震災と戦闘集団の自衛隊。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【from Editor】3・11大地震




東日本大震災における自衛隊の活躍に接し、取り巻く環境の変化を感じた。

 昭和から平成に入って間もなく、国土庁(以下、当時の名称)を中心に関係20省庁で構成する中央防災会議は「南関東地域震災応急対策活動」計画を練った。関東大震災以上の大規模地震発生を想定した計画だった。その要領の32ページを開き、担任する東部方面総監幹部に指摘すると、彼は言葉を失った。人的・建物「被害の概況に関する情報」収集担当官庁に防衛庁の名がなかったのだ。

 国土庁に取材すると、「国道は建設省、輸送関連施設の被害状況偵察は運輸省といった所管官庁の仕事。縦割りですから」と、臆面もなく答えた。応急復旧も所管官庁が担う。例えば、救援物資・被災者輸送は全日本トラック協会を通して民間業者のトラックと運転手を確保。仮設住宅建設のための資材や作業員はプレハブ建築協会を通じて調達、といった具合だ。

 しかし、想定される状況は「80万6千戸が倒損壊する規模」。交通・電話網は壊滅的打撃を受けているはず。自宅が崩壊し、自分や家族が被災している可能性も高い運転手・作業員といかに連絡を取り、集めるかの発想が全くなかったことに寒気がした。

 各自治体や地方の出先への連絡方法を尋ねた国土庁幹部に至っては「行政無線です」。「行政無線塔は倒壊しないのですか」と突っ込むと「庁舎屋上にありますから」と、意味不明の答え。取材を続ける力が抜けた。

建設省幹部の「自衛隊にまかせるとなると、国会審議など面倒くさいことになる」という発言に“触らぬ神に祟(たた)り無し式”の官僚の本音を見た。しかも「危険がまだ残る状態では、(文官による)被災者救助は当面できないか遅れる」(運輸省幹部)ことを承知で、縄張りを守るのに必死であった。

 「自衛隊外し」は数年後の平成7年、阪神・淡路大震災に最悪の形となって現れる。法の未整備に加え、被災地には自衛隊嫌いの首長が多く、自衛隊出動が遅れ、日頃の疎遠も手伝い大混乱が生じたのだ。あれから16年、阪神・淡路での自衛隊の頼もしい活躍と、大惨事の教訓を契機として「自衛隊外し」は薄れてきた。

 ただ、油断は禁物。自衛隊は国家・国民を守護する戦闘集団である。国民の大多数が自衛隊を「災害救助隊」程度に認識しているとしたら、自衛隊はいまだ、国民の理解を得ていないことになる。(九州総局長 野口裕之)