「夕刻の備忘録」 様のブログより。
統一地方選挙、その前半戦は勝利した!
しかし、まだまだ「民主党」の勢いは衰えていない。
ゾンビはゾンビ、姿を変え、形を変えて、この国に取り憑いている。
みんなの党、然り。
減税日本、然り。
維新の会、然りである。
自身の地元である三重県知事選で、敗北が決まった瞬間、幹事長の岡田は何と言ったか。「まだ当確です。決まったわけじゃないですから」と負け惜しみを言っていた。続けて、大阪や名古屋の「異常現象」を引いて、「既存政党への批判がある」と、無理矢理自民党をも敗者グループの中へ引きずり込んだ。負け惜しみと責任転嫁だけは、あらゆる機会を逃さず必死で繰り返す、人間のクズである。
みんなの党党首渡辺は、結果に対して一言求められて何と言ったか。「自民党が演出した“自粛ムード”の中で知名度のある議員が有利になった」と。何時、何処で、どうやって「野党自民党」が日本の自粛をリードした、というのだろうか。責任転嫁と当て擦り、イヤミと悪口だけで、大衆のウケを狙うチンケな男、「男の田中真紀子」である。
大阪と名古屋は酷い自虐趣味であることが分かった。当選確率95%とは呆れ果てたものである。その候補者リスト、いや事実上の当選者リストを拝見したが、予想通りの怪しさ一杯であった。彼等のノッペリした顔には、「行政の責任を取るという強い意志」は全く感じられなかった。素人集団を担ぎ出した責任は、担ぎ出した人間が取るべきである。何故なら御本人達は、都合が悪くなれば一目散に逃げ出して、責任追及さえままならないからである。大阪の今後を不安視せざるを得ない。名古屋も同様である。
神奈川県の「罰ゲーム」、その勝者はやはりマスコミ人であった。深い考えも無しに、カメラが向けられると、得意顔で啖呵を切る。「神奈川は脱原発でいく!」と高らかに宣した。神奈川県は明日から、東京電力からの給電を断るつもりなのか。「脱原発」の意味が分かっているのか。過去の歴史に照らして、最も勉強をせず、最も準備をせず選挙に通った神奈川県知事ではないか。県民に同情せざるを得ない。
原発に対しては賛成でも反対でもない。
極めて危険度の高いシステムであることは勿論である。
しかし、それを克服してこその文明である。
克服出来ないシステムなら、廃棄するしかない。
その時には、同規模の発電システムが何としても必要である。
国家にはその規模に応じた電力が必要である。
何でも反対の連中は、ここぞとばかりに「脱原発」を叫んでいるが、同じ連中が「格差社会」を批判しているのは、滑稽でしかない。
何故なら、我々人類は最も便利で、極めて安価に入手出来るエネルギーとして電気を発見し、その電気エネルギーによって、多種多様な機械を操るようになった。「家電」と名付けられた電気機器は、少し前なら多くの召使いが必要となるような家事を、極めて簡単に、確実に短時間に処理出来るようにした。
風呂に入るにも、メシを炊くにも薪が必要だった。薪のためには山に入らねばならなかった。水は川に汲みに行かねばならなかった。家事の一切が非常な重労働であり、同時に大変な手間暇の掛かる大仕事であった。
従って、金持ちは人を雇った。雇える人間だけが、趣味に憩いにと贅沢が出来たのである。電気が無ければ節電すればいい。電気が無くてもやっていける、とはならない。そこには「新しい格差」が、さらに酷くなれば昔風の奴隷作業が生まれてくる。そこまで見据えた上での、電力軽視であろうか。平均的な国民が、平均的な便利を享受し、平均的な自由と、平均的な幸福を手に入れるためには、電力が必須の要件なのである。石油を始め、エネルギー問題を軽視していては、貧富の差は拡がるばかりである。やはり神奈川は罰ゲームだったようである。
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しかし、まだまだ気は抜けない。後半戦に向けて、ゾンビの始末を行わねばならない。民主党を滅ぼすと共に、「民主党的なるもの」も同時に滅ばさねばならない。
ポピュリズムがどれほど危険なものか。災害が起こって、その被災者になって始めて知る、というのでは、今まさに被災して苦しんでおられる方々に誠に申し訳ないではないか。負け戦に対して、正直にその負けを認めることさえ出来ない政党に、勝利は永遠に訪れないだろう。それにしても、よくもまあ、あれだけ見苦しい態度が取れるものである。二週間後も、同じ啖呵が切れるのだろうか、大いに楽しみである。