「夕刻の備忘録」 様のブログより。
大震災の波動は地球を何周も回って世界中に拡がった。津波はあらゆる物をなぎ倒し、瓦礫を含んだ水のハンマーとなって街を破壊した。マグニチュード9とはM7の千個分のエネルギーを持っているという。まさに世界史に特筆されるべき大災害である。
震災直後から政治は止まった。自民党は早々に政治休戦を申し入れ、国会休会を主張した。様々な提案をして、震災対策のアドバイザーたらんと活動をしていた。しかし、その悉くが水泡に帰した。
今なお、食事も入浴もままならない被災地域がある。災害の全貌も全く見えない。そして「これほどの大災害である。誰が総理でも上手くいくものではない」との台詞を、この一ヶ月間、繰り返し聞かされ続けた。
しかし、誰も不審に思わないのだろうか。
確かに政治は難しい。誰がやっても、どうやっても、必ず何処かから文句は出る。誰かが文句を言う。苦情を入れるのを商売にしている者まで居る。
政治に百点は有り得ない。八十点はおろか、六十点さえ遠いものに見える。大衆に媚びに媚び、ポピュリズムの権化を任じたところで、その支持率はせいぜい80%程度に過ぎない。ましてや真実を語り、国民を鼓舞する真のリーダーは、本音は真実など聞きたくもない大衆によって倒される。
政治の難しさとは、このように「国民全体の合意形成が非常に難しい」という前提に立って論じられるものである。ところが現状はどうか。ほとんど全ての日本国民は、震災後の政治に対して、「誰が総理でも上手くいくものではない」という見方に同意している。いや同意していた。日本国民のほとんどの合意形成が為されていたのである。政治家にとって、これほどやりやすい状況はない。
何をやっても、たとえ失敗があっても、精一杯やってくれればそれでいい。そんな高望みはしない。今日の飢えを凌ぎ、雨露を避けて、寝られる環境を作ってくれたら、明日はきっと良くなるだろう。震災直後は、そう考えた人がほとんどであったろう。従って
こんな時期には誰が総理でも上手くいく!
何処の誰が総理をやっても、不平不満は一切でない。子供がやっても大丈夫。官邸にぬいぐるみを置いておいても、充分それでやっていける。そんな状態であった筈だ。
初期対応の大半を官僚に任せておけばよかったのだ。「思い切ってやってくれ、結果責任は俺が取る。俺はこれから寝るからオマエ達、後は宜しく」とでも言っておけば、今よりは遙かにマシだったろう。誰がやっても上手くいく状態に、わざわざ横槍を入れ、何もかもが動かない、凍結した状態にしてしまったのである。
こんな時期には誰が総理でも上手くいく!
本人もそう考えたからこそ、地震の直後に、「これで後二年はやれる」と呟いたのではないか。これが単なる噂であり、虚偽であったとしても、その後の言動は、この暴言を裏付けるに余りある酷いものである。野党も「政府の延命工作」に使われては堪らない、と瞬間的に身構えたであろう。それもこれも、全てはこの時期は誰がやっても、「それなりの得点が稼げる」という邪悪な発想に因っていることは明らかである。
にも関わらず、現内閣は一点も取れなかった。
国民が望んだ迅速な対応は何一つ無かった。
誰がやっても出来る事を、この内閣だけは出来なかった。
この男だけはやらなかった。
ぬいぐるみの方が遙かによかったのである。
関係各所の足だけを引っ張り、会議を増やして官僚を雑事に追いやって、本来なら接着剤となるべき内閣参与が、さらに内閣の崩壊を加速させた。会議の中に会議があり、何処の誰が参加しているのかも分からない。遂には、次から次へと任命された参与同士が、意思の疎通を図るためだといって、「参与会議」の開催を模索しているという。
誰に取っても難しい問題をしくじったのではない。
誰でも上手くやれることを、この男だけがやれなかった。
この男だからこそ出来なかった。
このことを国民は知るべきである。
★ ★ ★ ★ ★
自衛官の殉職は、明らかに過労死である。常識に照らして、誰にでも分かる過酷極まる条件を彼等に課して、少しもその「後方支援」をしなかった。
少しでも彼等が休みを取れるように、少しでも彼等が楽に移動出来るように、周辺の環境を改善して支えていくことが防衛大臣の仕事であり、最高指揮官たる内閣総理大臣の仕事である。両名は、これを全く怠った。過労死の全責任はこの二人にある。
法によって罰せられるべきである。
自衛隊は、身の危険を顧みず職務遂行に邁進するというのは、充分なバックアップ体制があり、指揮官の機微に及ぶ心遣いがあってのことである。
自衛隊は、この件で決して告発しないだろう。ならば、我々国民が告発する。多くの国民を見殺しにし、その災害救助に当たる自衛官もまた過労死させた。その責任は北沢俊美、菅直人、この二人にある。
