男は焦っていた。
イゼルローンフォートレスを目前に、上京以降の散財分を補給するために立ち寄ったコンビニのATMを前にして、男は猛烈に焦っていた。
キャッシュカードが、ない。
出発前の財布の整理で自宅に置き忘れたことに二日目に漸く気づいた。一応、手元には相応の現金はある。クレジットカードもある。携帯決済の手段もある。ホテルの宿泊料もチェックインの際に済ませている。そして、イゼルローンフォートレスも男の持つクレジットカードと提携している。待ち合わせの時点で『東京観光にお付き合い頂いているので、今日の食事代は全て私が払いますよ』と伝えておいた連れが、門閥貴族のような豪気さで『マム・グラン・コルドン』と『トルブレック・ウッド・カッターズ・シラーズ』を注文しても、支払い自体は手持ちの現金で充分に事足りるであろう。しかし、カードや携帯決済が磁気の影響や読み取りの不具合で使えなくなっていた場合、支払いと引き換えに復路の切符を買う現金を失い、TOKYOに孤立する事態に陥りかねない。半世紀近くもいつもニコニコ現金払いをモットーに生きて来た男にとって、この状況を切り抜けられるかという懸念と不安が黄水のように胃の腑に滴っていた……。
勿論、男の正体は私です。
先日の鎌倉&東京観光では御案内、御同道、御同席頂いた皆様に大変お世話になりました。ただ、二日目の昼以降、キャッシュカードの紛失と現金欠乏症の影響で若干、挙動不審になっていたかも知れません。いつもキョドッているから判らなかった? それはよかった(よくない)。
本来であれば、二年ぶりのオフ会も考えてはいたのですが、如何せん、今年に入って仕事の分量が只ならないことになっているのに加えて、上半期に装鉄城さんの鎌倉ツアーに参加出来なかったメンタルを未だに引きずっていたうえ、上京3週間前にはギックリ爆弾が盛大に暴発。腰に痛み止めの注射を打って、上の口と下の口から定期的に薬を入れることで漸く歩けるようになった状態では、とてもホストの役割が務まる筈もなく……普段から務まってないというロジハラは兎も角、今回はオフ会という大規模バトルロイヤルではなく。シングルマッチ三連戦になって結果的に大正解でした。昨年の名古屋以降、主に仕事の都合で身動きが取れず、夏場のKAKさんからのお誘いにも応じられず、
と一年以上もNG県から出ることが出来なかったので、今回の鎌倉&東京の二都訪問は解放感が半端なかったです。それでは、旅行当日の様子をつらつらとご紹介して参りましょう。
出発日の朝を一言で表すと、
今季一番の冷え込みに慌てて冬用の防寒具を引っ張り出して駅に直行したものの、新幹線が長野駅を過ぎた辺りから雲行きが怪しくなるどころか、雲が晴れて窓ガラス越しにも外の陽気が伝わって、別の意味で嫌な汗がダラダラ出てきました。そして、東京駅に降り立った時の心境は、
勿論、事前に関東方面の天気予報は確認しておいたけどさ、日本海側と違って太平洋側は実際の気温以上の暖かさがあるのよね。道中、防寒具を詰め込んだカバンが嵩張って嵩張って……。東京駅で装鉄城さんと合流……の筈が新幹線の乗り換え改札で待ち合わせということで目の前の南改札を出たところ、直後にLINEで、
装鉄城さん「北乗り換え改札です」
と初っ端から待ち合わせでミスる私。ち、違う、これはLINEの通知のタイムラグのせいじゃ(責任転嫁)。ただ、このテの私のヤラカシに慣らされてしまっておられる(?)装鉄城さんの『そこを動かないで。今から向かいます』とのフォローで無事、合流出来ました。お手数をお掛け致しました。
装鉄城さんには前回、私が参加出来なかった鎌倉ツアーとほぼ同じルートをご案内頂きました。一番の見どころは事前の連絡で『天候に恵まれていれば……』と仄めかされていたあそこ。
季節・曜日・天候の三大条件が揃わないと拝観出来ない足利尊氏の供養塔(遺髪が納められている)を遂に訪れることが出来ました! ありがとうございます! ありがとうございます! もうね、気分は推しの握手会の心境ですよ! 握手会に行ったことはないけどね! 境内は寺社の方針でビー・クワイエットが基本でしたから、極力私語は慎み、荷物の持ち運びにも細心の注意を払いましたけど、寺を出たところで装鉄城さんから、
「こんなにテンションの高い与力さんは初めて見ましたよ」
と言われてしまいました。勿論、尊氏の供養塔にも参詣。前回参加出来なかった時に伝えようとしていた、
「思い上がりは百も承知していますが、アナタの今のネット上の印象に関して微粒子レベルくらいは私にも責任があるかも知れません、ごめんネ☆(・ω<)」
と本人の供養塔の前で陳謝して参りました。帰りに寺の御朱印を購入。帰宅してから神棚に収めました。これで我が家も足利尊氏の眷属やね!
