民主政権むしばむ戦後教育。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【土・日曜日に書く】論説委員・皿木喜久





仙谷長官の「問題発言」

 もう昨年末のことになったが、仙谷由人官房長官の発言がまたまた物議をかもした。

 フジテレビの番組で、小泉純一郎元首相が首相在任中に靖国神社を参拝したことを「アナクロ(時代錯誤)であり、非常にまずい外交だ」と批判したのだ。

 番組で木村太郎キャスターから中国の覇権主義などからして、民主党政権のアジア重視は破綻したのではないか、と指摘されたのに対する反論である。その責任を小泉政権に押しつけようとの意図が垣間見えた。

 首相による靖国参拝は国を守る観点から必要不可欠な行為であり決してアナクロではない。むしろ尖閣諸島沖での漁船衝突事件などでの中国に対する過度な配慮の方が「まずい外交」であり、アナクロでさえある。

 その点については先月29日付の本紙「主張」が厳しく批判している。それをもう一度取り上げる気になったのは、仙谷氏の発言が「戦後教育」の落とし穴にスッポリとはまりこんでしまったもののように思えるからだ。

 仙谷氏は昭和21年1月の生まれだから、27年小学校入学のはずである。筆者よりもちょっとだけ上の世代である。

 だからよくわかるのだが、当時の日教組を中心とした教育は子供たちにくどいほど「平和」だとか「反戦」をたたきこんだ。だがその「平和」を守り、国や家族を守るための戦いの意味についてはまったく教えなかった。

 ましてや国のために戦って死んだ人を祭ること、つまり靖国神社などの存在理由は小指の先ほども学んだ経験はない。

 恐らく仙谷氏もそうした点については思考停止のまま、政治家となった。その中で「靖国参拝イコール時代錯誤」と思いこみ、口をついて出たのだろう。


安全保障への思考停止

 仙谷氏はその前にも、国会答弁で自衛隊を「暴力装置」と呼び、顰蹙(ひんしゅく)を買った。これも、国を守ることや自衛隊の意味についてまったく教えようとしなかった戦後教育の瑕疵(かし)としか思えなかった。

 同じ民主党の鳩山由紀夫前首相は仙谷氏よりひとつ年下の昭和22年2月生まれである。

 その鳩山氏は首相を辞める直前の昨年5月、沖縄の米軍普天間飛行場移設問題で公約の「最低でも県外」を撤回した。記者団に語った「学べば学ぶほど(海兵隊が)連携し抑止力を維持していることがわかった」というのがその理由だった。

 米海兵隊が沖縄に駐留していることが極東の平和のための抑止力になっているというのだ。しかしそのことは日米安保条約や日本の守りの核心であり、イロハでもある。それに首相ともあろう人がやっと気づいたというのだ。

 この日米安保条約が改定された昭和35年、鳩山氏は中学2年だったはずだ。恐らく学校で安全保障の意味について学ぶこともなかった。そしてやはり思考停止のまま首相となった。

 悪(あ)しき平等主義の表れのようなバラマキ行政も含め、この政権は「獅子身中の虫」のような戦後教育にむしばまれている。



国守る歴史知ってこそ

 話はちょっとそれるが、故司馬遼太郎氏はかつて「街道をゆく」シリーズの取材で、鹿児島の蒲生という町(現姶良市)を訪れている。案内されて八幡宮の隣の岡に登って驚いた。

 先の大戦をはじめ日清日露や戊辰戦争、さらには関ケ原の合戦まであらゆる戦いで戦死したこの町の衆を祭る記念碑が林立していたのだ。司馬さんはシリーズの『肥薩のみち』に「日本戦史そのものがこの郷に集約されている観があった」と書いている。
司馬さんを驚嘆させたその小さな町に、筆者は小学校を卒業するまで住んでいた。記念碑は小学校のすぐ裏にあり、悪童たちにとっては格好の遊び場だった。だがこれがそんなモニュメントであることは誰も知らなかった。親も先生も教えてくれなかったからだ。

 平和教育全盛の時代の大人たちは、戦死者を祭ることなど、とんでもないことのように勘違いしていたのだろうか。

 だが司馬さんのおかげでそのことを知ると、急に故郷に対する愛着が生まれた。国や郷里、家族のため、戦に出かけたこの町の先祖たちのことがいとおしく思えた。それを大事に敬ってきた人々にも親しみを覚えたからだ。

 国についても同じことが言えるだろう。祖国を守ってきた歴史を学ぶことで初めて、国や国民へのいとおしさも生まれてくる。その気持ちを持たない者が政治家となる資格はない。

 政治家自身がまず、あの戦後教育の呪縛から解き放たれることである。


(さらき よしひさ)