログより。




福島県南相馬市では10人を越える餓死者が出た。この件を指摘した自民党・森まさこ議員に対して、小宮山洋子厚生労働副大臣は「そうした事実は把握していない」とニヤニヤしながら答えた。

何があってもニヤニヤして、人の話を真面目に聞かないこの人物には、人間の心が無いのだろう。元の職がアナウンサーであったことなど理由にもならない。あの作り笑顔は断じて「職業病」などではない。地元の有権者はこの映像を自らの目で確かめ、自分達に微笑みかけていたあの顔は商売上の特殊な仮面であり、一票欲しさに有権者に媚びを売る時にも、失政による国民の悲劇を糾弾された時にも、全く同じ表情なのだということを是非知って頂きたい。

現代日本で餓死者が出る。被災地域で避難所で、餓死や自殺が多数出ている。自衛隊員も既に三名が殉職されている。これが政治の責任でなくして一体何であろうか。単に食物を配給し、適切な休息を与えて、全体を見渡すことさえ怠らなければ、確実に防げたであろう問題ではないか。このような重大な過失を指摘されても、詫びるどころか薄笑いなのである。

父親はあの加藤一郎である。東大紛争時に総長代行として借り出され、本人曰く「嫌で嫌で仕方がなかった」のにも関わらず、何故かその後に代行の取れた本物の「総長」に就任した人物である。代行時代も仏頂面、総長就任時も相変わらずの仏頂面であった。実に良く似た親娘ではないか。本心を包み隠し、世間体に汲々としている間に、肝心要の「本心」が何処かへ消え失せたのである。

しかし、小宮山がどれほど頑張ったところで、国民を愚弄し、被災者を侮辱することにかけては、流石にこの男の右に出る者はいない。

仙谷氏、「震災対策は全然遅れていない」(2011.5.30 12:58)
 仙谷由人官房副長官は30日午前の記者会見で、東日本大震災の被災者向けの仮設住宅建設などに遅れが出ていることについて、「震災復興が遅れているとは全然思わない。被災地の市町村の力もそれぞれ違う以上、それを『遅れている』という国民は木を見て森を見ていない」と述べた。
 仙谷氏は「より早く仮設住宅や医療施設、法律相談態勢を作るのに、今から急に(必要な)人材を作れといわれても一朝一夕にはできない」とも指摘した。

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110530/plc11053013010010-n1.htm

被災地では復旧の遅れを指摘する声は多い。国会でも明らかにされたように、国民からの義捐金もその僅か一割しか被災地には届けられていない。それを「遅れている」と指摘する国民は「木を見て森を見ない」のだという。些末なことに囚われて、大局を見ない人間だと侮辱したのである。所謂「コクミンガー」の究極の形であろう。

大事なことは何一つせず、要らないことばかりに熱心で、どんな批判も他人事のようにやり過ごし、挙げ句の果てには「一朝一夕には出来ない」と嘯いた。だから「無能者は早く去れ」と言っているではないか。それを問責を喰らいながらも平然と政府に戻り、相も変わらぬ無知無教養をさらけ出しての「国民批判」である。

日本国民の底にある信頼感、「ブランドに対する一定の評価」というものを、彼等は根柢から覆す「負の見本」である。元NHKアナウンサーの肩書きに騙される人も多いのだろうが、その経歴がもたらした「特色」が、あの爬虫類も思わず身を隠すような作り笑顔である。東大出の弁護士の肩書きで大きな態度を取り続けているが、その実力は御覧の通りである。言葉の職業でありながら、言葉の意味を知らない。誤用、曲解は当り前のヤクザ弁護士である。

昔から「東大出には大臣もいれば乞食もいる」と言われてきた。確かにその通り、いることはいる。しかし、今や大臣の比率もそう高くはないし、乞食もそれほどはいまい。要するに偏差値的に見るならば、上も少なく下も少ない、社会の真ん中辺りに位置する平凡な集団に過ぎない。ただ全体として平均がやや上流側にある、というだけの話である。

これを凄いと捉えるか、大したことではないと捉えるかは個人の感覚の問題であるが、当事者が胸を張って言えるほどのものでないことは事実である。毎年毎年、何千人の卒業生がいるのか、それを数えてみれば彼等が決してエリートなどではないことが分かる。

それでもこの種のブランドは今なお力を持っている。しかし、もうそろそろ気付いてもいいのではないか。六十歳を過ぎてなお、人の気持ちも分からず、情勢も読めず、「自分はエライ」との思い上がりだけを全面に押し出す人間の何処に知性があるのか。赤ん坊を見てもニヤニヤ、腐乱死体を見ても同じ顔でニヤニヤする人間の、一体何処に公人たる資格があるのか。


自分達がまさに「木を見て森を見なかった国民」に選ばれていることを、その自己矛盾にさえ気づかない現政権を、一刻も早く退場させねばならない。内閣不信任案に同調する議員に対しては、「被災地にどう受け取られるかだ」と、例によって例の如くの脅し文句を吐いたそうであるが、それはこちらが言う台詞だ。未だに官邸界隈をうろつけるのは、被災者の方にこうした暴言が知られていないからだ。この暴言こそ「被災地にどう受け取られるか」、不信任案に賛同する意見が被災地から一段と強く出ることを期待する。

今回の内閣不信任案は、これまでのようなその主たる総理大臣に対する不信任に留まらない。民主党内閣の「全てに対する不信任」である。即ち、頭の挿げ替えや閣僚の入れ換えで済む話ではない。解散総選挙に持ち込み、斯くの如き不潔極まる人間達を国政の場から一掃しなければならない。国民の生命財産を護るべき立場の人間が、堂々と「国民が悪い」と言ってのける。この暴言が見逃されるようでは、日本の再興は不可能である。