『鎌倉殿の13人』総評(ネタバレ有) | ~ Literacy Bar ~

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ここはイマイチ社会性のない自称・のんぽりマスターの管理人が、
時事、徒然、歴史、ドラマ、アニメ、映画、小説、漫画の感想などをスナック感覚の気軽さで書き綴るブログです。
※基本、ネタバレ有となっていますので、ご注意下さい。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送が終了しました。この作品に携わったスタッフ、キャスト、関係者の皆さま、大変お疲れ様でした。

 

さて、今年も予定通りに総評の執筆が押しに押し、有線で『冬は素敵♪ 雪は素敵な恋の予感♪』などという豪雪地帯への政治的配慮に著しく欠けるクリスマスソングが流れる時期になっても、パソコンのWordの画面は一足早い冬将軍が到来したかのように真っ白という、作中の鶴岡八幡宮もビックリの状況に陥っていた頃、巷では2022年の流行語大賞が決定していました。ニュースを見ながら『ワールドカップが間に合っていたら、今年の流行語大賞はVAR技術で決まりだったろうな』などと埒もないことを考えていると、ふとTwitterで鎌倉殿流行語大賞というハッシュタグを見かけたのを思い出して、執筆と仕事の息抜きを兼ねて自分の中で思いつく台詞やフレーズの脳内選出を始めると、候補が出るわ出るわ。ほぼほぼ冒頭で筆が進まなくなった当初の計画に固執するくらいでしたら、こちらから攻めてみようと思い直して12月初旬に全ての構想を白紙に戻したといういわくつきの総評になった次第です。そんな訳で今年の総評は、

 

『鎌倉殿の13人』私的流行語・名台詞大賞ベスト10

 

から始めることに致しましょう。紹介の順番は大体放送の流れ通りで、ナンバリング自体に優劣はありません、多分、恐らく。それでは発表に移ります。

 

 

1.全部大泉のせい

 

初手から本編でなく、番宣トークショーの台詞で恐縮ですが、正直、鎌倉殿どころか今年の流行語大賞を獲ってもおかしくなかったフレーズ(個人の感想です)。本作は第一話からむさ苦しいおっさんを中心に登場人物がワラワラと登場するうえ、お互いを諱よりも通称や在地の名前で呼び合うなど、大河ビギナーや源平争乱に疎い視聴者には誰が誰だか見分けのつかないハードルの高いスタートでしたが、話が判らなくなったら大泉を見ていればよいと事前に誘導出来たのは大きかった。主人公の小四郎は中盤までは頼朝や御家人たちに振り回される側で、決して物語を主導する立場になかったので、こちらに視点を合わせると流れが掴みにくかったでしょう。単なるオグリンと大泉のトークネタに留まらず、本作の関連番組のクオリティの高さとプロデュースの巧みさを象徴するフレーズ。

 

 

2.善児

 

物語後半で退場するまで、毎週クレジットに名前が出るか否かで視聴者を阿鼻叫喚地獄に叩き込んだ二文字。これに匹敵する本作の二文字用語は首桶くらいではないかと思います、思えない? 善児の凄さはストーリーにガッツリ食い込む&そのくせ決してストーリーに無理を生じさせない&視聴者から絶大な認知度を得るという大河ドラマのオリキャラの理想の全てを獲得した三冠王ということでしょう(美川君はストーリーの外にいたから二冠)。しかも、脚本家が『人気が出そうだから逆に惜しまれるうちに死なせた』と明かしたように、最初から最後までキチッと設定が決まっていた訳でなく、ある程度流れで退場を決められるキャラクターでここまでの存在感を示せたのが怖い。並の大河が必死でやってもなかなか出来ないことをサラリとやってのける本作、間違いなくプロの犯行。

 

 

3.みんな武衛だ

 

みんな大好き武衛おじさん。本人は武衛ではありません、念のため。メフィラス義村による無教養を揶揄する意図で教えられた武衛というフレーズを、宴会で誰彼構わず連発してしまう姿は三谷作品名物の真相を知る者と知らない者の温度差コメディとして楽しめたのは勿論、自尊心が高い割にセコい計算で行動して、訳知り顔の年長者のくせに無教養で、鷹揚を装う言動の裏では無碍にされると簡単に臍を曲げて、坂東随一の兵力を擁する実力者でありながら誰よりも頼朝への忠誠心を抱くという、本作の上総広常のキャラクターが完全に固まったシーン&フレーズでした。武衛おじさんにはまた触れる予定なので、ここではこの辺で。

 

 

4.おなごは皆、キノコが好きなのかと思っておりました

 

最終回で漸く誰が吹き込んだのかが判明した小四郎の謎のキノコ信仰。本命・メフィラス義村、対抗・時政パッパ、大穴・宗時お兄ちゃん、ダークホース・未登場の小四郎マッマと予測していましたが、概ね想定内でした。恐らくは上総広常に『武衛』を吹き込んだのと同じく、あからさまな揶揄の狙いがあったのは確定的に明らかですが、ダークホースが原因であったとすると年長の八重ちゃんは兎も角、年下の比奈ちゃんやのえさんにバブみを求めてキノコを送り続けた小四郎さんの闇は深い……などと考えていたのはいい思い出です。八重ちゃんに対するプレゼント攻勢の頃はストーカーごんぎつね小四郎を象徴するフレーズでしたが、これが最大の効果を発揮したのは実朝きゅん&仲章暗殺直後。『キノコ大好き(大嘘)』で主人公のキノコハートをゲッチュしたのえさんに『八重や比奈はお前よりマシな女だった』と精神的三行半を叩きつけたのは、小四郎から可愛げや弱味が完全になくなったことを如実に物語っていました。要するに主人公の完全なる闇落ちを象徴するフレーズがキノコであったということです。これ以上、意味深なキノコという言葉を私は知らない(性的な意味を除いて)。そして、最終的に主人公の命取りにもなったという……そう考えると本作は全部メフィラスのせいと言えると思います。思えない?

