明治天皇御製
義 (明治四十二年)
おのが身はかへりみずして人のため
つくすぞ人のつとめなりける
【五月拝殿掲示】
絶 筆
海軍大尉 碓本(うすもと) 守命
昭和二十年五月四日
南西諸島方面にて戦死
滋賀県大津市下平蔵町出身
二十五歳
拝啓、長い間御無沙汰許(ばか)り致し、誠に申し訳ありません。
皆々様、何時も御元気の由、慶賀に堪へません。私も元気です。
愈々出撃です。長い二十五年、本当に有難う御座居ました。私は悠久の大義に生きて行きます。
私の今までの詫間に於ける状況は、私の教へた練習生が、今度大津空へ行きましたから、その練習生から
聞いて下さい。
では、皆様いついつまでも元気にやって下さい。
父上、母上、幸子、智、榮子、千ちゃん、皆さようなら。
守
荷物の方も行李(こうり)だけは後から送ります。
トランクは練習生が外出の時、家まで持って来て呉れます。
練習生が遊びに来た時は、可愛がってやってください。
この練習生は、練習機で離着水だけやって後、取止めになったのです。
残念ですが致し方ありません。
師範学校の方にも宜敷(よろしく)。
川瀬、猪飼の小母さんにも宜敷。
【五月社頭掲示】