その後は舞台を鎌倉中心部に遷して、あちこち見学……というか、鎌倉って時間の都合で立ち寄れないだけで、視界に入る場所全てが史跡なのよね。地味に驚いたのは畠山重忠と土佐坊昌俊の邸址が徒歩圏内にあったことかな。どういう並びやねん。上記の尊氏の供養塔以外では高時の腹切りやぐらが印象に残りました。入口の看板の、
「霊処浄域につき、参拝以外の立入禁止」
というのは何ちゃらスポットとして面白半分に踏み込む輩がおるんやろうなぁ。私のようなチキンは携帯で写真を撮ることすら畏れ多いのに……悲しいなぁ。
一通り、鎌倉をご案内頂いたあとの夕食の話題は『歴史上の人物を下半身のユルさだけで否定するな』と『ゴジラ-1.0は登場人物を喋らせ過ぎ』という点で見解の一致を見ました。いやね、敷島の機体の脱出装置は爆弾の起爆装置とタイムラグをつけて連動させる仕組みでね、本人は死ぬつもりだったけど、橘は『タイミングが合えば助かる。でも、それは本人には告げない。あとは運を天に任せる』くらいのほうがよかったと思うのよ。キャラクターの頭数や各シーンは滅茶苦茶絞り込んでいて見やすいのに、心情台詞が多過ぎて萎えたのは否めなかったなぁ。ともあれ、装鉄城さん、当日はありがとうございました。
さて、翌日は上野近辺を探訪。
15分前には待ち合わせ場所の上野駅に到着。中央改札口の内側、構内で一番見通しのいい場所でお誘いした穂積さんを待っていると再びLINEで、
穂積さん「与力さんは何処に?」
与力「中央改札口のド正面でお待ちしています(ドヤァッ
穂積さん「確か、公園改札での待ち合わせだった筈では……?」
二日連続でやってしまった。
ち、違う、これは痛み止めの座薬で頭がボーッとしているせいじゃ(責任転嫁)。慌てて公園改札に到着した私を見る穂積さんのジト目にゾクゾクしてしまいました。本当にすみません。
まず、向かったのは、
東京国立博物館で開催中の『ハローキティ展』。私はイゼルローンフォートレスに行きたいので、穂積さんの行きたいところにもご一緒しますと申し出たところ、こちらに決まりました。穂積さんには『与力さんのイメージ的に現地で浮きませんか?』と心配をされましたが、寧ろ、最初に提案された赤坂のハリポタカフェよりも全然アリです。ハリポタ未見やしね。実際、キティ展はキティの歴史を知らない私にも充分楽しめました。遠藤憲一と共にどんな無茶振りの仕事でも快諾することに定評があるキティちゃんの、文字通り下手な芸人よりも身体を張ったコラボビジネスの歴史を堪能しました。でも、流石に安来節はやり過ぎだろ……。内容的にも1~2時間でサラリと回れる気軽な雰囲気で、男性でも充分楽しめます。単に東京国立博物館がキティに占領されている様子を見るだけでもお釣りが来る。
これとか、思わず『フフッ』ってなったしさ。あと、キティと浮世絵のコラボグッズのクオリティが高い。これも男性が持ち歩いても全然OK。私は手ぬぐいを一枚買ったけど、家に帰ってから『もう一枚買ってキッチンとの間の仕切りにすればよかったなと後悔しています。もう一回行ってくる?
