玄界灘に浮かぶ倭人伝の王国「一支」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 



【萌える日本史講座】



「(対馬から)南に一海を渡ること千余里。一支(いき)国に至る。三千ばかりの家あり」。中国の歴史書・魏志倭人伝 に記された王国・一支国は、玄界灘に浮かぶ長崎県 壱岐島にあたる。倭人伝 に登場する国々のうち、発掘調査 によって国と都の場所が特定された唯一の王国という。福岡・博多まで約60キロ、韓国・釜山までは約150キロの距離にあり、日朝交流の玄関として栄えた。邪馬台国の女王・卑弥呼 の使者も立ち寄ったとされる倭人伝 の島を訪ねた。


                                 (地方部 小畑三秋)

 

大しけの航海


 12月初めの玄界灘は大荒れだった。発達した低気圧の影響で、強風が吹きつけ、白波が立っていた。壱岐島北部の波の高さは5メートル。         

 博多港 と壱岐を1時間で結ぶ高速船は欠航。フェリーはかろうじて運航したものの、博多湾から出た途端に揺れがひどくなった。総トン数 1900トンのフェリーも、甲板に出ると船体が上下に大きく揺れ、まっすぐに歩くことができない。海のしぶきが船の窓まではね上がってきた。

 「弥生人 はこんな海を本当に渡ったのだろうか」。海のしけは、現代も2千年前も変わらないはず。揺れる船内で、そう思わずにいられなかった。

 朝鮮半島 南岸から対馬~壱岐~九州北部という海上ルートは古代の日朝交流の中心だった。しかし、弥生時代 の舟は長さ10メートルそこそこの木造でエンジンもない手こぎ。いつ荒れるかもしれない日本海 を頻繁に往き来した弥生人 はまさに命がけだったのだろう。

 

よみがえる王都


 壱岐島 は南北17キロ、東西15キロで面積約130平方キロ。一支国の王都とされる原(はる)の辻遺跡は、紀元前2世紀 ごろの東アジア 最古の船着き場が発見され、一躍有名になった。港湾都市のイメージが強まったが、実際は海岸から約2キロ内陸に広がっている。

 明治時代 に地元の郷土史家によって発見され、本格的に調査されたのは戦後間もない昭和26年。皮肉にも敗戦がきっかけだった。中国大陸や朝鮮半島 の発掘ができなくなったため、大陸との玄関口だった壱岐島 が調査され、集落跡や中国の銅銭などが出土。大陸との交流が裏付けられた。その後、石垣で護岸した精巧な船着き場も発見され、交易の都であることが証明された。

 弥生時代 の遺跡のうち、国の特別史跡は、国内最大級の神殿跡などがある吉野ケ里遺跡(佐賀県神埼市 、吉野ケ里町)、国内で初めて水田跡が見つかった登呂遺跡 静岡市 )とともに、原の辻遺跡の3カ所。大規模な集落と港が見つかった同遺跡は、まさに日朝交流のシンボルといえる。

 

弥生の原風景


 王の屋敷、祭殿、朝鮮半島 の使節団や通訳用の滞在施設…。原の辻遺跡では現在、物見櫓 (やぐら)なども含めて約20棟の建物が復元されている。吉野ケ里遺跡ほどの派手さはないが、島とは思えないほど王都の風格を備えている。

 遺跡近くの高台にある壱岐市 立一支国博物館からは、遺跡が一望できる。

 「ここから見る風景は、2千年前も今も全く変わらない、まさに弥生の原風景なんです」。博物館のボランティアガイドの女性が教えてくれた。

 水田が広がるのどかな田園風景 の中に、周囲より少し高くなった台地があり、祭殿などが復元されている。

 その向こうには玄界灘、さらに目をこらすとかすかに九州の山々を望むことができる。2千年前の一支国の人々は、九州をめざして舟をこぎだしたことが何となく想像できる。

 

倭人伝 を掘る


 12月初め、日本考古学協会 主催の講演会が同博物館で開かれ、壱岐島 内の数々の遺跡調査を手がけた研究者が、これまでの発掘成果などを紹介した。

 島内の遺跡では炭化した有機物が多数見つかり、詳しく分析すると、麦が多く米はわずかだったという。「田を耕せどもなお食するに足らず」。魏志倭人伝 が伝える一支国の食糧事情をうかがわせた。さらに、中国大陸や朝鮮半島 系の土器が極めて多く出土し、「南北と交易する」という記述とも合致した。

 九州大大学院の宮本一夫教授は「島内の遺跡調査を通じて、つねに朝鮮半島 や中国の存在がちらついた。こんな遺跡は全国にも例がない」と意義を強調した。

 島内の遺跡ではアワビの殻が大量に出土し、博物館には何十個も並んでいる。朝鮮半島 からの文物と交換していたそうだ。

 出土したアワビはとにかく大きく、いずれも手のひら以上あった。「昔はこんなアワビが食べられたんだなあ」。ため息混じりに感嘆の声を上げる来館者も。

 当時は、干しアワビにして朝鮮半島 や邪馬台国に運ばれたという。中国皇帝も卑弥呼 も、メガサイズのアワビをさぞ堪能したことだろう。アワビ一つとってみても、いろんな想像をかきたてられるところが、倭人伝 の舞台として栄えた古代の国際都市の魅力かもしれない。



草莽崛起

    朝鮮半島との交易都市として栄えた壱岐島。雄大な玄界灘が広がる=長崎県壱岐市



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       一支国の王の館=長崎県壱岐市


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   王が国家的祭祀などを行ったとみられる復元された祭殿(左)。奥の2棟は高床式倉庫
   =長崎県壱岐島


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     物見櫓などが復元された原の辻遺跡。高台には一支国博物館(右上)が見える
     =長崎県壱岐島


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        祭殿など神聖な空間の入り口には門も設けられていた=長崎県壱岐島


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       高台に祭殿など多くの建物が並ぶ原の辻遺跡=長崎県壱岐島










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