【東日本大震災】
「砂嵐のような津波が…」
大津波により沿岸部が壊滅的な被害を受けた福島県南相馬市。津波は海岸線から約2キロ付近までにあったすべてをさらっていった。
「海の方で砂嵐のような煙が立っていると思ったら、それが津波だった」。地震から一夜明けた12日、こう話す同市原町区上渋佐の自営業、井上一幸さん(46)の自宅周辺もまた、津波に襲われ激しい被害を受けた。そのなかには、多くの被害者を出した高齢者施設「ヨッシーランド」もある。残された建物の壁には、大人の背の高さあたりに泥が付着していた。
地震発生当時は、内陸部で仕事をしていたという井上さん。立っていられないような揺れが収まった後、母親が一人で残っている自宅が心配になり、駆けつけようとした。まもなく自宅に到着する。その直前に見えたのが、“砂嵐”のような海水だった。
「地面から2メートル以上の高さに見えた」という津波は、あっという間に目の前に押し寄せてくる。「早く逃げろ!」という周囲の人の声で、自宅に向かうことを断念。避難所に逃げ込んでまもなく、全身をびしょぬれにした母親と再会した。井上さん宅は、まさに津波の最高到達地点。母親は、いったん津波に流されかけたが、自力ではい上がり、九死に一生を得たという。
近くの民家前には毛布を掛けられた遺体が2体、道路に横たわっていた。付近に住む女性は「このあたりの人ではない。遠くから流されてきたのかも」と悲しげな表情を浮かべる。
「ここから先、海の方には60戸ぐらいの集落があったのに、すべて流されてしまった…」。自宅周辺の様子を見に来たという男性がそう話してくれた直後、急にサイレンが鳴り響いた。
「津波警報が発令されました!」という叫び声。「早く、ここから離れて!」という声とともに、惨状を呆(ぼう)然(ぜん)と眺めていた住民たちも、さっと表情を変え、内陸の方へ駆けだしていった。