キティ展のあとは東京美術館内のレストラン・ミューズで早めの昼食を採り、イゼルローンフォートレスの予約の時間までは上野動物園を散策。実はパンダよりも小獣館に行くのを楽しみにしていたのですが、まさかの工事で休館中。『じょしらく』と『ダーウィンが来た!』好きとしてはハダカデバネズミとマヌルネコを見たかったな……売店でマヌルネコの扇子を買って我慢しました。
そして、満を持してのイゼルローン攻略。ここに到着する間に冒頭で触れたキャッシュカードの件が判明していたのですが、仮にクレジットカードがダメな場合でも支払いに充分な現金を持ち合わせてはいたので、穂積さんには黙っていました。言ったら絶対に叱られるし。マジでカネがなくなったら甥っ子を呼び出して頭を下げて借金するという手段もなくはなかったからね。
個人的には6年ぶりのイゼルローンで、階級章も漸く二等兵に昇進。ごくつぶしヤンも真っ青の怠惰な兵士ですね。オフ会で最初にセッティングして貰った際には相当予約システムが難解であったのと、ソロで入る勇気がなかったので、なかなか足を運ぶ機会がなかったけれども、今回はフツーに一人で来店している方もおられたので、次回の上京の時は単身入城してみようかな。
6年ぶりということでメニューや雰囲気も変化がありましたが、一番の衝撃はドリンクにつくコースターが概ね当たりということ。今回はパツキン(穂積さんのブリュンヒルト&バルバロッサと交換)、ミュラー、ヤン、パツキン、ヤンとメインキャラクターの大盤振る舞い。前回、私が引き当てたのは、
コイツだぜ? いや、当時は開店して間もない&ノイエ版も始まったばかりなので、グッズ化出来るキャラクターが少なかったのもあったでしょうけれども、ここまで当たりが続くと逆にラングとかが欲しくなってしまいました。ちなみに穂積さんはローゼンリッター・ダマスクローズスパークリングについてくるノイエ版不良中年のコースターに御満悦。シェーンコップについては石黒版のように胸毛や指毛がみっちり生えていそうなキャラデザを推す私と穂積さんの間で深刻な対立があったのはナイショだ。
逆に以前と変わっていなかったのが『ブラウンシュヴァイク最期のワイン』といういい意味で悪趣味極まるメニュー。これ、当時のオフ会で飲んだ方が『あとから酔いがグッと押し寄せてくる』と仰っていたように、二杯目のドリンクで飲んだ私は日も高いうちから完全にヘベレケ状態。おっかしいなぁ、こんなに酒に弱かったかなぁと不思議がっていると、
穂積さん「原作通り、何か入っているんじゃないですか?」
と軍務尚書の冷たい目と金銀妖瞳の毒舌で応えてくれました。最高です、今後とももっと罵って下さい。
穂積さんと別れたあとはホテルで一休みしてから、関東在住の40年来の友人Y氏と数年ぶりの再会と飲み会。それこそ、メールでやり取りするのも何年振りの間柄だったせいで、途中まで『ホントにY氏のアドレスなのか? 携帯と一緒に番号やアドレスが変わっていたらどうしよう?』という不安から、SMSでも連絡を入れて漸く安堵したというくらいでした。
秋葉原駅徒歩0分の定宿の前で待ち合わせ。流石にこの条件でランデブーにしくじる筈もなく、無事の再会を祝して予約しておいた店へ。こちらも前夜に建物の位置を目視確認しており、エレベーターで恙なく到着……した筈が、18時からのリザーブ欄に名前がない。店員さんに調べて貰うと、
店員さん「あー、これ、うちの一つ下の階ですね」
ち、違う! これは新手のスタンド使いの攻撃じゃ!
エレベーターでキンクリに襲われたブチャラティの気持ちが判ったような気がしました(違います)。いや、でも、俺はマジでちゃんとボタンを押した筈なのよ! 一緒に乗って来た団体さんが止まらないのに別の階を押してしまった! うん、きっとそうだ! それにしても2日で3回も待ち合わせでしくじるとか、ホンマに色々とイッパイイッパイであったんだと思うわ。