 

 

5.経験もないのに自信もなかったら何も出来ない、違うか?

 

プレ鵯越(未発)島本和彦漫画を思わせる体育会系詭弁を披露した九郎さん。マジで『逆境ナイン』辺りで誰かが言っていそうな台詞です。ついでに『カッコいい決め台詞』をカッコいいシーンで使わず、ギャグに落とし込む点でも三谷さんと島本和彦は相性がいいように思います。更に当該台詞は後に、

 

北条時政「貴方は仰った。『経験もないのに自信もなかったら何も出来ぬ』と。では、自信をつけるには何が要るか? 『経験』でござるよ。まだまだこれからじゃ」

 

という鶏卵前後論争で〆られるのですが、こうした台詞のロジックの上手さ、のちの展開に活かす巧みさ、実生活の会話でも使えそうな面白さも、本作の魅力の一つといえるでしょう。

 

 

6.メフィラス義村

 

こちらも作品外由来のフレーズ。御存じない方のために説明すると三浦義村役のヤマコーが本作放送中に公開された『シン・ウルトラマン』で演じたメフィラス星人の、表面的な慇懃さと裏面に隠された邪悪さと絶妙なまでの胡散臭さと異様なまでの計算高さと何を考えているのか読めない宇宙人的思考がどう見ても本作の平六と瓜二つなため、つけられた仇名です。ぶっちゃけ、一部の界隈では平六という呼び方よりも通りがいいと思う。史実でも同時代人から『何を考えているのか全く読めない』と評され、本作でも『頼朝の元カノを寝取ることで頼朝を越える』と訳の判らんことを言い出す平六の言動を理解するのに、

 

宇宙人だからね、仕方ないね

 

以上の解釈は存在し得なかったでしょう。『シン・ウル』で最も得をしたのは三谷幸喜とヤマコー説、一理ある。メフィラス星人というファクターなしで三浦義村のキャラクターを把握するのは相当ハードルが高いからなぁ。両作品が図ったように同年に公開されたのには運命的なものを感じてしまいます。

メフィラス義村の件を除いても、本作はここ数年の大河ドラマに比べてツイていた印象があります。成程、富士の巻狩りロケは当初予定の二日間がで中止&予備日も嵐に見舞われるなど、スタッフの苦労は計り知れませんが、結果的に嵐が天幕を靡かせて迫力のある映像になっていましたし、コロナ関連でも出演者の罹患やリハーサル時のマスク着用などのトラブルや障害はあったものの、撮影が一時ストップした一昨年や、全体の尺が大幅に削られた昨年に比べると不運の度合いは少なかったように思います。頼朝や小四郎の台詞ではありませんが、ある意味で天に守られた大河ドラマであったのかも知れません。

 

 

7.成長著しい金剛

 

あからさまにテロメアが短そうな俺たちの泰時登場シーン。いや、ネタとしては最高に面白いよ? 面白いけどさぁ、これはギリギリOUTの表現でしょう。きりちゃんの『マネをしてはいけない』もそうですが、テロップやナレーションでダイレクトに物語のボケにツッコミを入れるのは感心出来なかった。『葵~徳川三代~』でも水戸光圀御一行が時空を越えて好き勝手やることはありましたけれども、あれは一応、本筋と切り離された場面に限定されていましたからね。まぁ、本作の年齢に関しては三浦義村(8)という、マジでメフィラス星人とでも思わないと整合性のつかないパターンが散見したとはいえ、その方向性で行くのであれば、そのまま全ツッパして欲しいのよね。『草燃える』でも藤岡弘、(8)とかあったみたいなので、視聴者的にも『ああ、その方式で行くのね』と脳内調整したところにセクスィー八田殿の年齢カミングアウトのような『実はギャグでしたー!』と卓袱台返しをされるのは梯子を外された気分。少なくとも、今後の大河ドラマには見習って欲しくない。大人が少年少女役を演じているところにいちいち『成長著しい』のテロップを被されたらウザいでしょ? 『オンベレブンビンバ』のようにスタッフの遊び心が時に暴走するのも本作の特徴の一つでした。最終回冒頭の松潤家康の登場も、次回大河の宣伝という事情は理解出来るものの、そんな暇があったら一分一秒でも承久の乱の詳細をやれと思った……つーか、泰時が一度鎌倉に戻る逸話はメフィラスのよる泰時暗殺計画を回避するイベントになると思ったのになぁ。ちなみに私がギリギリ許せた本作の遊び心は剣豪・大江広元までです。貴方は許せる? 許せない?

 

 

8.範頼……ごめんね!

