雄大にして繊細 「都一の門」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【かんさいMONO語り】西本願寺 御影堂門



≪「人を救う」思い また今こそ≫

 両端が反って曲線を描く屋根、複雑で美しく組み上げた木組み、繊細に彫り込んだ彫刻。扉の上部中央には空想の獣、獏(ばく)が大きく睨(にら)みを利かせ、欄間(らんま)部分には金色の長いひげをたくわえ眼光を光らせる2頭の龍が今にも飛び出しそうに参拝者を見守る。浄土真宗本願寺派の本山、西本願寺の御影堂(ごえいどう)門は、寺の資料によると、かつては都一の名門と呼ばれていた。

 宗祖親鸞(しんらん)の木像を安置する御影堂前に立つ御影堂門は、江戸初期の1644年に再建された。高さ約14メートル、間口約11メートル。西本願寺の門の中では最も大きい、入り母屋の本瓦ぶき、総ケヤキ造りの格式高い四脚門(しきゃくもん)だ。

 じっくり眺めてみて、初めていろんな彫刻や飾り金具が施されていることに気が付く。灯籠に施された文様も面白い。御影堂門の北側に位置する阿弥陀堂門(あみだどうもん)にも優美で多彩な彫刻が施されているが、御影堂門も質実剛健な構えながら菊や桐、雲などが実に精細に彫られ、躍動感あふれる虎の彫刻も大きな目を光らせている。

数々の災害に見舞われ、立ち直り

 2006年から09年に築地塀も含め行った修復作業の際、獏や龍の彫刻も含め、これらの動物の目が当初、白目部分はプラチナ箔(はく)、黒目部分は金箔(きんぱく)だったことが判明した。それに倣い箔が押し直されたという。

 修復作業では、御影堂門の北面中央の柱から、炭化部分も見つかった。1788年、京都は市街地を焼き尽くす大惨事に見舞われた。京焼けともいわれた天明の大火。二条城や京都御苑なども含め、市街地のほとんどを焼失した中で、御影堂門は奇跡的に残った。炭化部分はそのときの痕跡だという。焼け野原に毅然(きぜん)と立つその姿は、焦燥感や絶望感に打ちひしがれた庶民にどれだけの勇気と生きる力を与えたことだったろう。

 今、西本願寺では親鸞の遺徳をしのび、み教えに出会えたことを深く受け止める「宗祖親鸞七百五十回大遠忌(だいおんき)」が営まれている。50年に一度の大法要。門徒の多くは生涯に一度の参拝として特別な思いを抱き西本願寺を訪れる。

750年の時を越え被災者とともに

 親鸞は、幾度にもわたる天災と大飢饉(ききん)の起こった混迷の時代を生き抜き、念仏を唱え、わけへだてない救いの法を説き続けた。その混迷の時代と、折しも東日本大震災が発生した今の日本を重ねる人は多い。

 大遠忌のスローガンは「世のなか 安穏なれ」。「こんな時だからこそ、灯火をともさなければ」と一人の僧侶がつぶやいた。没後750年という時を越え、親鸞は大遠忌を通じて、とてつもなく大切なことを今改めて伝えようとしているのではあるまいか。(文:嶋田知加子/撮影:安元雄太/SANKEI EX PRESS)

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 ■西本願寺 約370年前に再建された御影堂門は国の重要文化財の指定を目指している。現在、営まれている「宗祖親鸞聖人七百五十回大遠忌」法要は4~6月、9~11月、2012年1月のいずれも9~16日に実施。京都市下京区堀川通花屋町下ル。(電)075・371・5181。開門時間は午前5時30分~午後5時30分(大遠忌法要期間中と、5~8月は午後6時)。



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           御影堂門の灯籠にあしらわれた彫刻の数々=4月4日、京都市下京区の西本願寺




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