【宮家邦彦のWorld Watch】
今度は中東全体が揺れ始めた。一部メディアはフェイスブック「革命」が中東全域に「波及」し始めたなどと連日報じている。本当にそうなのか。筆者は懐疑的だ。騒乱は連鎖しても、政変は必ずしも連鎖しない。各国の内情はそれぞれ微妙に異なっているからだ。
市場は日々の報道に一喜一憂している。ここで安易な悲観論を弄するのは簡単だが、筆者はあえて歴史を見詰めたい。過去三十余年の中東現代史を改めて振り返ることが、同地域の今後の潮流を知る近道だと信ずるからだ。
現在の中東各地の騒乱の「原点」は1978~79年のイラン・イスラム革命である。パーレビ体制の崩壊は当時の中東地域に津波のような地殻変動をもたらした。イランに戦略的「真空」が生まれ、1979年末には当時のソ連がアフガニスタンに侵攻を始める。
イランの不安定化を見た米国は中東和平問題の解決を急ぐ。1978年9月にはキャンプ・デービッド合意が、79年にはエジプト・イスラエル平和条約がそれぞれ結ばれ、現在のパレスチナ問題をめぐる基本的枠組みが出来上がった。
翌1980年には湾岸の覇権を狙うイラクが革命直後のイランを攻撃した。イランに勝てなかったフセイン大統領は1990年、クウェートに侵攻する。翌年の湾岸戦争により米国は湾岸の安保に直接関与するようになった。筆者は勝手に、これを「1978年体制」と呼ぶ。
同戦争前後に生まれたのがアルカーイダだ。2001年には9・11米中枢同時テロが発生し、米国はアフガニスタンとイラクに軍事介入する。当然イスラム過激派の活動は、中東地域だけでなく、全世界に波及していった。すべては1978年から始まっている。
筆者の外務省入省はその原点の1978年だ。あれから三十余年、中東地域の戦略地図は基本的に変わっていない。地中海方面ではエジプト・イスラエル平和条約が、湾岸方面ではイランと米国の対峙(たいじ)が、中東地域の脆弱(ぜいじゃく)な安定を辛うじて維持してきたといえる。
「1978年体制」の特徴は、関係国のほとんどが宗教専門家や伝統的な部族連合型など正統性を欠いた統治であることだ。イスラエルとトルコを除けば、どれ一つとして近代的な民族国家、市民国家と呼べる国はない。
多くの国で長期独裁政権が続き、指導者たちは高齢化する。スンニー、シーア双方ともイスラム過激派が台頭する。健全な中産階級が育たず、貧富の格差が拡大し、若年貧困層の不満が高まる。まるで何かが壊れ始めたかのように、である。
リビアにせよ、イランにせよ、現在の中東情勢はこの「1978年体制」の制度疲労が来るところまで来たことを示しているのではないか。万一、このシステムが崩壊すれば、過去30年間これに依存してきた欧米諸国や日本は政策の見直しを迫られるだろう。
どの国の指導者が今回の騒乱の「連鎖」を生き延びるかはいまだ分からない。独裁者の「代替わり」だけで現状が維持されるか、1978年に進んだイスラム化がさらに続くのか。どちらに転んでも、中東イスラム地域が民主化・安定に向かう可能性は低いだろう。フェイスブックやツイッターは変化の「触媒」ではあっても、決して「原因」ではない。真の原因を知るためには各国の「制度疲労」を個別に詳しく検証する必要がある。日本も、総辞職だ、パンダだ、などと言っている場合ではないと思うのだが…。
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【プロフィル】宮家邦彦
みやけ・くにひこ 昭和28(1953)年、神奈川県出身。栄光学園高、東京大学法学部卒。53年外務省入省。中東1課長、在中国大使館公使、中東アフリカ局参事官などを歴任し、平成17年退官。安倍内閣では、首相公邸連絡調整官を務めた。現在、立命館大学客員教授、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。
リビア・ベンガジで、治安部隊の戦車の上に立つ住民ら(AP)