松下政経塾と前原誠司 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





「夕刻の備忘録」 様のブログより。



塾という言葉から連想するものは何だろうか。

動乱期において極めて短期間に多くの人材を輩出した吉田松陰「松下村塾」のイメージだろうか。あるいは隣のおじさん、おばさんが細々とやっている「そろばん塾」「習字塾」のイメージだろうか。眦を決した国を憂う青年の集まりか、はたまた笑い声の絶えない子供達の集まりか。

松下政経塾はこの両極端の何処の辺りに位置するのであろうか。大それた組織でないことだけは確かである。紹介HPの「求める人材」には以下のように書かれている。

『歴史を顧みれば、困難な時にこそ人物は生まれる。時代が人物を作ると言ってもいい。今こそ、真の指導者、私心を捨てて日本を背負っていこうとするリーダーが求められている。
 創立者・松下幸之助は、この松下政経塾から名人と呼ばれるような人物が生まれることを切望した。決して、政治家を量産することのみを願っていたわけではない。
 まず、塾が志願者に求めるのは、「志」であることは言うまでもない。松下政経塾は自分の利益にならないことでもリスクを取って行動できるリーダーを求めている。公のために志を掲げて、困難を乗り越えていく実践者こそ、塾が求める人材像だ』

専任の講師がいるわけではなく、取り立てて新しい教育システムがあるわけでもない。全ては自学自習に委ねられている、この辺りが「塾」の塾たる所以なのかもしれない。

にも関わらず、いやだからこそ、と言うべきか。多数の政治家を輩出している、その八割方は民主党議員である。

 
http://www.mskj.or.jp/sotsu/giin.html

しかもその大半は「経歴ロンダリング」ではないか。大学卒業後の具体的な進路が無かった末での格好の「避難場所」だったのではないか。前原誠司はその典型例であると思われる。

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その履歴には「京都大学の高坂ゼミ出身」であると書かれているが、大学院への進学を拒絶されたことは書かれていない。恐らくは「政治学者への道よりは、政治家への道を勧められたのであろう」。古くは土井たか子も同様であった。学者としての精緻な考え方の出来ない学生、実質よりはパフォーマンスに走りがちな学生に、教授が送る「餞の言葉」である。要するに、「君に学者は無理だ。うちでは面倒見切れん!」と言われているのである。

国の指導者はエリートがなるものである。

エリートとは学歴・経歴のことではない。何事にも怯まず、意志あるところ、何事も成し遂げる強い人間のことである。君は学者には向かん、政治家に「でも」なればよろしい、と言われる人間は決してエリートではない。万能選手である必要はないが、外れ籤のような発想で政治家になられては国民が堪らない。

本来なら、「君こそ次代の学会を担う存在だ、是非大学に残ってくれ」と言われる程の人間が、「いや、私はもっと直接的に国家に貢献したいのです」と言って、教授の嘆願を振り切って政治家になる、それが本筋であろう。そのレベルの人間を我々は求めているのである。そのレベルでなければ、国家の経営など任せられる筈がないのである。

学者として一流、経営者として一流、しかし政治の道を私は選らんだ、という人間でなければ、どうして国民が安心して暮らすことが出来ようか。勿論、何もかも三流以下だが、こと政治に関しては天才的である、という話は「おとぎ話」としては面白いが、全く現実的ではないのである。本当にそんな人間がいる、と考える人がいるなら、その人は余りにも政治を舐めている、と言わざるを得ない。

かつて田中角栄はこう言った。「自分の会社を倒産させるような奴に、国の経営が任せられるか。日本を倒産させられたらたまらんじゃないか」。当時、ライバル視された河本敏夫に対して、河本のオーナー企業である三光汽船の倒産に絡めて、こう言い切ったのである。

内外の大学・大学院に学び、会社を経営し、労使交渉を経験し、海外進出を果たし、銃弾飛び交う地域での開発を進め、青年会議所の会頭を務め、スポーツの国際大会で優勝し、オリンピック代表選手として日の丸の重みに泣いた。恐ろしく数字に強く、抜群の記憶力を持ち、冗談が得意で皮肉が上手い。ここまでの漫画の登場人物的な経歴は望まない。しかしながら、大学ですら相手にされなかった人物なら、「その反動で何かを成し遂げました」などという「恨み辛みの物語」しかない人物なら、何としてもお断りしたいのである。

それは素直さに欠けるから。伸びやかさに欠けるから。
捻くれているから。余裕がないから。
その結果、弱者の立場が理解出来ないからである。

これは「自らが弱者であった」という人間にほど多い、病気のようなものである。「自分語り」「過去語り」が好きな人間が嵌る罠のようなものである。自らを弱者であると規定し、そののち弱者を否定し、それを乗り越えることを生き甲斐としてきた人間は、結局の所、弱者の痛みは理解出来ないのである。それを乗り越えた「自分は立派」であり、乗り越えられない人間に対しては、その「努力不足」を指摘し、その「不幸に同情する」ことしか出来ないのである。共に乗り越えようという発想は、この種の人間から出て来ることはない。

こうした分析が正しいか否か。それはその人物の日々の行いが示しているだろう。この一年半に及ぶ期間、常に閣僚であり続け、そして何事も為し得なかった。やることなすこと全てが的外れで、場当たり的であった。一貫していたのは傲慢な態度だけであった。己の感情すらコントロール出来ない人間が、国家をコントロール出来る筈がない。己の利己心すら超克出来ない人間が、世界の利己心と戦える筈がない。

弱者気取りが真の弱者を理解出来る筈もなく、庶民気取りが真の庶民を救える訳もない。元より政治家が庶民である必要など毛頭ない。庶民ならここにいる。ここにもそこにも大勢いるからである。庶民が庶民を救えるなら政治家など無用ではないか。

我々はエリートを求めているのである。人生の行く先々で着実な成果を挙げて、その結果として登場してくる意志ある人物を求めているのである。不合格者の敗者復活戦に国政を利用されては、国が滅びる。