ともあれ、どうにか店に到着して久しぶりの再会を祝して乾杯。普段のオフ会トークは団体対抗戦というか、異種格闘技戦というか、どの程度まで踏み込んでもセーフかを探りつつ、ジワジワと攻める快感ですが、Y氏とのトークはほぼほぼ全盛期の三冠戦。お互いに初手から150%のデンジャラスバックドロップを打ち込んでも許される関係性が心地よい。Y氏ってさぁ、仕事や家庭ではキチンとしているけど、趣味の分野では私なんぞ、足元にも及ばない奇人やからね。このブログで何度か触れている学生時代に長野にいる私の元に東京からエヴァ全話を持ち込んで丸二日エヴァ漬けにしたのは彼ですからね。お返しに石黒版銀英伝を2期までブッ通しで見せてやりましたけど。他には私よりも遥かに歴史に詳しいくせに大河ドラマは『春の波濤』しか見たことがないとか、司馬遼太郎の作品で一番面白い人物は『ひとびとの跫音』のタカジとか、いちいちセンスがエゲツナイのよ。あとはメジャーからインディー、果ては女子プロまでよく判らんプロレスネタに詳しい。今回、一番の収穫は高校時代の川田が不用意な発言で三沢にボコられたエピソード。ボコられた理由を思い出せないのでY氏に聞いてみたら、川田の都合で三沢が一つ下の階級に入れられて、減量がエグくてマトモに練習出来ずに、それでもどうにか勝ったところに川田に『三沢さん、練習しなくても強いっスねぇ』と心から祝福されて三沢がブチギレたという流れだったわ。少し前に読んだ川田のラーメン本の『俺はリング上では不器用で寡黙なキャラを演じていて、ファンもそう思っていたフシがあるけど、素の俺は器用でトークも出来るんだ』と書いてあるのを読んだ時、私は『うん、知っていた』と思えたのはY氏から上記のエピソードを聞かされていたから。今でこそ、ネットとかで様々な逸話を漁れるけど、90年代中盤にアイツはどこからこんなネタを仕入れていたのか、未だに謎。
そんな感じで主にプロレストークを中心にガンガン殴り合うという、ここ十年くらい絶えて久しい快感に浸れました。そういや、Y氏から『光る君へ』ってどうなのと聞かれた時、小難しい物語論を述べてしまったけど、今思うとプロレスで例えたほうがよかったな。Y氏へ。この記事を読んでいるかどうかは判らないけど、
『光る君へ』は三沢・秋山組だ。
主人公二人のそれぞれはいいキャラクター、いいセンスの持ち主なのだが、路線が被っているのか、そもそもの目的がズレているのか、コンビがビミョーに噛み合わず、モニョッとしていて応援する意欲に欠けるタイプ。三沢・小川組、秋山・斎藤組という凸凹コンビのほうが推せる感があるのよね。この比喩に御納得頂ける方とは、いい大河談義&いいプロレストークの両方を交わせる自信がある。
こうして2日で3人とのシングルマッチを終えてホテルに戻ると、もう動けなかった。疲れもあったけれども、三週間前にはトイレに行くにも死にそうで、ここ二週間は仕事以外はほぼ寝たきりの状態の人間が、腰に注射して上と下から薬を入れて動き回ってきたんだから、そら、無理も祟るわ。まるで後悔していないけど、お目当てのラーメン屋巡りが出来なかったのは残念。
翌日も甥っ子の大学を見学して、神田の古書街で歴史記事の資料を漁って、早々に切り上げました。往復の新幹線で読み耽ったのは、
武藤敬司というプロレスラーは圧倒的な才能を認めざるを得ないとはいえ、決して好きなタイプじゃない(特に若い頃のバタバタ感が苦手。この辺、Y氏の『ヒザの影響で動けなくなってからのほうがムダを削ぎ落とした絶妙なプロレスをするようになった』という評価は正しい。武藤本人もそれをプロレスのわび・さびと認めている)けど、数年、時には十数年温めていた技が思わぬ時にフィニッシュの説得力になるというプロレスのロジックは納得しかなかったな。まぁ、社長業も含めて、リング外のセルフプロデュースは前田や蝶野のほうが上だと思う。
ただ、本著で一番面白かったのは武藤よりも船木。1987年に新日本プロレスとUWFの親睦会が開かれた熊本の旅館が、酔っぱらったレスラーたちの暴動で半壊に追い込まれた事件について、武藤、坂口、前田、藤原といった面々は『よく覚えてないけど……』とか『あれはレスラー同士のコミュニケーション』と口を濁す中、船木だけは誰と誰がどの順番で殴り合って、誰が止めに入って、猪木と藤波がどの部屋にいて、最終的に何故か自分が簀巻きにされて大浴場に叩き込まれたかを詳細に語ったうえで、
船木誠勝「みなさんは酔っ払っていたので、記憶が曖昧だと思いますけど、ボクは今でもハッキリと覚えています」
と真顔で証言していること。猪木や藤波でさえ雲隠れした極限状況下で若手の船木が事件の全体像を把握していたとしたら只者じゃあないし、逆に常識的には覚えていない筈のことを『ハッキリと覚えています』と証言しているとしたら、もっと只者じゃあありません。正直、船木の証言は、
「一億万枚食べた。レシートはないけど僕の胃袋は覚えています」
レベルの信憑性ではないかと思いますが、それを公の場で曇りなきマナコで言い張れる船木ってヤベー奴だなと改めて思いました。だが、それがいい。
あ、キャッシュカードは普通に自宅の机の上にありました。