【日曜経済講座】米景気回復策の代償
◆広がる物価高騰の波
今年に入って米国景気が少し上向き、世界はリーマン・ショック後の低迷から立ち直るかと思いきや、一部の地域が騒然としてきた。自然災害が頻発し、国際投機マネーも原油や穀物などになだれ込んで食料などの物価を高騰させているためだ。国際商品価格上昇のあおりをまともに受けたチュニジアやエジプトで民衆の不満が爆発したことで、日米欧と中国など新興国の20カ国・地域グループ(G20)は急遽(きゅうきょ)、投機への監視体制創設を話し合うことになった。
今回の物価高騰の波は国際商品市場を経由してグローバルに広がり、しかも一過性で済みそうにない。国際通貨基金(IMF)統計によれば、国際商品価格総合指数は2010年後半から騰勢を強め、最近では前年比で20%以上に達している。今年のG20の議長国であるフランスは、18、19日にパリで開くG20財務相・中央銀行総裁会議で各国の市場監視機構と連携して国際商品取引の情報収集・監視案を提示するもようだ。
米国などの投資ファンドは投機を通じて、実際の需給関係以上に商品相場をつり上げる。先例は2008年の春から夏にかけての原油や穀物相場の高騰だ。前年に起きた米国の低所得者向け高金利型住宅融資(サブプライムローン)危機後の金融不安を緩和するため、米連邦準備制度理事会(FRB)はドル資金を金融市場に投入したが、多くが投資ファンドを通じて原油や穀物投機に回った。
今回の場合、穀物投機のスケールは08年をはるかにしのぎそうだ。まずは異常気象による供給面への影響である。ロシアの猛暑や米国の大雪、オーストラリアの洪水が昨年から今年にかけて相次いでいる。需要面でも中国など新興国で肉や砂糖、さらに石油消費が急増している。米国の景気復調が本物なら、石油需要はさらに盛り上がる。
しかも、投機勢力の“軍資金”はこれまでになくたっぷりある。資金供給源は他ならぬドル印刷機である。FRBは「リーマン」後、現在までに1兆4千億ドル以上も資産を増やし、その分新たなドル資金を市場に流し込んできた。08年前半の場合、FRBが金融市場に注入した資金は300億ドル程度で、しかもFRBは短期間で市場から余剰資金を引き揚げた。おまけに同年9月のリーマン・ショックで商品相場は一斉に暴落した。
もちろん、FRBの資金供給の狙いは商品市況の押し上げではない。紙くずになりかけた住宅ローン担保証券などを金融機関から買い上げて不安を和らげる。大手金融グループは投入された資金を使って株式投資し、株価を引き上げる。昨年夏から現在までの米国株価の値上がりで、米国の家計は日本円換算で300兆円、日本のGDPの6割相当ほど富を回復した。おかげで個人の消費心理は好転し、景気が上向いている。ところが垂れ流されたドル資金は投資ファンドなどの手によって、より確実に値上がり益が見込める商品市場に向かう。
◆チベット騒乱の悪夢
国際商品価格の上昇は、各国の消費者物価を押し上げるが、地域や国によって影響度は異なる。グラフの2008年が示すように、中東・北アフリカやサハラ砂漠以南のアフリカ地域が最も影響を受けやすい。アルジェリア、チュニジア、エジプト、イエメンと中東・北アフリカで騒乱が続いているのは偶然ではないし、インフレが長期独裁の政治体制への不満を一挙に爆発させた。
エジプトなどの政変を見て、気が気でないのは共産党一党支配を続ける中国の指導部である。最近では消費者物価上昇率が中国にとっての警戒水準である5%を上回っている。おまけに小麦は長引く干魃(かんばつ)のために不作になりそうで、国内産では需要に追いつかない恐れが強い。食料を中心にした物価上昇はさらに加速しそうだ。08年3月、食料価格が前年比で30%以上も上がったチベットで騒乱が起きた悪夢を胡錦濤党総書記は思い出しているはずだ。中国人民銀行が8日、昨年10月以降3度目の利上げに踏み切った背景でもある。
◆不況下インフレ警戒を
日本はどうか。このまま石油や穀物の値上がりが続けば、消費者物価は上がる。しかし日本経済の宿痾(しゅくあ)は物価下落以上に所得が下がる慢性デフレである。輸入物価の上昇は細る家計や中小企業、零細商店から富を奪い原油などの産出国に移転させる。不況下のインフレ、「スタグフレーション」に見舞われる。景気は二番底にはまろうとも、インフレ懸念を口実に日銀はゼロ金利政策をさっさと打ち切るだろう。与野党は政略に没頭している場合ではない。