「夕刻の備忘録」 様のブログより。
あの日、地震から津波の襲来まである程度の時間の余裕があった。それは津波が「これほどの被害をもたらす」という事実が、もっともっと地元民に浸透していれば、その時間を活かせるだけの余裕はあった。しかし、現実は地震発生直後から「全精力を傾けて脱出を試みた人」は多くはなかったように見える。
以前にも書いたが、「想定内・想定外論争」は不毛である。と同時に、こうした被災者もまた傷付ける物言いだと感じる。誰もここまでの被害を「想定」していなかったのだから。地元自治体の責任問題も同様である。防災マニュアルにあっても無くても、「あの惨状をリアルにイメージ出来た人」など誰も居ないのだから。
しかし、それ以降の問題は別である。そのほとんどは政府の無策、逆対応による人災である。首相の原発視察が無く、ベントが逸早く行われていればと強く思う。その因果関係は何れ証明されるであろう。
問題は、そうした因果関係以前に、首相が対策本部を離れて彷徨いていたことである。あの瞬間に、家屋の隙間に挟まれ、身動きの出来ない状態で、唯々救助を待っていた人が多く居たのではないか、との思いを禁じ得ない。兵力の逐次導入をやって、自衛隊、警察を無意味に消耗させた。あの瞬間なら捜索も、救出も出来た福島原発地域を、立ち入り禁止区域にしてしまった。あの日以来、未だ手付かずの地域もあるはずだ。
外部から見てもそう感じるのだ。ましてや行方不明者を抱えておられる家族の心情たるや如何ばかりか。今日帰ってくるのでは、明日帰ってくるのでは、との思いを断ち切ることが出来ず、哀しみも怒りも、全ての感情が不完全燃焼で、日々鬱々と暮らしておられるのではないか。
自衛隊の勇士達が懸命の作業を続けてくてれいるからこそ、僅かに救われているのだ。彼等が引き上げた後、何を頼りに気持ちを保てばいいのか。何を切っ掛けに気持ちを切り替えればいいのか。全く理不尽な、人生の不条理そのものと真正面から戦っておられるのである。
そんな中で、「不条理をただす政治」を掲げていた男は、早くも四月一日には、「もはや復旧から復興段階に入った」と言う独りよがりの発言をし、それを受けて閣僚達は防災服を脱ぎ捨てた。発災後、僅かに三週間である。
あの時、被災現場で九死に一生を得、破壊された建物の隙間に入って、ひたすら救助を待っていた人が居ると信じる。しかし、初動の遅れは決定的であった。数十名の警官が殉職している。自衛隊員も殉職している。避難所で亡くなった方も相当数おられる。死ななくてもよかった人が大勢おられる。
政治主導を叫び、官僚敵視で政権を奪取した民主党である。政治主導なら、それなりの政治責任を取ることが要求される。彼等の間違った対応で亡くなった人が大勢おられるのだ、それに対する「政治責任」を一体どう取るつもりなのか。デタラメな原発対応に終始したため、明らかに本来助かるべき被災者まで、巻き込んでしまったではないか。堂々と防災服を脱ぎ捨て「見殺し宣言」までしていたではないか。
★ ★ ★ ★ ★
東電を叩きに叩き、その裏側へと自分達は逃げ込んでいる。「計画停電」なるものを突如として導入した。「明日の朝からだ、いや今夕からだ!」と大騒ぎして、首都圏の半数近くの電車を運休に追い込んだ。その間、節電担当大臣とやらは、その無能ズラを曝すだけで、何かを為したという噂すら聞かない。あの歪んだ顔を見る度に、大昔のB級SF「V」の女司令官を思い出す。ツラの皮一枚剥けばドラマ同様、爬虫類が出て来るのではないか。
この計画停電でも、何人かの人が亡くなっている。消えた信号が理由でバイクで激突死した事故もあったはずだ。この人達も何故死ななければならなかったのか。その魂は理由を求めて今も虚空を彷徨っているだろう。
