幸いにも3回目のワクチン接種の副反応は前回よりも抑え目でした。まずは今月中旬のイベントに間に合って何より。そんな訳で諸々立て込んでいるため、来週&再来週の更新も不透明な状況です。書けたら書く(書かないフラグ)。今回は鎌倉殿の感想以外にも溜まっているモノがあるので、早速本文に入ります。まずはこれ。
前回の感想で『12回までは12打数12安打』と評していましたが、先週は進塁打、今週は犠牲フライの印象を受けました。特に今週は頼朝と義経の今生の別れを筆頭に短期~長期的な諸々のフラグを立てることに追われて、サブタイ&メインストーリーとなるべき都の義仲の描写が等閑になっていたと思います。先週、従来型と異なる切れ者のイメージで登場した義仲のよさがほぼ活かされなかったのが残念。また、義仲を差し置いて、頼朝が勲功第一に叙されるに至る鎌倉と朝廷の駆け引きも詳しく描いて欲しかったなぁ。こういう裏工作の過程を巡るドタバタ劇は三谷さんの得意分野でしょうに……とはいえ、一年帳場の大河ドラマで全試合全力ファイトをしたら身が保たないと評したのは私自身ですので、ここは大人しく次回以降の巻き返しに期待しましょう。聞くところによると来週がガチの分水嶺になるそうですので。ポイントは5つ。
江間小四郎「では、行って参ります。夜には戻ります」
八重「御無理をなさらないで」
江間小四郎「無理はしていません」
八重「小四郎殿の御身体が心配なのです」
江間小四郎「八重さんが待っていると思うと、無理が無理でなくなるのです」
八重「無理しているではないですか……やっぱり、無理して下さい」
アバンタイトルでイチャラブストロベリッっているバカップル。憧れの叔母さんお姉さんとの初恋が成就した微笑ましいシーンですが、ストーキング&ゾンビアタックの最凶のコンボ技で強引に八重ちゃんの心の俵を割らせた経緯を見ているので、ちょっとしたホラー感もあるように思います。思えない? 私の脳裏にストックホルムシンドロームという単語が点滅する今日この頃。
ツイッターでの『小四郎は江間と鎌倉を毎日通勤しているのかよ』というツッコミ、誠に御尤もと思いますが、私的には上記の八重ちゃんとの先週までと打って変わったイチャラブっぷりは、職場が遠くて滅多に帰宅出来ないことを暗に描いているんじゃないかと好意的に解釈したい……けど、流石に『夜には戻る』といわれるとフォローしきれん。江間と鎌倉を往復してから八重ちゃんと子作りするスタミナを残している小四郎さんパネェ。昨年の主人公といい、現代人とは足腰や下半身の鍛え方が違うのかも知れません。若いって素敵。
平宗盛「これより皆で、もっとよい所に参ります」
あっ……ふーん(察し)
大河ドラマで都落ちの際に道連れを探すことに定評がある小泉孝太郎。綾野容保の『騙されるな!』という必死の制止が聞こえてきそうです。スピリチュアルな要素に定評がある本作の後白河法皇には声が届いたのか、平家は安徳帝と三種の神器の確保には成功したものの、ゴッシーには逃げられるという大失態。逆に言うと今生で後白河法皇を拘束し損ねた教訓を来世の容保で活かしたのかも知れません。何れにせよ、行き着く果ては波の下の都。尚、宗盛本人は諸事情で到着が遅れる模様。
一方、平家の手から逃れたゴッシーは新宮十郎のヌルい接待バックギャモン&義仲の駐屯に『アイツらとつるんでもつまらん』不平タラタラ。流石は重盛を双六ハラスメントで地獄に叩き落とした御方の言葉には説得力があります。頼朝の上洛を待ちわびるあまり、
後白河法皇「ゆっくりせよと言われて、本当にゆっくりする奴があるか」
とお冠ですが、お前も何回か先の来世で似たようなこと言われるんやで。たわけうつけまぬけ定期。しかし、西やんは朝晩と大河でトメクレとか地味に凄いよね。
