選抜クラスの千葉です。
先日は朗読のレッスンがありました。
題材は所謂、名作と言われるものです。
せっかくなので私も文学風に綴ってお届けしたいと思います。
名前を呼ばれ、自身の発表時間となる。
緊張感に包まれつつも、一週間考え抜いた表現がどのように評価されるか楽しみな瞬間でもある。
先生からの言葉はこうだった。
『もう一歩先が見えると良いな』
私は一瞬それがどの様な意味を持っているのか理解が及ばなかった。
先生は続けた。
『主人公のフォルムを見たことある?
あれから発せられる声のイメージってそんなに可愛いかな?』
私は反省した。
主人公はとある動物なのだが
暗い空間に長く居たせいも相まって、
陰気で、小生意気な性格である。
しかしながら後に分かるのは性根は悪い奴ではない。
どこか人間くさい上に、外の世界への強い憧れや、希望を抱いた結果拗らせてしまった憎めない奴でもあると私は思った。
そこで私はこの主人公を可愛らしく演じてみた。
10歳の男の子で外の世界の広さを知らないが故に、
つい天狗になってしまうようなイメージだ。
しかしながら先生の言葉を受けて気が付く。
確かに一般的にこの動物の名前を聞いて直ぐに「可愛い」という感想を持つ人は余り多くないかもしれない。
そこで2回目は少し陰気で嫌味な成分が出るよう、テンションを落とし低めの声でアプローチした。
正直に言うと、この時はあまり
深掘りして、こういったアプローチでいこうと考えて演じた訳ではなかった。
ただ目の前の要望に向き合う事に必死だった。
その結果、先生からの言葉はこうだった。
『悪くない。悪くないけど…
もう一歩踏み込みたいな。
まだ文字情報に頼ってる、追ってる感じがする。
僕ならこの主人公が見ている世界の音とか、差し込んでくる光とか感じられるようにするかな。
そういう事を考えられたら楽しいじゃん?』
私はその時、世界観の構築が足りなかったと反省した。
だがこの時の私はまだこの言葉の本質を深く捉えられていなかったと思い知る事になる。
私はその後に友人や、家族にも感想を聞いてみた。
一人からこのように言葉をもらった。
『ハッキリしてて聞きやすいし、耳心地が良い。
けど内容がスンと心にはいって来ない気がする…』
ハッとした。
私は自分の表現を突き詰めこそしたが、練習段階から心のどこかで何か違和感を覚えていた。
『それは自分の中で納得していないものを突き詰めた』という事だ。納得できていないものを突き詰めても意味はない。
違和感を覚えていたという事は、
どこかで『この表現は違う』という感覚があったのにも関わらず、
その違和感を深掘りせず体裁だけ整えたものであったと深く反省した。
それは世界観の構築などという薄っぺらい一言で片付けられるものではない。
表現とは試行錯誤の先にあるものだ。
自分も、聞き手も納得させて初めて成立する。
そのためには自分の納得と、相手が聞いてどう感じてもらえるかという客観的な視点が大切だ。
今回でいえば意図せず映像を想起させる語りと、主人公の声の
客観的な視点が抜け落ちていたと反省した。
また最後まで表現と向き合い、足掻けなかった。
表現の答えが直ぐそこにあったのに、現場(レッスン場)で
掴み取る事ができなかった。
もしも本当の現場であったならば、多大なご迷惑をおかけしていた事であろうと背筋が凍った。
しかし同時に新たな気づきを得られた事が嬉しくもあった。
先生が最後におっしゃっていた
『そういう事も考えられたら楽しいじゃん?』
という言葉が響く。
最適な表現方法を探るため、
自分の身体の中で音を探したり、
様々な作品を見たり、人と意見を交わしたり、
どうすれば良かったのかを考えてしまう時間があったり…
この時間が全て楽しく、愛おしく思えてくる。
日々作品や、自分を多角的に見つめながら人としても、役者としても成長していきたいと誓った。
選抜クラス 千葉