 

これまた作品外由来。頼朝・範頼・藤九郎・ポジティブが行列に参陣した三嶋大祭りで、大泉が発した一言。数百年を経て頼朝と蒲殿兄弟の和解が成った感動的な場面でした。マクワウリの惨劇なんかなかった。いいね? ちなみに当該祭りは第4話で頼朝が挙兵に踏み切った際に行われていた神事由来。なかなか味なことをなさる。実際、当日は10万人を越える観客が集まったそうです。本作はTwitterでも放送当日~翌日にかけて『善児』や『武衛』や『オンベレブンビンバー』や『きのこ』などの関連用語のトレンド入り、Yahoo!検索大賞2022ドラマ部門第一位、小四郎&太郎の中の人が参加する本作のトークショーの観覧倍率が定員50倍を超えるなど、視聴者の熱度の高い作品であったことは疑いありません。その象徴としての選出。

ただ、本作の視聴率って昨年よりも下回っているのよね。個人的に『青天を衝け』は今世紀の幕末大河では三本の指に入る好きな作品で、コロナ禍で削られた話数をキチンと制作出来た&『獅子の時代』以来のパリロケを敢行出来ていたら、或いは三指が一指になった可能性もあり得たと思っていますが、題材的にも話題性でも『鎌倉殿』を上回る数字の底堅さがあるとは思えなかったので、とても意外。うちのブログでは開設当初から視聴率と作品のクオリティは必ずしも正比例しないというポリシーを打ち出しているとはいえ、この数字には驚かされました。テレビドラマって難しい。

 

 

9.なぜこんなことに

 

『畠山重忠の乱』の予告映像で流れたテロップ。『坂東武者の鑑』と謳われ、自分の見栄えがいいと自覚している、普通は鼻につくタイプのイケメンにも拘わらず、視聴者人気の高い畠山重忠の退場は後半の大きな山場の一つになりました……が、よく考えると畠山重忠にかぎらず、殆ど全ての登場人物の死は本人にとっても視聴者にとってもなぜこんなことにの連続であったと思います。そのバリエーションも豊富で、清水冠者退場回ではメフィラス、全成、工藤、仁田と誰が寝返ってもおかしくないメンツを揃えておきながら、最終的に小四郎の計画を裏切ったのは義高本人であり、更に義高にトドメを刺したのは愛しい大姫から送られた鞠の糸(鯉口切るのを阻まれて死ぬ)というおお……もう……の嗚咽を禁じえない展開の挙句、トドメとばかりに義高捕殺の功労者として恩賞に預かれるかと思っていた藤内光澄が首チョンパで報われる地獄のようなオチでした。

また、一週間のタイムラグでリアルの大嵐を呼んだことでも話題になった全成退場回、全成が呪詛用の人形を回収し忘れる現場猫案件の段階で『(ノo`)アチャー』でしたが、それを近日中に都に戻る予定の平知康がトキューサ(当時は時連)のタイガーショットを背後に喰らった拍子に見つけてしまう間の悪さ。これが小四郎や善児やトウに見つかっていたなら、まだしも視聴者的に諦めがついたかも知れません。よりにもよってほぼほぼ利害関係のない鼓判官に発見させることで、運命の気紛れな残酷さを際立たせていました。

このように本作は脚本家が今までの創作で培ってきた経験、就中、如何に登場人物を残酷な過程で退場させるかのテクニックの全てを注ぎ込んだ、一つの集大成的な作品になったと思います。『真田丸』の際に『三谷大河はコメディにしかならない』との批判を耳にした脚本家が『俺が名前を伏せて本格大河を書いても誰も俺と気づかないんじゃないか』とドルトン・トランボみたいなことを漏らしていたそうですが、それが強がりでないことが今回の大河ドラマで証明されました。ただ、登場人物を残酷な方法で退場させることを優先するあまり、物語の筋道が縒れることがあったのも事実です。本作で最も衝撃的な退場となった上総広常粛清劇も、彼を御家人内部の不満分子に埋伏させることで、その動静を制御すると共に広常本人を粛清する口実にするという策略でしたが、ズバリと決まったからいいようなものの、ここで広常が同朋を制し切れずに大勢に流されたら鎌倉自体が危うくなるところでした。本作はよく族滅ピタゴラスイッチと呼ばれましたが、悪い意味でも『一つでも計画が狂うと物語の筋書き自体が成立しない展開』が結構ありました。ちなみになぜこんなことにの回答として挙げられるのは、同じく予告画像で使われたここは鎌倉になると思われます。鎌倉だからね、仕方ないね。

 

 

10.お前は俗物だ。だから、お前の作るモノは人の心を打つ

 

小四郎の運慶という希代のクリエイターへの評価。史実の北条義時や運慶の人間性や関係性は別として、本作で最も好きな台詞を挙げよといわれたら、多分、これを選ぶでしょう。本作の運慶は出番も少なく、これといった必然性に乏しいキャラクターの印象がありましたが、この回で彼は三谷幸喜の分身であり、創作者の目で彼を見る存在と気づきました。中盤まで出番がなかったのは北条義時が歴史の表舞台に現れる時期とリンクさせるためでしょう。彼の登場以前の小四郎はほぼほぼ三谷さんの創作で、登場以降はある程度歴史を踏まえていますとの意図かも知れません。

