菅首相の失政の責任は重大だ。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【主張】大震災1カ月 国家再興へ総力結集せよ。



地震、津波、原発というトリプルパンチに見舞われたこの1カ月を総括すると、日本人が災害の克服に底力を発揮する一方、菅直人内閣の失政が際立っている。

 死者、行方不明合わせて2万7千人超という数字は、今も増え続けている。だが、日本人はさらに犠牲者の多かった大正12(1923)年の関東大震災や昭和20(1945)年の東京大空襲の後も、絶望的な焦土の中から蘇(よみがえ)った。

 今回も東北などに住む人たちは柔軟な適応力で日常の生活を築き上げつつある。衣食足りずとも礼節があったからに違いない。

 ≪官僚機構を活用できず≫

 そうした強靱(きょうじん)な民力に加えて、警察、消防、さらに自衛隊が大挙して支援した。自衛隊の足りない輸送力は米軍が補ってくれた。日米同盟がみごとに機能したのである。日本の底力に諸外国が感嘆したゆえんである。

 東京電力福島第1原子力発電所の事故は、収拾のめどがなお立っていない。だが、大震災から1カ月がたつこれからも、国家と国民の総力を結集して再興へのグランドデザインを描き、それを国家プロジェクトとして決定し、実行していかなければならない。

 このとき、最大の障害になるのが菅首相であると指摘せざるを得ないのは、日本の不幸である。

 「やるべきことをやっていない。今の状態で国政を担当するのは許されない」

 与党出身の西岡武夫参院議長は7日の記者会見で、異例ともいえる首相の進退に言及した。

 この1カ月間の首相の問題行動は、震災翌日に福島第1原発を視察して「事故対応の初動に遅れが生じた」と野党から批判されたことなど、枚挙にいとまがない。

 最大の問題は、いまだにオールジャパンの態勢を組めないことである。官僚組織を束ね、その能力をフル活用せねばならない最高指導者であるにもかかわらず、官僚機構への不信感が先立つためか、使いこなしていない。首相の勉強会といった「政治主導」組織が増殖し、肥大化していては、政府機能は不全化しかねない。

 関東大震災では発生から18日後、首相を総裁とする帝都復興審議会が設けられた。後藤新平内相ら閣僚、財界人に加えて、野党のトップなども参加している。

 震災後1カ月もたたぬうちに後藤を総裁に設立された帝都復興院は、東京の復旧にとどまらず、大規模な区画整理や拡幅の大きい道路建設など災害に強い近代都市づくりを打ち出した。超党派による国難克服が、何よりも優先されねばならないのは今も同じだ。

 だが、菅首相は政権公約(マニフェスト)の抜本見直しに触れることなく、閣僚増員でもって自民党に連立を呼びかけ、断られた。相手に責任を転嫁して政権延命を図ろうとしていることが見抜かれてしまったのだろう。

 ≪底力支える皇室の存在≫

 平成7年の阪神・淡路大震災時には、復旧・復興の関連法16本のうち3本が1カ月以内に、8本が約40日で成立したのに比べ、今回はいまだにゼロだ。菅首相の責任はきわめて重大である。

 大震災の復旧・復興対策に向けて第1次補正予算が検討されているが、4兆円規模といわれる財源案の内訳をみると、子ども手当増額や高速道路の社会実験の中止などマニフェストのばらまき政策から振り向ける分は、5千億円余りにとどまっている。

 その一方で、政府開発援助(ODA)を当初予算の約5700億円から2割削減し、1千億円程度を財源に回そうとしている。

 大震災で幅広い支援を寄せた国際社会に、日本が今後どう応えていくかは大きな課題だ。マニフェストの抜本見直しを放置してODA予算を削減するのは、緊急事態の優先順位を判断できないことを象徴している。

 国民の底力を支えているのは天皇、皇后両陛下だ。東京都内の避難所に続いて、埼玉県加須市の旧騎西高校を訪れ、被災者を励まされた。事態が落ち着けば被災した現地にも入られる見通しだ。

 天皇陛下はビデオを通じても、被災者を案じ、国民に苦難を分かち合うことを直接、呼びかけられた。皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻も避難所を訪問された。

 菅政権の指導力が問題視されるなかで、両陛下と皇族方の励ましが国民に勇気を与え、復興への心のよりどころになっている。