大江広元「木曽の荒武者と法皇様が合う訳がございません」
木曽義仲と後白河法皇の早期の関係破綻を予言する大江広元さん。中の人は西郷と久光だから相性がいい筈がない……という大河ドラマ的ネタ考察はさて置き、結果的に的中したものの、この辺の分析には時間を割いて欲しかった。近年の研究では木曽義仲もいうほど山猿ではなかったとの説が広まりつつあり、先週では智勇義を兼ね備えた義仲像を提示していたのに、今週では義仲の求心力の低下は都と木曽のカルチャーギャップに集約されてしまっていたからなぁ。勿論、乱暴狼藉を取り締まる義仲は新鮮であり、大軍の駐屯による兵糧不足と治安悪化の描写はあったとはいえ、分量として物足りない。或いは義仲には智勇義はあっても政治力がなかったとの意図かも知れませんが、そこはそれで頼朝との具体的な対比を強調して欲しい。義仲をサブタイにするのでしたら、一話丸々かけて掘り下げるくらいの腰の据わった姿勢が見たかった。むしろ、義仲よりも印象に残ったのは巴さん。床ドンの音が天地を震わすとか範馬勇次郎かよ。この巴御前はフロントチョークで首捻じ切りそう。間違いない。
源頼朝「戦から戻ったら、語り尽くそうぞ」
源義経「如何にして義仲を倒したか、如何にして平家を滅ぼしたか……夜を徹して兄上にお話する日を夢見て、九郎は戦って参ります!」
多分、今回建てられた最大級のフラグシーン。戦が終わったら腹を割って話そうとどうでしょうリスペクトな激励を贈る頼朝さんですが、個人的には戦に送り出す前に腹を割って話せよと思わないでもありません。実際、諸将に推されて本人も満更でもない雰囲気であった梶原景時を差し置いての抜擢のうえ、最後に信用出来るのは身内と宣言した以上、亀の前事件で既にモンスターの片鱗を見せ始めている九郎さんとは兄弟間での戦略方針のすり合わせくらいはキチンとやっておくべきでしょう。信じて送り出した弟が帝を死なせたうえ、草薙剣を紛失したという報告を送って来るなんて……。
セミの抜け殻を巡る九郎さんと義高君の遣り取りは好き。九郎さんのほうが『コイツ、もうすぐ兄上に消されるんだよな』という憐憫の情に基づく死出の餞としての贈り物でしょうけれども、義高君のほうは『コイツ、もうすぐ父上に消されるんだよな』という惻隠の情に基づく形見として受け取るとか、双方の価値観がまるで異なっているのに何故か心が通じ合っているように見えるのが凄い。
大江広元「上総殿について小四郎殿に御願いしたいことがございます」
江間小四郎「もし、あの方々から誘われたら乗ってやって欲しいのです。鎌倉殿のことは気になさらず、御家人たちの味方に」
前回同様、大江広元さんの不穏な前フリで〆。恐らく、小四郎は広元さんから『叛乱者を一網打尽にするための求心力として、上総殿に謀叛に加わるフリをして貰って欲しい』とでも吹き込んだのでしょうが、本心は謀叛に加わったフリをしている広常ごと【nice boat】する計画と思われます。流石は真田信尹に転生する大江広元。イケおじの割にやることがエグい。広常といい、広元といい、イケおじにモテ過ぎる小四郎君、来週は二人の板挟みで心が挫けそう。
そんなこととは露知らず、頼朝への不平不満を肴に三浦邸で盛りあがる御家人衆ですが、実は謀叛に加わるフリをして情報を鎌倉に流すのは三浦の御家芸。時には自分で謀叛の計画を立てておきながら、途中で一抜けして寝返ります。狂犬と評される所以ですね。尤も、全員腹にイチモツというクセモノが揃っているので、三浦と梶原以外にも何人かが既に鎌倉殿に内通している可能性もアリ。文覚辺り、逆に怪しそうじゃね?