内閣総辞職や解散で誤魔化されてはならない。平時から国を売り、有事には国民を見殺しにし、「最後の砦」たる自衛隊までも愚弄した連中を、そのまま野に放っておくわけにはいかないのである。
震災直後から政治は止まった。自民党は早々に政治休戦を申し入れ、国会休会を主張した。様々な提案をして、震災対策のアドバイザーたらんと活動をしていた。しかし、その悉くが水泡に帰した。
今なお、食事も入浴もままならない被災地域がある。災害の全貌も全く見えない。そして「これほどの大災害である。誰が総理でも上手くいくものではない」との台詞を、この一ヶ月間、繰り返し聞かされ続けた。
しかし、誰も不審に思わないのだろうか。
確かに政治は難しい。誰がやっても、どうやっても、必ず何処かから文句は出る。誰かが文句を言う。苦情を入れるのを商売にしている者まで居る。
政治に百点は有り得ない。八十点はおろか、六十点さえ遠いものに見える。大衆に媚びに媚び、ポピュリズムの権化を任じたところで、その支持率はせいぜい80%程度に過ぎない。ましてや真実を語り、国民を鼓舞する真のリーダーは、本音は真実など聞きたくもない大衆によって倒される。
政治の難しさとは、このように「国民全体の合意形成が非常に難しい」という前提に立って論じられるものである。ところが現状はどうか。ほとんど全ての日本国民は、震災後の政治に対して、「誰が総理でも上手くいくものではない」という見方に同意している。いや同意していた。日本国民のほとんどの合意形成が為されていたのである。政治家にとって、これほどやりやすい状況はない。
何をやっても、たとえ失敗があっても、精一杯やってくれればそれでいい。そんな高望みはしない。今日の飢えを凌ぎ、雨露を避けて、寝られる環境を作ってくれたら、明日はきっと良くなるだろう。震災直後は、そう考えた人がほとんどであったろう。従って
こんな時期には誰が総理でも上手くいく!
何処の誰が総理をやっても、不平不満は一切でない。子供がやっても大丈夫。官邸にぬいぐるみを置いておいても、充分それでやっていける。そんな状態であった筈だ。
初期対応の大半を官僚に任せておけばよかったのだ。「思い切ってやってくれ、結果責任は俺が取る。俺はこれから寝るからオマエ達、後は宜しく」とでも言っておけば、今よりは遙かにマシだったろう。誰がやっても上手くいく状態に、わざわざ横槍を入れ、何もかもが動かない、凍結した状態にしてしまったのである。
こんな時期には誰が総理でも上手くいく!
本人もそう考えたからこそ、地震の直後に、「これで後二年はやれる」と呟いたのではないか。これが単なる噂であり、虚偽であったとしても、その後の言動は、この暴言を裏付けるに余りある酷いものである。野党も「政府の延命工作」に使われては堪らない、と瞬間的に身構えたであろう。それもこれも、全てはこの時期は誰がやっても、「それなりの得点が稼げる」という邪悪な発想に因っていることは明らかである。
にも関わらず、現内閣は一点も取れなかった。
国民が望んだ迅速な対応は何一つ無かった。
誰がやっても出来る事を、この内閣だけは出来なかった。
この男だけはやらなかった。
ぬいぐるみの方が遙かによかったのである。
関係各所の足だけを引っ張り、会議を増やして官僚を雑事に追いやって、本来なら接着剤となるべき内閣参与が、さらに内閣の崩壊を加速させた。会議の中に会議があり、何処の誰が参加しているのかも分からない。遂には、次から次へと任命された参与同士が、意思の疎通を図るためだといって、「参与会議」の開催を模索しているという。
誰に取っても難しい問題をしくじったのではない。
誰でも上手くやれることを、この男だけがやれなかった。
この男だからこそ出来なかった。
このことを国民は知るべきである。
★ ★ ★ ★ ★
自衛官の殉職は、明らかに過労死である。常識に照らして、誰にでも分かる過酷極まる条件を彼等に課して、少しもその「後方支援」をしなかった。
少しでも彼等が休みを取れるように、少しでも彼等が楽に移動出来るように、周辺の環境を改善して支えていくことが防衛大臣の仕事であり、最高指揮官たる内閣総理大臣の仕事である。両名は、これを全く怠った。過労死の全責任はこの二人にある。
法によって罰せられるべきである。
自衛隊は、身の危険を顧みず職務遂行に邁進するというのは、充分なバックアップ体制があり、指揮官の機微に及ぶ心遣いがあってのことである。
自衛隊は、この件で決して告発しないだろう。ならば、我々国民が告発する。多くの国民を見殺しにし、その災害救助に当たる自衛官もまた過労死させた。その責任は北沢俊美、菅直人、この二人にある。
内閣総辞職や解散で誤魔化されてはならない。平時から国を売り、有事には国民を見殺しにし、「最後の砦」たる自衛隊までも愚弄した連中を、そのまま野に放っておくわけにはいかないのである。