教科書「稲むらの火」復活1年早ければ…。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【東日本大震災】主人公の玄孫、灘高理事長の思い。



東日本大震災で津波の恐ろしさが再認識される中、安政元(1854)年の安政南海地震による津波から紀伊国広村(現和歌山県広川町)の村人を救った物語「稲(いな)むらの火」が注目を集めている。今年度、64年ぶりに小学校の教科書に復活したが、特別の思いを寄せるのが神戸市東灘区の私立灘中、高校理事長、嘉納毅人(かのう・たけひと)さん(67)だ。主人公のモデル、濱口梧陵(ごりょう)の玄孫(やしゃご)(孫の孫)の嘉納さんは防災意識の向上のため普及に尽力してきた。「1年早く教科書に載っていれば犠牲者を減らせたかも」と悔しさをにじませる。

 ■私財で大堤防…「政治トップ首かけ臨め」

 物語は、村の庄屋が地震の後、潮が引いて海岸が後退するのを見て津波の来襲を察知したことに始まる。刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に庄屋が火をつけると、火事と思った村人が消火に駆けつけ、その眼下で津波が村を襲う。庄屋の機転が村人を救った史実がもとになったとされる。

 感銘を受けた文豪、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が短編集で紹介。これをもとに小学校教師が書き上げた「稲むらの火」が昭和12年から約10年間、小学校の教科書に載った。

 主人公のモデルになった梧陵の玄孫にあたる嘉納さんは、津波の教訓を広く伝えるため物語の普及に取り組んできた。平成14年には「稲むらの火」のホームページを立ち上げ、記述の大半を嘉納さんが執筆した。

この物語が今年度から、小学校5年生の国語の教科書(光村図書)に64年ぶりに復活、「百年後のふるさとを守る」と題して掲載された。嘉納さんは「あと1年早く教科書に載っていれば救える命がもっとあったかもしれない」と話す。

 実は、物語には後日談がある。梧陵はその後、将来の津波に備え、私財を投じて全長600メートルに及ぶ大堤防を築造、建設工事には村人を雇用した。堤防完成から88年後の昭和21年に和歌山沖で昭和南海地震が発生、再び津波が村を襲ったが、この堤防のおかげで大部分が浸水被害を免れたという。

 嘉納さんは阪神大震災で被災経験があるだけに防災への思いは人一倍で、「稲むらの火は村人に逃げるルートを示した。災害での危険箇箇所や避難経路を示すハザードマップがいかに大切か、ということ」と説明した。

 そして復興についてこう話す。

 「稲むらは年貢米。火をつけることは重大な犯罪行為で打ち首ものだった。でも梧陵は村を守るためにやった。東日本大震災は未曾有の非常時。こういうときこそ政治のトップは自分の首をかけて非常時の政策に臨むべきだ」

      ◇

 【用語解説】濱口梧陵(1820~85年) 醤油(しょうゆ)醸造業を営む濱口儀兵衛家(現ヤマサ醤油)に生まれる。7代目当主として家業を守るとともに、社会福祉事業や政治活動に取り組む。中央政府に召されて初代駅逓頭(郵政大臣に相当)として近代的な郵便制度の創設にも尽力した。




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   「稲むらの火」に込められた防災の教訓を話す嘉納毅人さん=神戸市東灘区(甘利慈撮影)



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                  「稲むらの火」主人公のモデル、濱口梧陵




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自作の紙芝居「稲むらの火」を上演する宮本直樹さん=大阪府富田林市の老人福祉施設