【消えた偉人・物語】西郷隆盛
以前中学校で西郷隆盛(1827~77年)を題材にして道徳の授業を行ったことがある。そのとき、ある生徒が「西郷という人は悪い人だと思っていました」と感想を書いていた。西郷を「征韓論」者、西南戦争の「指導者」というほどしか書いていない教科書で教えられてきたのだから、さもありなんと思ったのを覚えている。
しかし、かつて西郷は勝海舟から「古今東西人物中最も優れた人物」と評され、国民的英雄として広く人々から敬愛され、道徳教育でも教えられた人物であったのである。
西郷は第3、4期国定修身教科書などに登場する。「度量」と題して、橋本左内との出会いの逸話を通して西郷の心の広さが描かれている。
「左内は二十歳あまりの、色の白い、女のようなやさしい若者でした。隆盛は心の中で、これではさほどの人物ではあるまいと見くびって、あまりていねいにあしらいませんでした」
最初、左内を侮っていた西郷は、この後左内の国事に関する意見を聞いて自分の過ちを深く恥じ、翌朝すぐに左内を訪ねて礼を失した応接の件をわびた。橋本の意見の詳細は教科書に記されていないが、それは日英同盟や日露戦争を予見したような雄大な国外・国内対策論であった。
教科書は最後に、「隆盛は『学問も人物も自分がとても及ばないと思った者が二人ある。一人は先輩の藤田東湖(とうこ)で、一人は友人の橋本左内だ』と言ってほめました」と結んでいる。西郷は左内から貰った手紙を20年間大切にし、最期にも携帯していた鞄(かばん)の中にこれを入れて手離さなかったという。友人、左内に対する西郷の思い入れの深さや人情の厚さが窺われよう。
西郷は官に抗した人物となったが、後に官の道徳教科書に登場する人物となった。西郷の徳望もさることながら官の「度量」にもよって、世界の教科書の中で類例を見ない壮挙が実現されたといえるだろう。
(皇學館大学准教授 渡邊毅)
西郷隆盛