「住民のおかげで活動できた」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【東日本大震災】海外救援初のインド隊



【ニューデリー=田北真樹子】東日本大震災の被災地、宮城県女川町で先月下旬から約10日間、救援活動を展開し、8日に帰国したインド国家災害対策局対応部隊(NDRF)のアロック・アスワティ隊長(41)が9日、産経新聞のインタビューに応じた。アスワティ氏は「被災者の情報だけを頼りに、行方不明者を捜索することは極めて難しい作業だった」と振り返る一方、それでも困難な活動をやり通せたのは「(被災者たちが)隊員に対し外国人としてでなく、地元社会の一員として接してくれたおかげだ」と話した。

 NDRFにとっては今回が初の海外での活動。「ツナミにすべてが流された状態だった。あれほど悲惨な風景は見たこともなく、想像をはるかに超えていた」。救助隊員歴17年のアスワティ氏さえ、女川町の様子に言葉を失ったという。

 電気も水もない。寒さは厳しく雨にも降られた。がれき撤去や行方不明者の捜索はすべて手作業だった。

 「あるのは住民の証言だけ。それをもとに、津波が襲ってきた後、そして、引いた後を想定して場所を特定し作業した」とアスワティ氏。行方不明者を捜す住民にとっても、少しでも情報がほしいインド隊にとっても、お互いがなくてはならない存在となっていく。

ある家屋は、津波によって乗用車が屋上に乗りあげていた。不安定な状態だったが、支柱で固定し「危険で難しい作業」(アスワティ氏)を開始。そして悪戦苦闘の末、乗用車から男性の遺体を発見した。「お父さんです。お母さんも一緒にいたはず…」との家族の証言をもとに再び捜索し、母親の遺体も見つけることができた。

 根気はいるが、手作業がかえってよかった。遺体を傷付けることがなかったからだ。遺体発見後は必ず2分間の黙●(=示へんに寿の旧字体)(もくとう)をささげた。全日程を通して7遺体を収容。がれきや泥に埋もれたお金や貴金属、家族写真なども発見し回収した。

 最終日の6日、活動を終えると、女川町の被災者たちから1冊のノートをプレゼントされた。英語と日本語で感謝の言葉がつづられていた。

 「やりがいを感じた瞬間でした」と顔をほころばせるアスワティ氏。自分たちが確かに、町の一員だった証しのように感じられた。

 「女川は以前よりもさらに美しい町になると信じている。数年後に女川に行って、その復興ぶりをこの目で見るつもりです」


草莽崛起 頑張ろう東北!復活!大日本帝国!

今月2日、宮城県女川町でがれきを撤去しながら、行方不明者の捜索をするインド部隊の隊員ら

                                                      (共同)



草莽崛起 頑張ろう東北!復活!大日本帝国!

      母親の遺体を抱き締める佐藤行義さん。後方はインドの国家災害対応隊員ら

                                   =2日午後、宮城県女川町