独裁国家を見捨てる日。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





【湯浅博の世界読解】




チュニジアから始まった中東の「政権の崩壊」にはいくつかのパターンがあるようだ。エジプトのムバラク政権倒壊は、30年にわたり君臨したインドネシアのスハルト政権が崩壊したときのようであった。

 ジャカルタでは、スハルト一族とその取り巻きに対する国民の不満と政治不信が極限に達していた。退陣要求デモが拡大したのは1998年の年初からだった。

 国会周辺がデモの波に埋まり、軍は強硬策に出られない。実力者の調整相が閣僚の辞表をとりまとめ、軍司令官が「もはや支え切れず」と引導を渡した。

 エジプトの場合は、副大統領に政権を委譲して大統領が9月の任期での退任を宣言した。軍がこれを追認して暫定的に統治する。

 インドネシアの成功は、軍が分裂せずに憲法体制の維持に努めたことにある。ムバラク後の安定もまた、軍が突出せずに民主化と経済成長を手繰り寄せることができるかにかかる。

 興味深いのは、何が政権打倒の引き金になったかである。インドネシアの場合は、経済危機が若者たちの不満に火をつけたが、エジプトの反乱は逆に、体制変革を求める裕福な活動家たちが主役だった。2005年ごろから、30歳の土木技師が「変革のための若者」を組織化した。いったんは弾圧されたが、交流サイトのフェイスブック・グループを拡大させた。

よりどころは、非暴力戦略を唱えた米国の思想家ジーン・シャープ氏の著作であったという。これがネット上に流れて、民主化要求の巨大なうねりを起こした(2月13日付インターナショナルヘラルドトリビューン紙)。

 これと対照的な「政権崩壊パターン」の進行はリビアである。最高指導者、カダフィ大佐が抑圧を強化する「天安門」型だ。

 カダフィ大佐は2月22日、リビア国営テレビ演説を通じて「最後の一滴の血が尽きるまで戦う。天安門事件のようにたたきつぶす」と豪語した。いかに政治指導者に従う軍とはいえ、生身の自国民に引き金をひくのは難しい。

 1989年に起きた天安門事件は、闇夜に殺戮(さつりく)命令が出された。暗闇なら相手の顔が見えず、軍も残忍な行為を決行できると考えたか。手段を選ばない政治指導者の冷静かつ残虐性が表出した。

 しかし、リビアの専制指導者は石油を独占し、潤沢な資金で傭兵(ようへい)を雇ってこれを命じた。体制維持のためには、冷酷無比な決断を下す指導者たちである。

 それにしても、カダフィ大佐があの天安門事件を「国民虐殺モデル」の典型としてあげたことに、中国の要人たちは大いにあわてたことだろう。中国が現代史から消し去りたい陰鬱な事件である。日中共同歴史研究でも、中国側研究者がテーマから近現代史をはずすよう働きかけていたことからもそれが分かる。

 いまも、中国は、民主化ドミノが到来することを必死に防いでいる。彼らとの共通項は独裁政権であり、汚職、縁故、強権、抑圧などが残存しているからだろう。

 中国当局者が防御態勢を敷いたのは冷戦崩壊以来、何度目になるだろう。自由と民主化と人権が国民に与えられない限り、デモがなくならないことは中南海の指導者がよく知っている。いずれ、国民が独裁国家を見捨てる日がやってくる。(東京特派員)



加賀千草・黒田奈瑠美・大矢真夕・木下優樹菜・大島優子・益若つばさ・桃・秋元才加・佐々木希・美脚・美尻