【産経抄】2月1日 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









赤黒い肌に彫りの深い顔立ち、恰幅(かっぷく)のよさが、威風辺りを払っていた。1997年11月18日、エジプト南部の観光地、ルクソールで、ムバラク大統領を間近で見たときの印象だ。

 ▼その前日、日本人10人を含む60人以上が、イスラム原理主義の武装グループによって殺害される衝撃的な事件があった。大統領は、まだ血しぶきや弾痕が残る現場を歩きながら、報道陣の問いかけに答えていた。

 ▼徹底的な取り締まりにもかかわらず、テロ事件はその後も続いた。81年のサダト前大統領の暗殺によって、後継の大統領となったムバラク氏自身、何度か命を狙われたことがある。したたかな大統領は、これらの厄災をむしろバネにして、30年間にわたって、アラブの大国に独裁的な体制を敷いてきた。

 ▼今、その体制が大きく揺さぶられている。反体制デモは全土に広がり、警察との衝突などで死者は150人を超えたという。無法化した街では略奪が横行し、エジプトの、というより全人類の宝といえる古代文明の遺産が被害を受ける恐れも出てきた。82歳の大統領は、腹心を「後継者」として副大統領に据え、次男への権力の継承をあきらめた。それでも、騒乱の沈静化にはつながりそうにない。

 ▼今回のデモは、チュニジアの政変に刺激された若者たちが、インターネットなどを通じて呼びかけたのが、始まりだった。ムバラク氏一人の治世の間に、18人の首相を数える日本でも、就職難など若者の悩みは深い。

 ▼もっとも日曜日の未明に、渋谷の交差点で若者たちが大騒ぎしたのは、政府への不満が理由ではない。アジア杯サッカーの劇的な優勝に対する、歓喜の表明だった。まだまだ幸せな国なのかもしれない。