また、クリエイターにせよ、アスリートにせよ、その作品や成績は人格と別個に評価されるべきとの姿勢を創作側が明確に打ち出してくれたのは嬉しかったですね。作品への評価や感想から少し離れた話になりますが、本作の女性キャラクターの設定や台詞について、脚本家が複数の女性スタッフのアドバイスを受けた逸話が報道されまして、それについて『三谷さんは価値観をアップデート出来ている!』と賞賛の声がある一方で『その女性スタッフの名前も三谷さんのクレジットに併記するべきではないか!』と批判する意見もありました。前者に関しては複数の女性スタッフの意見を反映したとされる本作の女性キャラクターの、男性キャラクターと比して意外に凡庸な造型を鑑みるに、一人の変態クリエイターが性癖を拗らせて練り上げた女性像のほうが圧倒的に面白いことは、宮さんや富野御大や庵野監督の事例を見ても確定的に明らかではないかと思いました。後者についても脚本家やスタッフの同意を得たうえで、作品のクオリティに責任を持つ覚悟がある人はそうして貰っても構いませんが、同時に本作が『江』や『花燃ゆ』みたいにボロクソにバッシングされていたらこんな意見が出ることもなかったろうなと思わないでもありません。

また、一部界隈から絶賛されている実朝きゅんの設定について、彼と千世さんは性差を越えたソウルメイトみたいに評する向きがありますが、私は千世さんにとっての実朝きゅんは残酷な善人だと思いました。実朝きゅんが『過分な地位を頂いたことと貴女を引き合わせてくれたことを上皇さまに感謝する』と千世さんに告げるシーンがありましたけれども、この場面は直前に公暁へ鎌倉殿を譲ると言い出したのと同じく、言われた側は『何を今更』との思いは禁じ得ないでしょう。遥々、京の都から決死の思いでアズマエビスの長の元に嫁ぎ、親元や周囲に『世継ぎを生んでナンボ』というプレッシャーを受けているにも拘わらず、その相手に『貴方のことを性的な目で見れませんが、この国の未来を築くパートナーとして永遠にいいオトモダチでいましょうね』などとめっちゃ爽やかなイケメンスマイルで告げられたら、

 

千世「何がクニだよ! ク【自主規制です】ニしろオラァ!」

 

と言い返したい気持ちが僅かでもないといったら嘘になるでしょう。誤解のないように申しあげると私はそういう残念な点も含めて実朝きゅんが好きです。恐らく、本作の千世さんも同じ思いでしょう。ただ、安易に現代的価値観をキャラクターに投影するのは、題材と見方によっては非常に残酷に映るということを指摘しておきたい。三谷さんは本作のジェンダー描写には女性スタッフの意見を取り入れたとのことですが、私の下種の勘繰りではこの時代に現代的な価値観を持つキャラクターを投入したところで本人も周囲も不幸にしかならないことを伝えたくて、それらの意見を容認していたんじゃないかと思うのよね。

何れにせよ、フィクションやスポーツに政治的正しさを求める手合いの声が日に日に囂しくなっている時代に、創作世界、それも大河ドラマの常連脚本家が『俗物だろーが何だろーが……否! 俗物だからこそ面白いモノを作れるんだ!』と作中で意思表明をしてくれたことを有難く思っています。

 

 

……以上が私的『鎌倉殿の13人』流行語・名台詞ベスト10です。他にも『トキューサ』を筆頭に『首チョンパ』『田んぼのヒル』『俺だよ法皇様だよ』『表に出ろと言われて表に出てよかった試しはない』『ウリン』『俺は佐殿の力を借りて平家をブッ潰すぜッ!』『スーパーポジティブ仁田忠常』『相模川ウィリー事件』『セクスィー八田殿』『無数の和田義盛』『プルップ』『死ぬどんどん』『ごんぎつねストーカー小四郎』『縄のようなものはないが縄はあったぞ』『お前老けたな』『キングボンビー』『兄上三段活用』『マネをしてはいけない』……etc.etc.と思い出せるだけでも数多のフレーズが浮かびますが、キリがないので止めておきましょう。

キリがないといえば、ほぼ毎年恒例のキャラクターランキングも今年はガチ順位を考え出すと冗談抜きでベスト50くらいまで挙げないといけなくなる(何が始末に負えないかって、ランキングを考えると何故か土肥実平の笑顔が頭から離れなくなってしまっている)ので、今回はジェンダーへの配慮も鑑みて男女それぞれのベストオブベスト1を選出することにしました。尚、意外かも知れませんが、同時に男女それぞれのワーストオブワースト1のキャラクターも御紹介しようと思います。

 

まずは男性キャラクター第一位。

 

 

上総広常(演・佐藤浩市)

 

詰まるところ、本作の売りは魅力的な登場人物を如何に理不尽且つ残酷に死なせるかの一言に尽きます。充分な計算に基づいた視聴者の感情移入に足るキャラクターを描き、彼らを方程式やセオリーの領域外、想定外のピタゴラスイッチ的トラップで死に至らしめる。これを大体3週に1度のペースで繰り返すのが中盤以降の本作のスタイルですが、その嚆矢となったのが第15回『足固めの儀式』であり、上総広常の粛清劇でした。当該回の詳細は当時の感想記事をお読み頂くとして、煽るだけ煽っておいて、本番では巧妙な肩透かしを食わせることに定評がある三谷史劇とは思えない、事前の特番情報に偽りなし……どころか、それを遥かに越える大河史上に残る伝説回になりました。

