【消えた偉人・物語】勝安芳(海舟)
昭和16年改訂の国定修身教科書には、勝安芳(かつ・やすよし)(海舟は号)が蘭和対訳辞書『ヅーフ・ハルマ』を筆写したエピソードが載っている。
蘭学を志した勝が、貧しかったために辞書が買えなかったが、辞書を持っている人に賃料を払って借り、1年かけてそれを筆写したというものである。
「一念こめて、安芳は写本の仕事を続けたのでした。冬が来ても、寒さをしのぐたきぎがありません。びんぼふが安芳をほろぼすか、安芳がびんぼふをうち負かすか。一生けんめいになって戦ひ続けました。(中略)実に、骨をけづり、血をしぼるやうな思ひで、書きうつしたのでした。安芳は、写本の辞書を二冊も作つて、一部は自分が使ひ、別の一部は人に売つて、辞書をかりたお礼をしました」(『初等科修身三』)
『ヅーフ・ハルマ』は、語数は9万余。全体で58巻に及ぶ大部なもので総ページ数は3千ページを超える。緒方洪庵(おがた・こうあん)の適塾(てきじゅく)でも一部しかなかったこの辞書を当時25歳の勝は2部も筆写したわけである。しかもそれは、「貧乏でねェ。メシだって、一日に一度位しか食べやしない」(『海舟座談』)という絶望的な状況の中での作業であった。
「予この時貧骨に到り、夏夜●(かや)無く、冬夜衾(ふすま)無し、唯、日夜机によって眠る。しかのみならず、大母病床にあり、諸妹幼弱にして事を解せず、自ら椽(たるき)を破り柱を削ってかしぐ、困難到千、ここにまた感激を生じ、一歳中二部の謄写成る。(中略)嗚呼、此の後の学業、その成否の如き、知るべからず、期すべからざるなり」。手元に残った写本の巻末に、勝はこう認(したた)めている。
実はこの話は戦後の道徳の副読本でも取り上げられたことがある。私も小学校の時にこの話を読んで以来、勝の生き方の虜(とりこ)になっている。
「道徳的な話など子供の心には何も訴えない」という人がいる。しかし、偉人のエピソードは読む人の生き方を鮮やかに、時として劇的に変えることがある。(武蔵野大学教授 貝塚茂樹)
●=幅のつくりがまだれに樹のつくり
勝安芳の勉学を取り上げた修身教科書 =「復刻 国定修身教科書」(大空社)から