彼等は「願えば叶う」と信じている。自分達が命令すれば、東電は馬車馬のように働き、国民は家族の不幸にも涙一つ流さず、懸命にそれに従うと考えている。それが権力であり、それが国家であると考えている。アカらしい発想である。
浜岡原発の問題も同じである。そんなに危険なら、同時に周辺住民の避難計画や、少なくとも防災活動を強化する手立てが必要なはずだ。原発は急には止まらない。止まってもなお、予熱が引かないのは福島の現状の通りである。ならば、全国力を挙げて防潮堤工事を急ぎ、避難計画を練り、企業の電力供給ラインを別途作るという作業を「同時並行的に行う」のが常識であろう。このままでは、電力不足のドミノ倒しは日本中に拡がり、今夏、全国で多くの人が熱中症になって落命するだろう。
にも関わらず、彼等のやることは、見栄を張った記者会見だけである。「プロ野球に有望新人が入れば、その経済効果は何々だ」と騒ぎ立てる金勘定の達人達は、是非ともこの民主党政権一年八ヶ月の「経済効果」とやらを算出して頂きたい。個人的な感覚では数百兆円のマイナスだと見ている。国家予算数年分の国益毀損をしていると感じている。今回の震災対応、原発対応を繰り込めば、もっと激しい数字になるのかもしれない。
亡くなった人は帰らない。政治の無策は国民を殺すが、これほど明確に、これほど衆人環視の中で、多くの無辜の国民が見殺しにされた事は過去に例がないだろう。それでも食い物パフォーマンスは止めず、海外でゴルフ三昧に興じる議員はおり、絶対に反論が出ないことを見計らって、厚労省の生肉対応の拙さを叩く節電担当は健在なのである。
彼等に人の心は無い。あれば、あんな表情をして日々を暮らせまい。恐らくは爬虫類なのだ。このままでは被災者は見殺し、東電は飼殺し、国民は皆殺しにされてしまう。「赤松口蹄疫事件」の時の牛と同様である。彼等を政治的に葬らねば、我々は物理的に葬られてしまう。もはやその段階にまで来ている。ドラマの「V」は地球侵略者、ビジターのVである。そして同時に、全人類の反撃による勝利のVでもある。
エイリアン政権を打倒し、勝利のVサインを掲げるまで、我々の戦いも終わらない。
以前にも書いたが、「想定内・想定外論争」は不毛である。と同時に、こうした被災者もまた傷付ける物言いだと感じる。誰もここまでの被害を「想定」していなかったのだから。地元自治体の責任問題も同様である。防災マニュアルにあっても無くても、「あの惨状をリアルにイメージ出来た人」など誰も居ないのだから。
しかし、それ以降の問題は別である。そのほとんどは政府の無策、逆対応による人災である。首相の原発視察が無く、ベントが逸早く行われていればと強く思う。その因果関係は何れ証明されるであろう。
問題は、そうした因果関係以前に、首相が対策本部を離れて彷徨いていたことである。あの瞬間に、家屋の隙間に挟まれ、身動きの出来ない状態で、唯々救助を待っていた人が多く居たのではないか、との思いを禁じ得ない。兵力の逐次導入をやって、自衛隊、警察を無意味に消耗させた。あの瞬間なら捜索も、救出も出来た福島原発地域を、立ち入り禁止区域にしてしまった。あの日以来、未だ手付かずの地域もあるはずだ。
外部から見てもそう感じるのだ。ましてや行方不明者を抱えておられる家族の心情たるや如何ばかりか。今日帰ってくるのでは、明日帰ってくるのでは、との思いを断ち切ることが出来ず、哀しみも怒りも、全ての感情が不完全燃焼で、日々鬱々と暮らしておられるのではないか。
自衛隊の勇士達が懸命の作業を続けてくてれいるからこそ、僅かに救われているのだ。彼等が引き上げた後、何を頼りに気持ちを保てばいいのか。何を切っ掛けに気持ちを切り替えればいいのか。全く理不尽な、人生の不条理そのものと真正面から戦っておられるのである。
そんな中で、「不条理をただす政治」を掲げていた男は、早くも四月一日には、「もはや復旧から復興段階に入った」と言う独りよがりの発言をし、それを受けて閣僚達は防災服を脱ぎ捨てた。発災後、僅かに三週間である。
