「夕刻の備忘録」 様のブログより。
無為無策の政府が、我々日本人を滅ぼす。日本国を蝕んでいく。次から次へと組織を作り、次から次へと会議を興し、次から次へと税金を投入した結果、民主党が日本にもたらしたもの、それは絶望だけである。我々が暮らしているのは、普通の日本人が差別され、搾取され、災害にあっても見捨てられる特殊な国家である。
総理大臣を自称する男は、次第次第に人間離れした顔になってきた。あの締まりの無い顔は、何処かで見た覚えがあるなと、よくよく思い出してみれば、それは「海底原人ラゴン」であった。涎を垂らしたような、だらしのない口元、その不気味さ。半魚人同様に、家族を連れて、何処か別の世界に消えてはどうか。
疲弊した自衛隊、消防、警察、その他大勢の民間人の努力に報いようともせず、民主党議員のやっていることは、普段の生活をそのまま延長することであった。旅行にエステにボートに政治パーティ。余程、暇を持て余しているとみえる。それとは逆に、忙しい、忙しいと走り回っている議員は全くの空回りであり、その空回りが全てを手遅れにし、絶望へとひた走らせていることにさえ気づいていない。
防衛大臣は、政治パフォーマンスとして、「国民に分かり易いようにヘリを飛ばした」と国会で答えた。放射能が下から襲ってくる、その上空に水袋を抱えた自衛隊のヘリが飛んだ。放射能だけではない、下手をするとその瞬間に原子炉建屋が爆発するかもしれないのである。爆発したその挙げ句、ヘリが真下に墜落すれば、大量のヘリ燃料が四散し、原子炉丸ごと炎上したかもしれないのである。
俗に制服組と背広組という。
自衛官と防衛省官僚のそれぞれの渾名である。
その上に立って防衛大臣がいる。
そして最高指揮官として総理大臣がいる。
彼等の支配をシビリアンコントロール、文民統制と呼ぶ慣わしである。政治家が支配したからといって、戦争の危険性が減るわけではない。ほとんどの戦争は、政治家の最終判断によって行われている。所謂「軍部の暴走」など、それに比べれば少ないものである。
何故か、それは実際に死に直面するのは軍人だからである。戦によって功成り名を遂げ、名誉と栄達を我がものにしたいと願う軍人も確かにいるだろうが、それは極めて少数派である。軍隊そのものを「好戦派」と思うのは、戦いの厳しさを知らない人である。
従って、命の心配の無い、戦いの厳しさ、戦争の修羅場を知らない文民ほど、危険性の算定が出来ず、結果として好戦的になる。シビリアンコントロールの矛盾である。経験の無い者ほど、居丈高になる。まさに民主党そのものである。
★ ★ ★ ★ ★
ところで、防衛大臣は背広組なのか、制服組なのか。両者への指揮権限を持ちながら、一般的な分類では、背広組であり文民であり政治家であることになっている。
ここに甘さがある。命の遣り取りを知らない人間が、好き勝手な注文を現場につけ、挙げ句の果てには政治パフォーマンスの道具として自衛隊を使っている。こんなことが許されるはずがない。今や民主党から国民を護り、日本を護る必要がある。民主党議員に圧力を掛けて、その横暴を許さない仕組を作らねばならない。
自衛官が「服務の宣誓」:
『私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います』
をする以上は、防衛大臣にもこの宣誓書に署名押印して貰おうではないか。よもや異存はあるまい。背広でも制服でもどちらでもいいが、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め」るのが現場だけでは士気も上がらないだろう。
幾ら宣誓したところで、実際に最前線に立つ気も無ければ、立たされる心配も無い立場であれば、せめて形式的にでも自衛官の士気を鼓舞する態度を取れ。これこそ単なる「政治パフォーマンス」と揶揄されることもあろうが、それでも現場の人間は救われるだろう。たとえ背広は着ていても、大臣は俺達と同じ志で職務遂行に邁進してくれている、と隊員達は誇りに思うだろう。
もし、こうした文書に署名していたら、ヘリ隊員の気持ちも少しは分かったのではないか。命令とあれば、それが如何に理不尽なものであっても、即時対応するのが自衛官の使命である。その志を悪用する人間は断じて許すことが出来ない。
国家に忠誠を誓い、国家に命を捧げないような政治家は無用である。国家のために命を捧げる市井の民が、いずれは「国家の敵」を倒すために立ち上がるだろう。今やその筆頭は外敵ではない。多くの被災民を見殺しにし、国民の誇りたる自衛官を顎で使い、日本国そのものの信用を失墜させた民主党政府こそ、敵の本丸である。
我々国民は民主党から日本国を護らねばならない。さもなければ、良識ある国民は全て彼等に滅ぼされてしまう。被災民の苦悩は、我々の苦悩である。特段の警戒心も持つことなく、この期に及んでも傍観者を決め込んでいる人は、今こそ心して現状を見るべきである。どんな状況になっても政府は助けてくれない。民主党は決して動かない。この現実の重みを真面目に考えるべきである。
明日の被災民は、あなたかもしれないのだ!
