平成の日本発送電株式会社。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 




「衆の雑感・山田衆三のブログ」 より。






2011年3月11日に発生した未曾有の巨大地震と大津波「東北地方太平洋沖地震」が齎した福島第一原子力発電所の放射性物質漏洩事故では、国からの指示で退避・移転を余儀なくされた周辺住民や営業・操業停止に追い込まれた地元企業、出荷・摂取制限となった農産物の風評被害等も含め東京電力に課せられる損害賠償が巨額(数兆円規模)に膨らむことが確実です。今後、補償能力のない東京電力は、国有化に伴う株式の上場廃止が指摘されています。


政府・民主党政権は、東京電力に損害賠償責任を負ってもらうとしつつも十分に補償できない場合に国が担保すると示唆しており、1961年に制定された「原子力損害賠償法(原賠法) 」を適用します。原賠法では、隕石落下など異常に巨大な天災地変やテロ・戦争など社会的動乱時に国が原子力事業者(今回の場合、東京電力)に課せられた損害賠償を肩代わりする例外措置を設けています。肩代わりの方法は、政府の判断によって損害賠償の全額を免責する場合と、国と原子力事業者の双方が分担して補償する場合があり、震災である今回は後者に該当します。但し、政府に判断する権限があるものの、予算の手当てが必要となれば国会での審議が求められます。


原発事故に伴う損害賠償制度の概要


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<出所>電気事業連合会

原発事故の補償を規定する原賠法では、天災地変や社会的動乱の場合を除き、原則として原子力事業者に損害賠償の責任があると明記しています。国は、原発を手掛ける電力会社に保険の加入を義務付けており、「原子力損害賠償責任保険」を保険会社と結び、事故の場合、原発1ヶ所当たり保険金と国の補償で最高1200億円が支払われます。また、国と「原子力損害賠償補償契約」を結び、電力会社の責任が免ぜられた原子力損害や保険限度額を超えた場合は、国が被害者の保護を行うために必要な措置を取ることで、電力会社と国が一体となって原子力損害を填補する仕組みになっています。


東京電力は、計画停電(輪番停電)や自主節電によって首都圏等で「電気」という公共性の高いインフラストラクチャー(社会資本)に甚大な打撃を与えているほか、復旧に向けた福島第一原発の廃炉と新たな発電所の建設も重い負担となって圧し掛かり、既述の賠償金支払いに加え、原発の処分費用、原発の替わりに火力発電所を新設するならば液化天然ガス(LNG)など燃料費も含めた相当な設備投資、社債・長期借入金の返済等を賄えなければ民間企業としての体を成さないことから、国有化することで経営陣への責任追及を厳しく行い、国の支援のもと再建計画に取り組んでいる日本航空(JAL)と同じく経営陣の刷新や株式の上場廃止が免れません。


東京電力の国有化を機に電力供給体制を抜本的に見直すべきであると考えます。ベースロード(基幹電源)となる全国の原発を国家管理の下で運営し、原発事故が発生した場合の迅速な対応や政府との連携を密に図り、的確な情報開示や説明責任の徹底によって安全面を強化します。また、非常時も含めて東日本と西日本の電力融通を円滑に行うため、東西エリアで周波数が異なる電力系統を統一します。そこで、これらを担う組織として過去の事例が参考になるでしょう。


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<出所>東京電力

※)ヘルツ=周波数の国際単位で、1秒間に1回の周波数が1ヘルツ

明治時代の1893年に東京電燈(現:東京電力)がドイツ製の50ヘルツ供給発電機を、ほぼ同時期に大阪電燈(現:関西電力)が米国製の60ヘルツ供給発電機を採用し、今日まで続く東西エリアで異なる周波数の原因とされており、静岡県の富士川から新潟県の糸魚川あたりが境となっています。


第二次世界大戦が勃発した1939年から終戦以降の1951年まで12年間に亘り存在した「日本発送電株式会社」は、政府の電力国家管理政策に即して東京電燈など全国の電力会社の現物出資や合併によって設立された半官半民(事実上の国策)の特殊会社でした。国内では、1937年に始まった日中戦争(支那事変)が激化するなか、軍部の台頭によって戦時統制が色濃くなり、当時の第一次近衛文麿内閣は、「国家総動員法」と共に「電力管理法」・「日本発送電株式会社法」・「電力管理に伴う社債処理に関する法律」を1938年に制定しました。これらの法律に基づき日本に散在する全ての発送電施設を国家が接収し、接収した発送電施設を電気庁(現:資源エネルギー庁)所管の日本発送電株式会社が一元的に管理・運営することとなりました。終戦後、日本発送電株式会社は、日本を占領下に置いた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指導により過度経済力集中(独占)状態から分割・民営化など組織再編の紆余曲折を経て1951年に解散となり、現在の全国9電力体制(沖縄電力を除く)に移行しました。


地震・津波・原発事故による大規模な広域複合災害という前代未聞の国難を乗り越え、日本のエネルギー政策をパラダイム・シフト(大転換)するため、先達の経験の積み重ねである歴史から学び、“平成の日本発送電株式会社”とも呼べる組織を現代に甦らせる必要があるように感じます。


【以下URLもご参照ください!】

『衆ノ雑感』山田衆三のブログ

「東北地方太平洋沖地震の復興対策」http://yamada-shuzo.dreamlog.jp/archives/52046432.html