ここで改めて指摘しておきたいのは本作の上総広常のキャラクター造型はほぼほぼ脚本家の創作であること。多少、扱いは難しいものの、本質的には頼朝LOVEで彼のためには苦手な手習いにも前向きに取り組み、見どころのある青年・小四郎には海賊に老けたなと言われてキレる場面以外は坂東武者のあるべき姿を示す善き先達という上総広常のキャラクターは、史実とも従来の創作劇とも異なりますが、その魅力溢れる人物が頼朝と大江広元の言いがかりと呼ぶのも躊躇われる狡猾な策略によって冤罪に斃れる一連の流れは、恰もこれが事件の真相であるかのような錯覚さえ抱かせました。上記のように本作のウリは魅力的な登場人物を理不尽且つ残酷に死なせることにありますが、結局のところ、その最初の犠牲者・上総広常の死を越える者は最期まで現れなかったと思います。もっと語弊を恐れない言い方が許されるとしたら後半以降は上総広常粛清劇の貯金を切り崩すことで物語を維持していたと評してもよいでしょう。

そして、そのキャラクター造型は2004年の大河ドラマ『新選組!』の芹沢鴨のイメージに裏打ちされていたと思います。三谷幸喜と佐藤浩市、この両者の何れが欠けても本作の上総広常は成功し得なかったでしょう。通常、歴史劇では新解釈や独創性のあるキャラクターがウケると結構な割合で追随する作品が現れるものですが、

 

本作の上総広常はワン&オンリー

 

であり、これを模倣するのは『鎌倉殿のパクリやろ』とのツッコミを免れ得ないと思われます。誰にも模倣されない新機軸を成功させる。クリエイターにとって、これ以上の栄誉は恐らくないでしょう。昨年発表した個人的大河ドラマベストキャスティング20の21世紀編にも入れざるを得ない、否、入れさせて頂きます。取り敢えず、上総広常INの直江兼続OUTで。すまんなイケボ。

 

次は女性キャラクター第一位。

 

 

丹後局(演・鈴木京香)

 

本作の特徴は鎌倉御家人パートの充実ぶりに比して、それ以外の勢力の描写が貧弱なことが挙げられるでしょう。勿論、全ての物事には優先順位がある以上、どこかで線引きをしなければならないのは創作にかぎった話ではなく、本作の本筋は鎌倉御家人同士の壮絶な内ゲバにあり、そこをキチンとやってくれているからには『全ての人間を納得させる価値観を描いていない作品に存在価値はない』などと政治的に正しい界隈にありがちな戯言を宣う気は毛頭ありません。あの界隈の主張が嫌われるのは制作リソースは有限という思想以前の小学生レベルの算数を理解出来ないからではないかと思いますが、それはさて置き、本作は最優先事項をキチンと押さえている点は踏まえたうえで、敢えて申しあげると、やはりキャスティングの重厚さに比して、平家、朝廷、木曾、平泉パートが脆弱であったのは否めないでしょう。

ただ、その中で一人気炎を吐いたのが丹後局。いや、彼女もあまり印象に残らないキャラクターでしたが、入内を目論む政子・大姫の二人のメンタルを言葉だけでへし折る場面は圧巻の一言。ジャブ代わりの嫌味~相手が抵抗してこないと見るや権高な物言いでマウントを取り、ボコボコに弄る~あとは自分が勝者であると印象づけるために人が変わったように穏やかに接するという丹後局のやり口を見て、

 

言葉で人を殺すとはこういうこと

 

と納得してしまいました。義高の死でボロボロになったメンタルで無理をして死んでしまう従来型の大姫ではなく、義高の死から立ち直った大姫が言葉でボコられて再びメンタルを病んで死んでしまうという展開にした以上、このシーンには一撃で大姫の心を折る説得力が求められた訳で、その瞬間最大風力を評価しての第一位。

 

続いて、男性ワーストキャラクター第一位。

 

 

後白河法皇(演・西田敏行)

 

女性キャラクター第一位の丹後局の相方・ゴッシーがワーストキャラクター第一位。丹後局の項目でも触れたように平家、朝廷、木曾、平泉パートはキャスティングの重厚さに比して脆弱であったのは否めず、その代表格がゴッシーでした。コイツ、ストーリーにキチンと絡む活躍しているのが本人じゃなくて頼朝が見るイマジナリーゴッシーの時だけなんだぜ。そんなキャラクターがトメクレなのはおかしいやろ。ほぼほぼいるだけトメクレですやん。同じトメクレを務めた作品でも、今期の日曜早朝の再放送枠の『おんな太閤記』での親しみやすさと陽気さの薄皮を被った天性のサイコパス秀吉の名演に比べると西田敏行のムダ使いという言葉しか出てきませんでしたわ。近年の大河ドラマは事前プロデュースの一環としてキャスティングの発表に重きを置いているようです(特に『鎌倉殿』では顕著でした)が、それが単に視聴者の耳目を惹くことを優先するあまり、クレジットのポジションに相応しい扱いと出番のない大物俳優の起用を生み出しているのではないかと思います。