総理大臣を自称する男は、次第次第に人間離れした顔になってきた。あの締まりの無い顔は、何処かで見た覚えがあるなと、よくよく思い出してみれば、それは「海底原人ラゴン」であった。涎を垂らしたような、だらしのない口元、その不気味さ。半魚人同様に、家族を連れて、何処か別の世界に消えてはどうか。
疲弊した自衛隊、消防、警察、その他大勢の民間人の努力に報いようともせず、民主党議員のやっていることは、普段の生活をそのまま延長することであった。旅行にエステにボートに政治パーティ。余程、暇を持て余しているとみえる。それとは逆に、忙しい、忙しいと走り回っている議員は全くの空回りであり、その空回りが全てを手遅れにし、絶望へとひた走らせていることにさえ気づいていない。
防衛大臣は、政治パフォーマンスとして、「国民に分かり易いようにヘリを飛ばした」と国会で答えた。放射能が下から襲ってくる、その上空に水袋を抱えた自衛隊のヘリが飛んだ。放射能だけではない、下手をするとその瞬間に原子炉建屋が爆発するかもしれないのである。爆発したその挙げ句、ヘリが真下に墜落すれば、大量のヘリ燃料が四散し、原子炉丸ごと炎上したかもしれないのである。
俗に制服組と背広組という。
自衛官と防衛省官僚のそれぞれの渾名である。
その上に立って防衛大臣がいる。
そして最高指揮官として総理大臣がいる。
彼等の支配をシビリアンコントロール、文民統制と呼ぶ慣わしである。政治家が支配したからといって、戦争の危険性が減るわけではない。ほとんどの戦争は、政治家の最終判断によって行われている。所謂「軍部の暴走」など、それに比べれば少ないものである。
何故か、それは実際に死に直面するのは軍人だからである。戦によって功成り名を遂げ、名誉と栄達を我がものにしたいと願う軍人も確かにいるだろうが、それは極めて少数派である。軍隊そのものを「好戦派」と思うのは、戦いの厳しさを知らない人である。
従って、命の心配の無い、戦いの厳しさ、戦争の修羅場を知らない文民ほど、危険性の算定が出来ず、結果として好戦的になる。シビリアンコントロールの矛盾である。経験の無い者ほど、居丈高になる。まさに民主党そのものである。
★ ★ ★ ★ ★
ところで、防衛大臣は背広組なのか、制服組なのか。両者への指揮権限を持ちながら、一般的な分類では、背広組であり文民であり政治家であることになっている。
ここに甘さがある。命の遣り取りを知らない人間が、好き勝手な注文を現場につけ、挙げ句の果てには政治パフォーマンスの道具として自衛隊を使っている。こんなことが許されるはずがない。今や民主党から国民を護り、日本を護る必要がある。民主党議員に圧力を掛けて、その横暴を許さない仕組を作らねばならない。
自衛官が「服務の宣誓」:
『私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います』
をする以上は、防衛大臣にもこの宣誓書に署名押印して貰おうではないか。よもや異存はあるまい。背広でも制服でもどちらでもいいが、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め」るのが現場だけでは士気も上がらないだろう。
幾ら宣誓したところで、実際に最前線に立つ気も無ければ、立たされる心配も無い立場であれば、せめて形式的にでも自衛官の士気を鼓舞する態度を取れ。これこそ単なる「政治パフォーマンス」と揶揄されることもあろうが、それでも現場の人間は救われるだろう。たとえ背広は着ていても、大臣は俺達と同じ志で職務遂行に邁進してくれている、と隊員達は誇りに思うだろう。
もし、こうした文書に署名していたら、ヘリ隊員の気持ちも少しは分かったのではないか。命令とあれば、それが如何に理不尽なものであっても、即時対応するのが自衛官の使命である。その志を悪用する人間は断じて許すことが出来ない。
国家に忠誠を誓い、国家に命を捧げないような政治家は無用である。国家のために命を捧げる市井の民が、いずれは「国家の敵」を倒すために立ち上がるだろう。今やその筆頭は外敵ではない。多くの被災民を見殺しにし、国民の誇りたる自衛官を顎で使い、日本国そのものの信用を失墜させた民主党政府こそ、敵の本丸である。
我々国民は民主党から日本国を護らねばならない。さもなければ、良識ある国民は全て彼等に滅ぼされてしまう。被災民の苦悩は、我々の苦悩である。特段の警戒心も持つことなく、この期に及んでも傍観者を決め込んでいる人は、今こそ心して現状を見るべきである。どんな状況になっても政府は助けてくれない。民主党は決して動かない。この現実の重みを真面目に考えるべきである。
明日の被災民は、あなたかもしれないのだ!