『光る君へ』第43回&44回寸感(ネタバレ有) | ~ Literacy Bar ~

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ここはイマイチ社会性のない自称・のんぽりマスターの管理人が、
時事、徒然、歴史、ドラマ、アニメ、映画、小説、漫画の感想などをスナック感覚の気軽さで書き綴るブログです。
※基本、ネタバレ有となっていますので、ご注意下さい。

 

先週は悪い意味で『光る君へ』の感想をUPしたかったのですが、今年三度目の暴発となったギックリ爆弾の破壊力が半端なく、トイレに行く時には少しでも腰への負担を軽減しようと壁に爪を立てて移動する有様でした。発症から一週間、痛みは小康状態に入ったとはいえ、未だに座薬なしでは仕事に行けないのと、月末月初に大規模イベントが控えている関係上、大事を取って簡易版で御勘弁頂きたく存じます。尚、来週と再来週の更新もお休みする予定&今年の大河ドラマの総評は全くの白紙です。一昨年で一先ずの〆を宣言したとはいえ、書かないつもりはありませんが、体調面も考えると簡易版&越年の可能性が極めて高いです。御了承下さい。別に下準備をサボッていた訳ではなく、他の記事で手一杯であったのもあります。そちらは8割方完成しているので、今年度中には何とかなる気がしないでもない。

 

さて、チャチャッと本題に入りますけど、先週今週で描かれた三郎の……というか、三郎の設定の今更ながらのダメっぷりがね……ネットでは『三郎の闇落ち』と話題になっているようですが、私の見立てでは三郎は落ちるどころか、

 

そもそも登ってもいねぇよ

 

というのが正直な感想です。勿論、位人臣を極めているのは確かですが、問題は本作の三郎が自らの意思と実力で今の地位に登り詰めたのかということ。前半は兼家パッパに引きずられ、中盤はアッネとヨッメ二人に翻弄され、後半はコレッチカの敵失に救われて、凡そ三郎が政に対して主体的に取り組んだのは下半身ソウルメイトのまひろをコネで抜擢して、作品の力で帝と彰子に重い御使命を果たさせたさせたことくらいでしょう。少なくとも、三郎自身が目に見える施策や策謀で己の理想や活路を貫こうとした描写はほぼ皆無でした。自力で権力の頂に到達したのではなく、地べたにダラーっとしているうちに地殻変動で寝ている場所が新しい山になったような本作の三郎(≠史実の道長)は、理想の果てに頂点を極めた人物の転落という『闇落ち』の定義には当たらないと思うのよね。だって、自らの意思と足で登っていないんだもの。

更に言うと闇落ちには動機、目的、手段、過程、結果の描写が不可欠で、純粋な動機で世を糺そうとした者が何時しか目的と手段を取り違え、過程を結果で正当化するようになるのを指すと思うのですが、本作の三郎の場合は目的、手段、過程がほぼスッ飛ばされているうえ、目的自体が『民の笑顔が見たい』という『太平記』の尊氏も吃驚のふわふわヴィジョン。実資に『そんなん志(目的)ちゃうで?』と突っ込まれて、漸く『え? そうなの?』と気づく有様はちょっとしたホラーでしたよ。三郎は、

 

藤原道長「思うがままの政などしたことないわ! 出来んわ!」

 

とグチっていたけど、その『思うがままの政』のヴィジョンが三郎の中にないのだから、やろうと思っても出来ないわな。いい年齢こいた自分たちの政権首班が(会ったこともない)民の笑顔が見たいなんてアバウトな理屈で動いていたと知った実資、マジでスリル&ショック&サスペンスであったと思う。それでも、三郎の志の根源(=動機)が『まひろの心を繋ぎ留めたい』という下半身直結脳から絞り出されたと知らないだけ、実資は視聴者よりも幸福かも知れません。

この三郎のだめんずぶりに関しては『別に闇落ちを狙ったものではない。三郎は昔から三郎のまま。その辺は実資に突っ込ませているから制作陣も判ったうえで描いている』という説にも一理ありますけど、それを狙ってやった結果が本作の政治パートの貧弱さに繋がっている以上、本末転倒の誹りも免れ得ないと思います。三郎と実資の問答、宣孝のNTR性癖&三郎とまひろの爛れたソウルメイト関係に並ぶ本作の三大ダメ要素だよなぁ。宣孝のNTRの時にも書いたけど、昨年の瀬名の東国共栄圏並みに醒めた。まひろと三郎に絡まないところではキャラクターもストーリーも意外とイイ線行っているので、余計に主人公ペアの残念さが際立ってしまいました。