「黒田裕樹の歴史講座」 より。
昭和天皇によるご巡幸は、昭和21(1946)年2月の神奈川県下の昭和電工(しょうわでんこう)を振り出しに、昭和29(1954)年8月の北海道ご視察(しさつ)まで日数にして165日、延べ3万3千kmにも及びました。
最初のご巡幸先である昭和電工の付近は終戦後にアメリカ軍が接収(せっしゅう、権力機関が個人の所有物を強制的に取り上げること)しており、我が国の中でも占領色が一段と濃(こ)い場所でした。それだけに、会場には外国のカメラマンやアメリカ兵たちがひしめき合っており、彼らによって昭和天皇はあちこち引っ張られるなどもみくちゃにされました。
しかし、陛下は全く意に介(かい)されずに社長の説明を静かにお聞きになり、また工員たちには「生活状態はどうか」「食べ物は大丈夫か」「家はあるのか」など細(こま)かくお尋ねになりました。外国人から何をされても「耐(た)え難(がた)きを耐え」、また口先だけとは考えられない陛下の工員たちに対するお優しいお姿に、涙が止まらない人もいたそうです。
「わざはひを わすれてわれを 出むかふる 民(たみ)の心を うれしとぞ思ふ」
昭和21年のご巡幸の際における陛下の御製です。
http://www.youtube.com/watch?v=ydyFpuWfcPs&feature=player_embedded