【幕末から学ぶ現在(いま)】(106)
天皇陛下は3月16日、東日本大震災の被災者や国民に向けてビデオメッセージを寄せられた。陛下がビデオでお考えやお気持ちを人びとに述べられるのは初めてだという。私はNHKテレビでメッセージを謹聴していたが、すべての方面への気配りと激励にあふれたお言葉に感動したのは私だけではないだろう。
犠牲者を悼まれた後、陛下は多くの人びとの無事を願われ、被災者の状況が少しでも好転し、復興への希望につながっていくことを願望された。「何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています」
これは誰にも不平不満を言わず、全力で試練に立ち向かっている被災者に対する国民の敬意を代弁されたものともいえよう。
さらに、原発関係者の修復努力、自衛隊・警察・消防・海上保安庁の救援、外国人と日本人ボランティアが「余震の続く危険な状況の中で、日夜救援活動を進めている努力」に感謝され、労を深くねぎらっておられるのだ。そして、世界各国の元首の相次ぐ見舞いが届いていることを紹介され、各国国民の気持ちが被災者とともにあると添えられた言葉に触れられ、被災者を激励することをお忘れにならない。
陛下は、海外でも日本人が「取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多い」と述べられた上で、「これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えること」を心から願われた。
そして、メッセージの掉尾(ちょうび)を国民のすべてにとって励みとなる素晴らしいお言葉で結んでおられる。
「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、さまざまな形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています」
これほど見事なバランス感覚に富んだ文章を私は知らない。歴史にも長く残ることであろう。陛下のメッセージが私たちの心を打つのは、少しも飾らない文章が誰にも分かりやすく、お心のうちを包み隠さずに吐露される誠実さが人を感動させるからであろう。
◆国難の時、鼓舞する御製
こうしたメッセージは、国や人びとが困難な状態にあるとき、しばしば歴代天皇によって発せられてきた。なかでも陛下の曽祖父にあたる明治天皇は、生涯の御製(ぎょせい)が九万余首の多きに上り、在世中から世の中に漏れ聞こえてきただけでも五百余首ある。そのなかには今回の大震災のような未曽有の国難や試練に遭ったときに、国家と国民を何とかして鼓舞したいと願った御製も多い。いちばん有名なのは、明治37(1904)年に戦端が開かれた日露戦争の折に詠まれた和歌である。
しきしまの大和心のをゝしさは
ことある時ぞあらはれにける
日本国民の大和魂は雄々しいものである。たとえ平時には現れなくても、一朝事のある時には自然と外に現れるものではある。もちろん、帝国憲法下の天皇と戦後新憲法の象徴天皇とでは、国制上の位置も役割も当然異なっている。歴史や時代の感性も違うことは述べるまでもない。それでも、明治天皇の御製には「取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していること」や「これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えること」を訴えかける陛下のお心に共通する励ましの響きが感じられる。
◆勇猛の元は敷島の大和魂
次に挙げる和歌も同じ明治37年の御製である。
山をぬく人のちからも敷島の
大和心ぞもとゐなるべき
『史記』(項羽本紀)にある「抜山蓋世(ばつざんがいせい)」とは、力は山を抜き気は世をおおうほどに勇壮な気性を表すという意味である。明治天皇は、山を抜くくらいの勇猛な力の出所は敷島の大和魂が基礎である、と詠みたかったのだろう。
現代では「大和心」や「大和魂」という表現を日常使う人も少ない。しかし、こうした言葉をあえて使わずとも、東日本大震災の被災者の克己心や救助者らの犠牲的献身ぶりを見るにつけて、日本人としての精神力のたくましさやヒューマニティーを感じざるをえない。そして国民を励まそうとする心こそ、明治天皇の御製から陛下のメッセージに共通するお気持ちではなかろうか。
(やまうち まさゆき)
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【プロフィル】明治天皇
めいじてんのう 第122代天皇。諱(いみな)は睦仁(むつひと)。嘉永5(1852)年、孝明天皇の第2皇子として生まれる。慶応4(1868)年に即位、同年「明治」に改元。明治22(1889)年の帝国憲法公布、27~28年の日清戦争、37~38年の日露戦争などを通じ、近代国家日本の君主として国民の畏敬を受ける。明治45(1912)年7月、崩御。
明治天皇の最も有名な肖像
=東大法学部明治新聞雑誌文庫所蔵(東大史料編纂所古写真データベースから)