『光る君へ』第6回『二人の才女』感想(ネタバレ有) | ~ Literacy Bar ~

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毎週序盤は些か退屈なのに、20分を過ぎた辺りからジワジワとエンジンかかってきて、35分くらいにはキチンと楽しませてくれる『光る君へ』。全体的に少し物足りないくらいが逆に丁度いい塩梅ですね。『どうする家康』のように毎週何らかの爪痕を残そうとガツガツする作風も嫌いじゃないけど、いい感じに昨年とは対照的な作風で楽しめております。

ただ、まひろや三郎や直秀を中心としたメインストーリーの骨子そのものは歴史漫画でありがち&別の時代に置き換えても通用しそう。三郎の『あんなとこに座っておったら尻が痛かろうに』という台詞も漫画でよくあるメタいツッコミを思わせます。大河で馴染みのない舞台ではヘタにアクセルをベタ踏みするよりも、既存の作品との互換性やベーシック感や判りやすさを重視するほうが効果的と考えているのか、善かれ悪しかれベタに定評がある大石さんの作風なのか。先述のように毎週それなりに楽しめてはいるものの、本作に密かに期待している『今後の平安大河の基礎固め』というテーマはモニョッとしたままです。まぁ、私自身が平安時代殆ど判らん人間なので、実はしっかりと平安大河のスタンダートの地盤を築いているのかも知れませんが、昨年の作風は悪乗りが過ぎたのに対して、今年は悪乗りをしなさ過ぎという印象ですね。

そんな訳で今年の大河感想はヘタな深彫りを避けて、台詞やキャラクターやシチュエーションに軽めのツッコミを入れる感じにしていこうと思います。毎年そうじゃんとか言うな。冬季シフト&決算準備で目が回るほど忙しいので、今週も短めの感想。来週の更新もビミョーです。御了承下さいませ。ポイントは3つ。

 

 

藤原為時「お前が男であったらのう」

まひろ「女子であってもお役には立てまする」

 

はい、不適切発言(コンプラ感)

 

まぁ、実際に紫式部が父親に言われたことなので何の問題もない筈ですが、ジェンダーロールに関するコンプライアンスが厳しい昨今、今後はこのテの台詞の使用の萎縮を促す動きが盛んになってしまうのではないかとの危惧を抱いている今日この頃。他にも本作には陰湿なシスターフッド社会、男性による女性の品定め、花山帝のSMプレイとかもあるからなぁ。

さて、今回は地味にまひろパッパの株が地味にあがりました。思い詰めた娘の身を案じて、スパイの真似事をさせていたことを恥じるまひろパッパ、そこそこ聖人の極み。前回、まひろの母親の受難を知った三郎が道兼とどつき合いを演じるのを見て、

 

藤原兼家「道長にそんなに熱き心があるとは思わなんだ。これは行く末楽しみやで」

 

と小林旭リスペクトな笑顔で応じた三郎パッパの人間失格ぶりとの対比が際立ちますね。尤も、まひろは今後もサロン赤染衛門への出席を続けると宣言。その理由も『趣味の継続』『家の存続の保険』『三郎と距離を置く』となかなかに入り組んだ動機で面白い。ただ、実際には赤染衛門のように教養で大成した女性もおり、モブ女官も宮中では数を頼りにロバート秋山を追い落としかねない隠然たる影響力がある訳で、単純に『男だから or 女だから』という枠で括るのは今日とは違う意味で女性の発言力が強い時代を描くうえでは割とベタな表現に落ち着いた感があります。

 

 

まひろ「じゃあ、こういうのはどお? 五節の舞姫が舞台に出ていくと、そこには高貴な男たちが並んでいて、舞姫はその大勢と契っているの。神に捧げる舞を舞いながら、舞姫は男たちとの逢瀬をあれこれ考える。男の都合のいいように扱われているように見えて、実は女子こそシタタカって話!」

直秀「下々の世界では『おかしきことこそめでかけれ』。お前の話は全く笑えない。所詮、貴族の戯言だ」

 

サロン赤染衛門での『蜻蛉日記』の解釈と自身のハーレクイン的逆ハーレム願望を綯い交ぜにしたストーリーを提案するも、直秀に強烈なリテイクを食らうまひろさん。創作は何よりも面白さが第一義だと唱える直秀さん、マジ有能な編集者。実際、まひろはサロン赤染衛門での言動から判るように知識のインプットも情報の分析もキチンと出来ているのですが、最も重要な客層に合わせたニーズという概念が欠落しているのでしょう。まぁ、まだクリエイターとして身を立てると決めている訳でもないからね、多少はね。また、直秀のダメ出しを素直に受け入れて、次はもっと面白いものを考えてくると前向きに返事をする点は好印象でした。『笑の大学』の劇作家を思わせました。

あと、まひろがサロン赤染衛門で教養ひけらかすKYっぷりは相変わらずとはいえ、参加者も研鑽して知的水準があがっているおかげで、今までのようにビミョーに浮かずに済んでいるのも地味にホッとした場面でした。まぁ、まひろ本人は『顔に止まったハエ』ネタでめっちゃ盛りあがっている参加者を見て、

 

まひろ「あ~、中身もないのに共感だけを求める若者特有の会話ダリぃ~」

 

と自分の年齢を棚に上げて思っているのは慣れない愛想笑いでも明らかなんですけど。

 

 

まひろ「公任様の御作は唐の白楽天のような歌いぶりでございました」

ききょう「アテクシはそうは思いません。むしろ、白楽天の無二の親友だった元微之のような闊達な歌いぶりでした。そうは思いません?」

 

実際は面識がないのに物語ではライバル扱いされがちな点でメアリー・ステュアートとエリザベス一世のような関係の紫式部と清少納言。個人的に清少納言は陽キャな港区女子で紫式部は陰キャのオタクと勝手に思い込んでいます。前者は式部の旦那を、後者は本人の人間性をディスるという、史実では面識がない割に(ないからこそ?)結構な泥沼関係の両名を如何に描くかが本作の注目点の一つでしたが、まひろ以上に詩歌の解析度が高くて、まひろ以上に空気が読めないキャラクターになっていたのは成程と思いましたね。人間、あまりにも価値観が違い過ぎると反感が湧かず、逆に自分と似たところのある相手に同族嫌悪を抱くもの。ききょうに対するまひろの第一印象は『え? 私よりも空気が読めていないのに、こんなに堂々としていていいの?』だと思います。そして、ききょうはまひろよりも空気が読めないのに全然悪びれていないのよね。場にそぐわない発言を親父に窘められても『またやっちゃった~、テヘペロ(死語)』くらいにしか捉えていない。多分、ききょう本人は自分をサバサバ&ズバズバ系のイケてる女子と思い込んでいるフシがある(偏見)。同じインフルエンサーでもききょうはインスタ派でまひろはツイッターではないかと思います。思わない? ついでにまひろは文字数制限を解除したいけどなかなか認証マークが貰えない所為でレシート芸を乱発するタイプ。ううん、知らないけど絶対そう。一部では『紫式部と清少納言に面識はない!』と批判する意見も出ているそうですが、史実的には誠に御尤もなれど、物語としては直秀が申したように、

 

おかしきことこそめでかけれ

 

ですから、この点で本作を批判する気はありません。あとは両名の関係性をベースに作品を面白く出来るか否かですね。

あと、詞のクオリティで才能を、作品の方向性で政治的スタンスを判断されてしまう平安の歌会が地味に怖い。この描写をもっと掘り下げて欲しかったなぁ。そして、目の前にまひろがいたことで、思いっきり恋歌に奔った三郎さん、実は妙な政治色をつけられない賢明な判断でした。