本物の国語が伝えた道徳心。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





【消えた偉人物語】「稲むらの火」



 かつての小学国語読本に収録されていた名作「稲むらの火」は、時の文部省による教材公募に応じた、和歌山県の小学校に勤める青年教師、中井常蔵が書き上げ、昭和12年に採択に至るという経緯を持つ。

 庄屋の五兵衛が刈り取ったばかりの稲むらに火を放ち、村人を消火に駆けつけさせることで、押し寄せる巨大な津波から人命を救うという、わずか1400字程度の小品だが、いったいどこが戦前の子供たちの心に感動をもたらしたのか。

 それはまず、息をもつかせないスリリングで卓越した国語表現にある。さらには宝の山の稲束に火をつけ、津波に気づかない海辺の村人を集めようとした瞬時の判断の確かさ、火事と知ればきっと村人は助けに駆けつけるはずと確信した信頼の絆。これらの要素が凝縮されていたからこそ、子供の琴線に触れたのである。

 そこには、底の浅い観念的な道徳臭など微塵(みじん)もない。彫琢(ちょうたく)された美しい文章がつづられているだけだ。子供たちはそこに真の道徳の影が含蓄されていることを過(あやま)たずに読み取ったのだと筆者は考える。虚飾ではない本物の国語で表現されて初めて道徳心は伝わる。この作品を今の世に語り継ぐ歴史的意義はその一事にあると言ってよい。

ところで、この作品は安政南海地震(1854年)の際、現在の和歌山県広川町を津波が襲い、当地在住の濱口梧陵(はまぐちごりょう)(儀兵衛)が住民救援のために死力を尽くして奔走した史実を素材としたものである。彼はヤマサ醤油(しょうゆ)を興した一族の後継者であるが、学問や武芸にも関心が高く佐久間象山に学んだこともある傑物であり、勝海舟とは生涯を通じて刎頸(ふんけい)の友だった。

 とりわけ感心させられるのは、津波が去った後に全長650メートルに及ぶ防波堤を築造した点である。しかも工事に村人を雇用することで、被災者に生活の糧を得さしめた。昭和21年の津波襲来の時、若干の浸水程度で済んだのはそのおかげである。今も残るこの広村堤防は、五兵衛こと濱口梧陵の偉業を伝える歴史遺産にほかならない。


                  (福岡県立太宰府高校教諭 占部賢志)





草莽崛起

              濱口梧陵が築造し、今も残る広村堤防=和歌山県広川町











草莽崛起

            http://sankei.jp.msn.com/life/education/110115/edc1101150746002-n1.htm