「上から目線」は心に響かない。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【エディターズEye】




目くじらを立てるほどのことではない。だけど、どうにも気になる。「勇気を与えたい」。東日本大震災の被災者に向け、スポーツ選手たちが口にするこのメッセージに違和感を覚える。

 与える、という言葉には「上から目線」のニュアンスが漂う。「大辞林」(三省堂)には、こうある。「与える=自分の所有する物を目下の相手に渡しその者の物とする。授ける」

 もちろん、本人たちにそんなつもりは全くない。ただ、言葉や文字が自分の思いを伝える重要なツールである以上、言い方を変えた方がいい。それ以前に、人の心を動かすことがスポーツの目的のひとつであるかのような物言いは、控えた方がいいのではないか。

 震災以前から同様の傾向は強くあった。世界トップレベルの大会や五輪に出場する選手たちはコメントを求められると、ほぼ異口同音に「感動を与えたい」と答えていた。今回の震災では「感動」が「勇気」に置き換えられ、さまざまなスポーツ選手やミュージシャン、芸能人にも広がっていった。

 ひたむきなスポーツのプレーが人の心を揺り動かすことは間違いない。実際、被災者に笑顔をもたらしている。ただ、それは受け止める側の思いであって、選手たち勝利を目指し、懸命にプレーすることだけを考えればいいのではないか。その姿勢こそが、結果的に人の気持ちを動かす。

有名選手の言動がもたらす影響は小さくない。高校野球の選手宣誓にも感動や元気を「与える」という文言が入り込み、周囲の大人たちも、それをよしとしているかのようだ。

 ただ、今春の選抜高校野球大会は違った。「私たちに今できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。頑張ろう日本。生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います」。創志学園高(岡山市)の野山慎介主将(16)の選手宣誓は、純粋な気持ちがひしひしと伝わってくる。プロの選手たちは、野山主将に学んでほしい。

 「上から目線」では、東京電力幹部の姿が印象的だった。原発事故後、初めて謝罪に訪れた避難所で、床で休む被災者らに立ったまま頭を下げ、膝を折ろうともしない。その後、東電社長らは土下座を余儀なくされた。「上から目線」は人の心には響かない。


                          (村山雅弥)(SANKEI EXPRESS)