皇室と歴史の軽視。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








【休暇分散化構想】受難の祝日 

背景に歴史と皇室軽視 GHQのトラウマなお



民主党の「休暇分散化」構想は、祝日・休日の由来も目的もないがしろにしてきた戦後日本の一つの象徴的事例だろう。こともあろうにわが国の連休を決める際、中国の建国記念日に配慮するとは…。11日は「建国記念の日」。現政権にこの祝日の重みを感じている人はどれだけいるのか。

 「これから中国の皆さんが100万人、200万人、300万人と日本に観光に来るんです!」

 昨年7月3日、菅直人首相は甲府市での街頭演説でこう語り、富裕層に限られた中国人の個人観光客向けのビザ(査証)発給要件を同月から中間層にまで緩和したことを「政権交代の実績」と自賛した。

 長引く景気低迷を受け、中国人観光客誘致による経済効果に期待したい気持ちは理解できる。だが、祝日は「国民こぞって祝い、感謝し、または記念する日」(祝日法第1条)だということをご存じか。観光客の都合に合わせ好き勝手に動かしてよいものではない。


脈絡ない“衣替え”


 祝日・休日がこのように軽く扱われる背景には、もともと国民と皇室・歴史との結びつきを弱めようとした連合国軍総司令部(GHQ)の方針がある。

 GHQの「神道指令」により、戦前12日あった「祝祭日」は祝日から排除され、代わりに9つの「国民の祝日」が制定された。

 神武天皇が即位したとされる「紀元節」(2月11日)が「建国記念の日」となったのはまだ分かる。だが、明治天皇誕生日の「明治節」(11月3日)が「文化の日」に、天皇陛下が神々に新穀をお供えし、自らも召し上がりになる「新嘗祭(にいなめさい)」(11月23日)が「勤労感謝の日」へと衣替えしたのは脈絡が分からない。


残ったトラウマ


 日本がGHQのくびきから逃れた後もトラウマは残った。祝日は、皇室の歴史的・文化的地位を貶(おとし)めたいリベラル勢力や、安易に選挙対策を優先させる政党・政治家の思惑が複雑に交錯し数々の危機を迎えた。

 昭和天皇誕生日の「昭和の日」(4月29日)も、平成18年までは意味不明の「みどりの日」(現在は5月4日)とされていた。

 自民、公明両党の連立政権時の19年にも危機があった。公明党の発案で11月に秋のゴールデンウイークを作るため「文化の日」の前後に「体育の日」(10月の第2月曜日)と「勤労感謝の日」を移して3連休とする構想が浮上したのだ。

 「安易に祝日を変えるべきではない。皇室ゆかりの祝日はなおさらだ」

 このときは自民党の故中川昭一政調会長(当時)が猛反対し、構想は立ち消えとなったが、もし構想が進めば勤労感謝の日は形骸化していたに違いない。

 祝日を軽んじがちの民主党政権で、数は少ないが正論を吐く人もいる。民主党出身の西岡武夫参院議長もその一人だ。

 「いやしくも国家の基本精神に関する国の祝日である以上、政府が率先してこの日を祝うことは極めて当然のことである」

 西岡氏は1月26日、「建国記念の日」に政府主催の祝賀式典を開催すべきだとする書簡を首相あてに提出した。2月に入り首相サイドから「検討する」との回答はあったが、政府主催の祝賀式典はなお実現していない。


                                     (阿比留瑠比)







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                主な国民の祝日の由来と変遷