また、本作は第一話と最終回でこの国の成り立ちを根こそぎ変える戦乱が迫っているときりちゃんナレーションで煽っておきながら、結局、朝廷と武家の関連性についてはほぼほぼ掘り下げられることなく、鎌倉の内ゲバメインで終わってしまいました。如何に製作リソースは有限であり、物事には優先順位がついて回るとはいえ、一度言葉にした主題を最終回までマトモに描かずに終わったことは言い逃れの出来ない誇大広告であったと厳しく断罪せざるを得ないでしょう。その象徴としてゴッシーを選出するものであります。

 

最後に女性ワーストキャラクター第一位。

 

 

比奈(演・堀田真由)

 

俳優さんに非があった訳ではなく、あくまでも作中の扱いの問題。一言でいうと八重ちゃんプッシュのあおりを食らった被害者です。八重ちゃんと小四郎の絡みを描くことで、史実では大きな動きのない主人公の前半のストーリーを盛りあげると同時に、八重という今までクローズアップされることのなかった女性の魅力的な新解釈の虚像を提示する。その狙いと志自体に文句はありませんが、何事にも限度はあるというか、史実の小四郎ストーカー事案という面白エピソードを八重ちゃんで済ませて、実際に被害(?)を受けた姫ノ前の場面では完全にスルーしたのは流石にどうかと思うのよ。それを抜いたら姫ノ前を出す意味ないじゃん。『成長著しい金剛』の項目でも触れたように、本作は結構な割合で面白さを優先するあまり、一切の躊躇いナシに史実やルールをガン無視する場面が多いのが、気になる人には気になるんだよなぁ。泉親衡の正体が源仲章という設定もギリギリOUT臭い。

 

 

以上が『鎌倉殿の13人』ベストキャラクター&ワーストキャラクターです。敢えて次点を挙げるとしたら、ベスト2はトキューサ&実衣ちゃん、ワースト2は木曽義仲&大竹さんの歩き巫女かな。同時期に再放送された人形劇版の『新・平家物語』を見ると義仲はもうちょい出番があってもいいだろと思いました&歩き巫女も西やんのゴッシーと同じで『別に大竹さんじゃなくてもいいだろ』というポジションでしたので。政子も最終回直前までは比奈ちゃんとワーストキャラを争っていましたが、誰よりも家族を大切にしていたことが判明した47話と、その家族を未必の故意で手にかけるという、彼女にとっては後世の評価よりもツラい肉親殺しの前フリと判明した最終話で全ての評価が反転しました。このために終盤まで政子をキレイキレイなポジションに置いていたのかと思うと三谷さんのスゴみを改めて実感。

 

 

さて、ここまでは流行語・名台詞・ベストキャラクター・ワーストキャラクターの紹介と共に、私なりの今年の大河ドラマに対する解釈や感想や評価を語って参りましたが、ここら辺でまとめに入りたいと思います。『鎌倉殿の13人』とは何であったのか。これも毎年恒例の食べ物に例える企画で私なりの回答を出してみましょう。今回の選出ポイントは3つあります。

 

まず、第一に熱気をあげます。視聴率こそ意外に振るわなかったものの、先述した三嶋大祭りの賑わいを筆頭にTwitterトレンド、トークショー、Yahoo!検索大賞2022ドラマ部門第一位etc.etc.……といった具合に、実際に作品を見ている人からの熱い支持があったのは疑いようがありません。この支持層の熱気の要因の一つにはビギナーとベテランの共存度の高さがあったと思います。一般的にビギナーは定番や判りやすさを求め、ベテランは難解さや新説設定を望むもので、ここで両者の作品評価の温度差が生まれやすいのですが、本作はビギナーをドン引きさせつつも物語に喰いつかせる魅力があり、ベテランはビギナーの阿鼻叫喚のリアクションに大河ドラマや歴史にハマった頃の自身の過去を反芻するという、些か歪ながらもお互いに冷や水を浴びせることのない関係が恒常的な熱い支持層の形成に繋がったように思いました。或いは本作は新説に基づく大胆なアレンジと思わせておいて、基本的には『草燃える』などの先達の作風に準拠している(現代語口調、コメディベース、曽我兄弟の仇討ちの解釈等)ので、ベテラン、中堅、ビギナーと全ての世代の大河ドラマ視聴者層への当たりがよかったのかも知れません。

 

次の条件に挙げたいのは辛さです。つらさ、からさ、どちらでもOK。近年の大河ドラマでの辛口風の作品といえば、一部ネット界隈で『ハバネロ大河』とも呼ばれる『おんな城主直虎』が挙げられますが、あちらは辛味と旨味の比率が9:1くらいの料理というよりもタバスコソースの一気飲みではないかと思える作品であったのに対して、今年の大河ドラマは辛味6:旨味4のバランスの取れた構成でした。尤も、バランスがいい=辛くないということでは全くなく、中盤以降はハバネロ大河直虎の『嫌われ政次の一生』レベルのトラウマ話が3話に一回の頻度で発生。全視聴者の週明けの勤労意欲に全力で鑢掛けを仕掛けてきたものです。特に主人公・小四郎の闇落ち具合は『主人公を只管いい子いい子してきたスィーツ大河のネガポジじゃないのか』との声もあり、私個人も『小四郎の暗黒落ちが物語進行の結果ではなく、目的と化している』と思ったことが一切ではありません。