あの時、被災現場で九死に一生を得、破壊された建物の隙間に入って、ひたすら救助を待っていた人が居ると信じる。しかし、初動の遅れは決定的であった。数十名の警官が殉職している。自衛隊員も殉職している。避難所で亡くなった方も相当数おられる。死ななくてもよかった人が大勢おられる。
政治主導を叫び、官僚敵視で政権を奪取した民主党である。政治主導なら、それなりの政治責任を取ることが要求される。彼等の間違った対応で亡くなった人が大勢おられるのだ、それに対する「政治責任」を一体どう取るつもりなのか。デタラメな原発対応に終始したため、明らかに本来助かるべき被災者まで、巻き込んでしまったではないか。堂々と防災服を脱ぎ捨て「見殺し宣言」までしていたではないか。
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東電を叩きに叩き、その裏側へと自分達は逃げ込んでいる。「計画停電」なるものを突如として導入した。「明日の朝からだ、いや今夕からだ!」と大騒ぎして、首都圏の半数近くの電車を運休に追い込んだ。その間、節電担当大臣とやらは、その無能ズラを曝すだけで、何かを為したという噂すら聞かない。あの歪んだ顔を見る度に、大昔のB級SF「V」の女司令官を思い出す。ツラの皮一枚剥けばドラマ同様、爬虫類が出て来るのではないか。
この計画停電でも、何人かの人が亡くなっている。消えた信号が理由でバイクで激突死した事故もあったはずだ。この人達も何故死ななければならなかったのか。その魂は理由を求めて今も虚空を彷徨っているだろう。
彼等は「願えば叶う」と信じている。自分達が命令すれば、東電は馬車馬のように働き、国民は家族の不幸にも涙一つ流さず、懸命にそれに従うと考えている。それが権力であり、それが国家であると考えている。アカらしい発想である。
浜岡原発の問題も同じである。そんなに危険なら、同時に周辺住民の避難計画や、少なくとも防災活動を強化する手立てが必要なはずだ。原発は急には止まらない。止まってもなお、予熱が引かないのは福島の現状の通りである。ならば、全国力を挙げて防潮堤工事を急ぎ、避難計画を練り、企業の電力供給ラインを別途作るという作業を「同時並行的に行う」のが常識であろう。このままでは、電力不足のドミノ倒しは日本中に拡がり、今夏、全国で多くの人が熱中症になって落命するだろう。
にも関わらず、彼等のやることは、見栄を張った記者会見だけである。「プロ野球に有望新人が入れば、その経済効果は何々だ」と騒ぎ立てる金勘定の達人達は、是非ともこの民主党政権一年八ヶ月の「経済効果」とやらを算出して頂きたい。個人的な感覚では数百兆円のマイナスだと見ている。国家予算数年分の国益毀損をしていると感じている。今回の震災対応、原発対応を繰り込めば、もっと激しい数字になるのかもしれない。
亡くなった人は帰らない。政治の無策は国民を殺すが、これほど明確に、これほど衆人環視の中で、多くの無辜の国民が見殺しにされた事は過去に例がないだろう。それでも食い物パフォーマンスは止めず、海外でゴルフ三昧に興じる議員はおり、絶対に反論が出ないことを見計らって、厚労省の生肉対応の拙さを叩く節電担当は健在なのである。
彼等に人の心は無い。あれば、あんな表情をして日々を暮らせまい。恐らくは爬虫類なのだ。このままでは被災者は見殺し、東電は飼殺し、国民は皆殺しにされてしまう。「赤松口蹄疫事件」の時の牛と同様である。彼等を政治的に葬らねば、我々は物理的に葬られてしまう。もはやその段階にまで来ている。ドラマの「V」は地球侵略者、ビジターのVである。そして同時に、全人類の反撃による勝利のVでもある。
エイリアン政権を打倒し、勝利のVサインを掲げるまで、我々の戦いも終わらない。