次の話題はこれ。
御手洗潔「僕は女性をライバルとして対等に遇しているだけなのさ。男なら石岡、御手洗というふうに個人のレベルで語られるけど、ハンドルを握る女性がヘマでもやらかすと、それ女というものは、と女性総体の責任として語るのが人の常だ。アメリカ人、イタリア人でもなく、ガイジン、というのと同じ発想で、鎖国時代の天動説だよ。これと戦っているのも、ほかならぬ僕さ。オンナ、コドモと好んで口にするような連中に、君たち好みのフェミニストがいる」
最近は仮説を提示しただけで差別主義者だのミソジニストだのと罵られるポイズンな世の中なので、バラエティ番組の『このあとスタッフが美味しく頂きました』のテロップみたいに御手洗潔に学んだ私なりのフェミニズムを前置きしたうえで本題に入ることにします。まぁ、本題といっても主題のない諸々の雑感ですが。勿論、テーマはこれ。
一部界隈で物議を醸した新聞広告。ぶっちゃけると広告よりも騒動自体に胃もたれ感が否めません。今回の事態の推移と結論は、
① エロ過ぎる → 個人の感想ですね。
② 性的消費 → 画です。誰も消費されていません。そもそも性的消費の定義は何?
③ 犯罪を誘発する → データと法的根拠を出してね。
④ TPOガー → マナーよりもルール(表現の自由)が優先です。
でファイナルアンサーが出ていると思いますが、これってここ数年の表現規制派のクレーム事件と全く同じ流れなのよ。試しに献血ポスターとか温泉娘とかヴァーチャルユーチューバーと県警のコラボ動画とかでググッて下さい。漏れなく一致します。否認⇒怒り⇒取引⇒抑鬱⇒受容という『受容の心理プロセス』のように表現規制派への対応マニュアルとしてテキスト化しても問題ないでしょう。①と④に関しては対話の余地はあるかも知れませんが、初手から②と③のカードを切るのは一切のデータも法的根拠もなしに相手を犯罪者乃至は犯罪者予備軍と定義する=他人の人権を侵害する手合いです。こちらのエリアを侵犯されたら容赦なく迎撃しましょう、言論で。①に関しても今回の騒動で或る弁護士が、
「女性の表象の公開の適否は『性的』かどうかよりも『差別』かどうかで判断するべきで、女性の身体的特徴を過度に強調した表象は女性に対するステレオタイプを広げるもので『差別』。作者の意図に関わらず」
と清々しいまでの御気持ち優先主義を宣っておられましたが、逆にいうと過度な強調ではない=実在するサイズの表象なら差別ではない(これを差別視したら実在する人物への差別になる)でしょうからバストの世界記録177.3センチまでの巨乳描写は問題なしとのお墨付きを弁護士から頂いたともいえます。『チ〇コで障子破る描写まではセーフ理論』に近いものがありますね。ありがたいね(※バストの世界記録は諸説あります)。
まぁ、性的消費の定義以前に『創作の性的消費がアウトというなら、先に推理小説や戦争映画を取り締まれよ。あれは創作の生命消費だぞ』と指摘したいところですが、それをやると推理小説や戦争映画を規制したがるガチ勢が現れるから迂闊なことは言えません。今回の騒動で取り沙汰された『見たくない表現に触れない権利』に関しても、そんなものを安易に振りかざせたら便利には違いないけれども、その価値観の行き着く果てはどくさいスイッチということを、ドラえもんを読んだことのある方は全員理解出来ているでしょう。私も外出先のTVで玉川や橋下や宮根を見かけた時には心的不快指数が一桁あがるのも事実ですが、彼らが目に入る状況を許容するのは『表現の自由』という、より大きな自由を守るための不自由と理解しているからです。税金みたいなモンですね。勿論、発言の内容自体はクソミソに貶していますけど。
まぁ、世の中には『私は女性ですが、月曜日のたわわ広告には特に問題ないと思います』という意見を、
逆張りの『わかっている女』アピールで承認欲求と小銭を得るコバンザメ戦法
と決めつける輩がおり、しかも、そういう方が普段はジェンダーフリーやらフェミニズムやらポリコレやらを高らかに謳っているのを見た時には『どっちが女性の味方なのか』という根源的な疑問を禁じ得ず、一人悶々としている今日この頃です。そのうち、一人でエロ妄想に浸ることも性的消費と断罪される社会が来そうだな。
以上。オチも結論もありません。