それでも、旨味成分が充分以上に存在したのも確かで、同じ辛さでも『直虎』のようにハバネロ一本槍ではなく、登場人物ごとの悲劇的な死なせ方のバリエーションの豊富さは勿論、キャラクター自体も御家人たちを中心に一人一人がキチンと個性ある存在として立っており、様々なハーブ、スパイス、香料、生薬が複雑に配合されたかのような深みと奥行きのある構成でした。同じ脚本家の『真田丸』も含めて、ここ十数年の大河ドラマは善かれ悪しかれアマチュアっぽさがあったのに比べると『鎌倉殿』のキャラクター設定やストーリー進行は、多彩で個性あふれる香辛料を巧みに扱うプロの名に恥じない作品であったと思います。

 

そして、第三の要素は反則でしょうか。三郎兄貴の『俺は佐殿の力を借りて平家をブッ潰すぜ!(ガンギマリ顔)』に代表される現代語調の台詞に始まり、きりちゃんの『真似をしてはいけない』『正しくはオンタラクソワカである』のナレーションによるツッコミ、子役の必要性の概念を覆した成長著しい金剛のテロップといったTV的演出の他にも、小四郎のストーカーエピソードの前倒しや泉親衡=源仲章設定などの史実の解釈と独自の創作の境界線が曖昧になりがちの、禁じ手や反則感が拭えない作品でした。最終回の政子が小四郎の薬を取りあげるラストも、物語的な盛りあがりは別としてあの時代に一杯飲んだだけで瀕死の発作が収まる薬があるとは思えなかったのも事実ですからねぇ。

ただ、反則だからこそ面白くなっているシーンも多々あった訳で、私的に好きな反則技は第39話『穏やかな一日』。歴史家の細川重男氏が『表面的な平和』と評した八年間に属する承元二年~建暦元年に至る四年間を一日に凝縮するという時系列を重視するべき歴史劇では究極の禁じ手でしたが、冒頭にナレーションのきりちゃんを登場させることで『今回自体が禁じ手です』とのエクスキューズが出来ていたので、素直に受け取れました。これは3~4話に一度の悲劇という本作の族滅ローテーションを崩さず、リズムよくストーリーを進行するためのよいアイデアであったと思います。勿論、これは私が気にならないだけで、反則に思う視聴者もおられるでしょうし、その逆のケースもあるでしょう。何れにせよ、いかにも三谷さんらしい善くも悪くも捻りの効いた作劇は健在であったということです。

 

以上、三点を踏まえたうえで『鎌倉殿の13人』を食べ物に例えると、

 

激辛高級ビーフカレー大河

 

と言えるのではないかと思います。食した者を熱くする内容、ビギナーからベテランまで幅広い支持、圧倒的な辛味を美味に転ずるプロによる複雑なスパイス構成、そして、時に歴史劇や大河ドラマのルールを逸脱した点に、カレーの本場インドでは宗教上の理由でほぼほぼ禁忌とされる牛肉を用いた反則感を覚えたことを含めて『鎌倉殿の13人』の食べ物比喩はこれしかないかなぁ。今年は非常に早い段階(春先)には概ね何の食べ物にするかのアタリをつけており、しかも、それが最終回を見終えたあとでも変わらずに通用したのは今までにないことでしたね。本作はテンションやクオリティの乱高下はあったものの、作風自体は初回から最終回まで変わらずに貫けたことの証左といえるかも知れません。

ちなみに前回の三谷大河の『真田丸』の食べ物比喩は精進うなぎ大河でした。手は込んでいるもののドスンと腹に溜まることはないトンチの効いたテクニカルな軽めの食事の次に出てきたのが、食した翌日に腹を下しかねない満腹度と刺激溢れる料理というギャップが半端ないですね。先述のように三谷さんが『真田丸』終了時に漏らした『俺が名前を伏せて本格大河を書いても誰も俺と気づかないんじゃないか』というボヤキは紛れもない事実でした。サーセン。

 

 

最後は全体を通した採点。大河ドラマの感想を書き始めて以降、これほどまでに夢中になれた作品は『いだてん』と本作がツートップなので、あの時につけられなかった80点をつけたい。『いだてん』は圧倒的な視聴率の低迷がネックになっていたので、どうしても高い点数をつけることに躊躇いがありましたが、今年は思っていたよりも数字は伸びなかったものの、年末のオンラインファンミーティングのオンライン配信がアクセス集中し過ぎて繋がらないという不祥事によって、図らずも一定数以上の熱い支持層の存在が実証された訳ですからね。ただ、本作と『いだてん』のどちらが好きかといわれたら『いだてん』のほうかなぁ。作品の完成度は『鎌倉殿』に軍配を挙げるとはいえ、大河ドラマには常に未踏の時代や題材への挑戦を試みて欲しいので、ほぼ10年の定期周期で取りあげられる源平ものよりも、明治以降の近現代スポーツという異色のジャンルにトライした『いだてん』を評価したい。

