【日本発 アイデアの文化史】
■30年前「ジャイロ」で実用化
テレビの中身を知らなくたってちっとも困らない。カーナビだってそうだけど、きっちり目的地に連れてってくれるその仕組み、考えてみれば摩訶(まか)不思議。
たとえば「地図を読む」。それだけのことも、分析するとかなり複雑だ。紙を埋め尽くす線のかたまりを眺めつつ、道の方向や建物の配置、山や川といった地形から見当をつけて現在地を特定する。さらに目的地を探し、どの方向に向かえばいいか考えて…。
そんな脳内作業は、人工衛星からの信号を位置特定に使う「衛星利用測位」によって自動化された。信号が緯度経度や高度という“絶対的な位置”を伝えてくれるから、ボタン一つ押せば、電子地図の上に現在地が点滅…なんて、いまや当たり前だ。
現在市販されているほとんどのナビゲーション装置は、平成5年に民間利用が始まった衛星利用測位システム(GPS)を使っている。だけど、世界初のカーナビが登場したのは、なんと今から30年前の昭和56年。GPSなんて影も形もなかった時代だ。いったい、どうやったのか。
東京・南青山の本田技研工業本社を訪ねて、当時のプレスリリースを見せてもらった。
《世界で初めて自動車用にジャイロを実用化した、慣性航法装置「ホンダ・エレクトロ・ジャイロケータ」を発売》
高度なエレクトロニクス技術と精密なガスジャイロの開発によって可能になったまったく新しいシステムだ、と誇らしげに記されている。
ジャイロは、慣性力を利用して、移動する方向や加速度を計測する機械。すでに飛行機や船舶には使われていた。それを自動車にも、という発想だった。
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いまも1台だけ健在という「エレクトロ・ジャイロケータ」を実体験したかったが取材日程が合わず、作動中の映像を見せてもらった。現行商品と形状が変わらないのが驚き。地図の上に走った軌跡が表示される。ちなみにGPSが普及したいまも、車載ジャイロは併用されている。出発点にして業界標準。まさにカーナビの元祖だ。
ただ、使い勝手はあまり良くなかった。誤差は大きかったし、そもそもジャイロが計測できるのは出発点との“相対的な位置”だけ。移動量を足していくのだが、最初に手作業で出発点を地図と合わせる必要があった。
その地図も透明シートに印刷されたアナログなもの。地図が切れるまで走ったら、紙の地図を繰るのと同じように、車を止めて次の地図と差し替えなくてはいけなかった。地図のフォルダーは電話帳並みに分厚かった。いかにも面倒くさい。
2代目アコードのオプションとして販売されたこの「エレクトロ・ジャイロケータ」。お値段は29万9千円。当時の物価を考えれば超高額商品で、売れたのは約100台だった。
「とにかく手差しの地図を何とかしよう、と。そのうちに記録媒体も進化して、レーザーディスクに全国の道路地図を入れることができたんですが…」
いま同社でインターナビ事業室の室長を務める今井武(57)は、「エレクトロ・ジャイロケータ」の改良に取り組んだときの失敗談を苦笑いしながら語ってくれた。社内でのお披露目にはこぎつけたが、「ずっと東北自動車道を走っているのに、画面上では光点がどんどん道を外れていく。和光市(埼玉県)の工場を出て、鹿沼IC(栃木県)にさしかかるころには20キロもずれていて…」。商品化は見送られた。
デジタル地図とGPSを使った第2世代のカーナビが登場するまで、初代から約9年の空白があった。いま思えば早すぎる発明だったが、今井は言う。
「便利で面白いものを作ろうというのは社風みたいなもの。技術で人の役に立つこと。その思いはいまも変わっていないですよ」
以来、カーナビは進化し続けた。100台しか売れなかった「エレクトロ・ジャイロケータ」の子孫たちは、単なる便利グッズの域を超えて、渋滞緩和や災害支援などにも活用されるまでになる。=敬称略(篠原知存)
昭和56年に発売された世界初のカーナビ「エレクトロ・ジャイロケータ」。
手前はガスジャイロのカットモデル(本田技研工業提供)
インターネットも利用する最新型のホンダ・インターナビシステム