計画的整備裏付け。
奈良県明日香村の飛鳥京跡にある天武、持統両天皇の宮殿、飛鳥浄御原宮(あすかきよみはるのみや)跡の内郭の北側で、同宮と同時期の7世紀後半の石敷きと塀跡が見つかり、県立橿原考古学研究所が20日、発表した。周辺は役所群があったと想定され、橿考研は「計画的な区画整備が明らかになった」としている。
同宮を斜めに横断する吉野川分水(農業用水路)の改修工事に伴い、内郭の北約100メートルの場所を調査。石敷きは人頭大の石を並べた南北5メートル分が両岸で見つかり、直角に曲がる石組み溝(幅40センチ、深さ10センチ)が確認された。
今回の調査地の東側では、昭和34年の奈良国立文化財研究所(当時)による試掘調査でも石敷きが発見されており、石敷きの面積は東西32メートル、南北40メートルに広がることが分かった。
石敷きの20~30センチ下層にはこぶし大の石が敷かれ、同宮の造営で土地利用が変更された可能性がある。また、柱穴は水路部を隔てて南北に5基見つかった。板塀だったとみられ、石組み溝と同様、同宮の建物群と同じ方位を向いていた。
現地説明会はなく、成果は橿考研付属博物館の速報展(2月11日~3月6日)で紹介される。
飛鳥浄御原宮の内郭北側で出土した溝と石敷き=奈良県明日香村
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110120/art11012017110043-n1.htm