実際、鎌倉殿も決して完璧な大河ドラマではありません(そもそも、完璧な大河ドラマなどというモノは存在しませんが)。それこそ、序盤~前半の毎打席ホームランレベルのクオリティに比べると中弛みや尻窄み感は拭えないのも確かです。殊に中盤の中弛みは八重ちゃんと頼朝の死のどちらに重きを置くかで迷いがあったのではないかと邪推しております。他にもキャラクターの『掴み』は非常に上手い反面、内面の掘り下げがイマイチな印象を受けました。キチンと家庭環境が描かれたキャラクターを除くと、意外と私生活の想像がつかないメンツが多いのよね。それと物語的に視聴者には『これは〇〇の伏線?』と思わせておきながら、それらを見事にスルーしてしまうことや、史実関連では最新の学説や研究の反映を期待させておきながら、意外と定番や旧説ベースの解釈で片づけることも多く、この点で大いに肩透かしを食らった視聴者も多い筈。ついでに頼家の性格が回ごとにブレ過ぎ。他には優れたフィクションにありがちな『創作によるイメージの定着』を危惧する声も見かけましたね。多分、今後数十年は八田知家は胸元寛げたセクスィーなイメージがつきまとうんやろうなぁ。八田さんはセクスィーで済むけれども、源仲章は相当ワリを食ったのは否めないです。いつか大河ドラマの主人公でやれ(無茶振り)。これ以外にも欠点や苦情を入れたいことは山ほどあるのも確かです。

しかし、そうした不完全さを内包しながらも『鎌倉殿の13人』は骨太な大河ドラマであったとの思いは揺らぎません。骨太というのは時代劇的な口調や所作や史観のみではなく、その作品で何を描くかという眼目にブレがないことにも使えると思います。本作に関しては、

 

鎌倉殿を中心とした御家人たちに魅力的な虚像を与え、それらを如何に理不尽且つ残酷に死なせるか

 

が眼目であり、そこさえキチンと描いてくれれば、他の欠点は許容範囲に収まる訳で、それ以外の問題点を以て本作全体を否定するのは、

 

 

今年の村上宗隆に六割八分二厘打ててないじゃん

 

 

と突っ込むようなものではないかと思うのですよ。先述のように本作の致命的欠点である朝廷パートの貧弱さについても、ペナントレースで三割一分八厘打って、NPBのシーズン最多本塁打の記録を抜いて、五打席連続ホームランの記録を打ち立てて、史上最年少で三冠王を取った流行語大賞の村神様に『日シリの打率は二割切っていたよね?』と突っ込むような虚しさを禁じ得ないのよね……とヤクルトにいいように弄ばれたDeNAファンの思いと共に、何とか冒頭の流行語企画に話を戻してみました。おあとがよろしいようで。

 

 

以上が大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の総評になります。今年も長々とした文章におつきあい頂き、ありがとうございました。

 

最後に一つ、お知らせがあります。

毎年年末の恒例記事になっていた拙ブログの大河ドラマ総評は今年で一区切りつけようと思います。簡易総評やキャラクターランキング、食べ物に例える企画等で軽めに触れることもあるかも知れませんが、例年のようにキチンと全体を総括した記事は今回が最後です。主な理由は3つ。まずはリアル仕事の増加。次に今年の総評は今までで一番キツい執筆になったから。毎年同じことを書いている気がしますが、冒頭でも述べたように今年はマジで12月になっても全体の構成が立っているだけで原稿用紙はほぼほぼ真っ白だったのよ。元々は食べ物に例える企画から入っていく予定でしたが、これが全く筆が進まず、気がついたら12月……偶然、流行語大賞のニュースを見て『こっち方面からなら書けるかも』とのインスピレーションを受けなかったら、今でも記事をUP出来ていなかったでしょう。来年も同じような僥倖に恵まれる保障はどこにもないですし、年齢的にもそろそろのんびりとした年末年始を送りたいですからね。

そして、3つ目は『鎌倉殿の13人』という作品のタイトル。本当に全く以て偶然ながら、私がリアタイの大河ドラマの総評記事を書き始めて今回が13作目なのですね。龍馬伝・【禁則事項です】・平清盛・八重の桜・ぼんくら・おにぎり・真田丸・直虎・うなぎ・いだてん・麒麟・青天・鎌倉殿と丁度13作の総評を書いて、最後の作品を13の数字で終わらせるのも悪くないと思いました。また、作品自体も2000年代後半以降、何かと迷走を続けてきた大河ドラマも今年は面白かったよねリアタイで見たのを誇れるよねと胸を張って言える作品を視聴出来た充足感も総評の筆を置く契機となりました。ブログ自体は大河ドラマの感想も含めて、今まで以上に細々と続けていく予定です。今までお越し頂いた読者の皆様と、総評を書かせて頂いた全ての大河ドラマのスタッフ(田渕・小松・中園を含む)に篤く御礼申しあげます。

 

さて、来年の『どうする家康』と再来年の『光る君へ』と意外な変化球二連続となる大河ドラマ。前者は革命家&南蛮鎧の信長復活ということで、そっち方面での不安があり、後者は平安~鎌倉前期に通暁する友人から『歴史解釈が色々とアカン』というコメントを受け、色々な意味で難易度の高くなりそうですが、大河ドラマ好きとしては事前にコケて欲しいと思う作品なんて一つもありません(これは田渕や小松や中園が再登板した場合も同じです)ので、開始前の予想に固執することなく、フラットな視点で楽しみ、面白かったら『青天』の時のように掌ゲッタードリルで絶賛していこうと思います。