末期がんの刑事 気高き最期。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【土・日曜日に書く】

産経デジタル取締役営業本部長・井口文彦



末期がんの刑事 気高き最期

 鎌倉の極楽寺坂を由比ケ浜のほうに歩いていくと、「権五郎(ごんごろう)神社」と呼ばれる御霊神社に出くわす。祭神は鎌倉権五郎景政なる平安後期の武者。頼朝より半世紀ほど前の人である。

 由緒が面白い。

 後三年の役で先陣を争った景政は敵の矢に目を射抜かれた。が、これを抜こうともせず射返し、相手を倒す。本陣でいとこの三浦平太為継が矢を抜いてやろうと景政の顔に足をのせて踏ん張ると、景政は烈火のごとく怒って刀を抜いた。

 「矢に当たって死ぬのは武者の本懐。だが顔を踏まれるとは何事か。今からはお前こそが敵だ」

 為継は非礼を悟って謝罪し、膝をついて矢を引き抜いた。激痛を、景政は無言で耐えた。

 -権五郎さま。

 猛々(たけだけ)しさと廉恥の姿が鎌倉の人々から愛され、景政はいつしか眼病平癒、除災の神になった。

 ◆ただ一事に懸けた

 昨年10月16日、ひとりの刑事が逝った。神奈川県警横須賀署の小岩幸治巡査部長(死亡後、警部補に特進)、56歳。泥棒の刑事だ。

 宮城県の農家の次男。野球少年で、岩手の強豪校、一関商工(現・一関学院)に進んだ。けんかっ早く、強かった。ある日、以前にたたきのめした地回りが筋者と分かる助っ人を何人か連れて仕返しにきた。今度は袋だたきにされた。初めて組織暴力を思い知らされた。やり返すため「もっと強い組織に」と警察官を志した。

 けんか慣れした対人関係の強さは武器になった。制服警官の職務質問に反抗する泥棒が、通りかかった小岩刑事を見ると態度を改め、聞かれもしない犯行を自供したことがあった。のらりくらりの泥棒が、「よお。久しぶりだな」と調べ室に入った小岩刑事に気おされ、しおらしく自供したこともある。そんな空気を漂わせていた。天性のものといっていい。

 扱った泥棒の顔、癖、声を記憶していた。「目を見てこいつはスリと分かるまで3年かかった」。パソコンの調書を嫌った。「10の犯罪があれば10の事情がある。ひな型に足したり消したりするような調べじゃホシに迫れない」「画面よりホシの顔を見ろ」。そう怒る頑固な職人刑事であった。

 記者にも辛辣(しんらつ)だった。朝刊締め切り前に事件事故の発生を電話で問い合わせるのが警察回り記者の日課なのだが、この人が署の当直にいて電話をとろうものなら「電話でネタがとれるか」と怒鳴られ、往生させられたものだ。

 これが、大好きな酒が入ると、人の良さを隠しきれない、実にいい笑顔を見せた。頑固で衝突の多い小岩刑事の周りから後輩刑事が絶えなかったのは、そんなところに理由があったように思える。

 4年前の秋、背中の痛みと激しい下痢に悩まされた。末期の膵臓(すいぞう)がんと診断された。だが断続的な入院の後は刑事部屋に戻った。気遣う上司から事務への異動を打診されたが、断った。

 飲める状態ではなかったが、「飲みに行こう」と誘ってきた。「病人扱いするな。恥をかかせるなよ」と笑いながら、東京で1人暮らしする長男や、1歳になる初孫への思いをぽつりぽつりと語った。家族のことは気掛かりだったのだろう。「ほれ、帰れ。帰って特ダネ書け、新聞記者(ブンヤ)」。そう言うと、心残りを振り切るかのように刑事部屋に戻っていった。

 10月7日、帰宅すると歩けなくなった。連休明けの12日に入院。モルヒネでもうろうとしながらも、追っていた泥棒の名を挙げ、見舞う同僚に「あいつはどうした」と問いかけた。4日後に逝った。

 最期のときまで刑事だった。

 ◆警察官の形体

 不思議なことに、神にまでなりながら、権五郎景政のその後の生涯は伝わっていない。司馬遼太郎氏は『街道をゆく』の中で「関東における武士の形体(ぎょうたい)とは、それでよかったのである」と記し、こう続けている。

 《右眼を射抜かれながらも相手を射倒したということ以上に、痛みに対して平然としていた猛(たけ)さにこそ形体がある。「面(つら)を踏むな」と親切ないとこに食ってかかったあたりにも、過剰なほどに勇気が満ちている。その形体が、景政の名を坂東(ばんどう)じゅうにひろめた》

 不器用だったが、犯人逮捕というただ一事に懸けた。余命の短さに絶望を感じたであろうに、それをおくびにも出さず泥棒を追い続けた小岩刑事の勇気は、目を射抜かれながら戦場を駆けた権五郎景政に通じるものがある。

 こぢんまりとしながらどこか凛(りん)とした、硬質な精神を感じさせる権五郎神社のたたずまいに触れると、武骨という表皮で清潔な精神と勇気を覆っていた職人刑事の相貌がよみがえってきて、その気高さが鋭く胸を衝(つ)いてくる。


                                  (いぐち ふみひこ)