『青天を衝け』第38話『栄一の嫡男』雑感(ネタバレ有) | ~ Literacy Bar ~

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※基本、ネタバレ有となっていますので、ご注意下さい。

 

 

先週の記事をアップする前後に飛び込んで来た『どうする家康』のキャスト情報。記事を書く前に情報出せとのアカラサマな逆怨みの感情を覚えなかったというと嘘になりますが、基本的に嬉しいニュースなのは間違いありません。

 

ナイーブで頼りないオタク気質なプリンス

 

という家康の設定には確かに不安を覚えますが、あの『真田丸』も当初は『今だって愛と勇気の旗を掲げてもいいんだ』という地雷臭をプンプン漂わせるキャッチコピーからの大逆転を見せてくれた訳で、現段階で決めつけてかかるのは時期尚早でしょう。実際、今年の大河ドラマでは初回で評価を決め打ちしかけて手痛い竹箆返しを食らいましたので。武田信玄が阿部寛さんというのはアレか、決め手は温泉か? 温泉なのか? これで謙信も演じたら一人川中島合戦やなぁ……え? 何? 天……地、人……? 俺の中の存在しない記憶を呼び覚ますのはやめろ。真面目な話、ダンディな阿部ちゃんが信玄を演じるとか、家康と瀬名の仲睦まじい設定とかから逆算すると、後年の信康事件では勝頼が凄まじくワリを食う筋書きになりそうな予感がしますが、そこは時代考証の平山センセの奮戦に期待します。まぁ、信長もまたぞろ時代の革命児キャラになりそうで『麒麟がくる』の視聴者としては複雑な心境ではありますが……しかし、オカジュンはあの年齢で『歴史大作のメインキャラは彼に任せれば大丈夫』という業界からの信頼を勝ち取ったのは凄いと思う。既に三成、官兵衛、土方、信長を演じているんやで? 銀幕の大御所並みのキャリアやん。今回は第一弾で話題性重視の狙いがあったと思いますが、次は徳川四天王を中心に発表希望。特に榊原康政。

また、来年の大河ドラマからも、

 

 

 

と嬉しい&意外なニュースの2連撃。きりちゃんがナレーションとか……まぁ、内ゲバとか粛清とか族滅とか不穏を画に描いた作品だからね、ピッタリだね。不穏! 大好き!

 

尤も、来期以降の情報が頻繁に発信されるということは、今季の大河ドラマも終了が近づいているということで、寂しくもあり。今週の『青天を衝け』も残り話数も見込んで本格的な『まとめ』に入った内容でした。ここからは話を広げるのではなく、畳むほうが優先されるでしょうね。内容的にも幕臣OB会とか主人公が戦争賠償金の儲け話でウッハウハとか、当時の価値観を再現していて面白かったですが、今までの描写不足でイマイチ乗り切れなかった感も拭えなかった。ここまでにもうちょい色々と深彫りしておけば、更に面白味を増した回であったと思います。やはり、後半の失速は尺短縮の影響で、本来は今回の内容が更にグッとくるような構成だったのではないでしょうか。今回のポイントは4つ。総評と下半期ベスト記事が全く片付いていないので、感想よりも雑感&ネタ弄りに近い内容になります。12月に入ってからランキング変動しそうな作品が増えるのは痛し痒しやで。

 

 

徳川昭武「もう公子ではない。齢も37だ」

 

民部公子さんじゅうななさい。

 

大河ドラマでは実年齢と離れた役柄を演じることはままありますが、とてもアラフォーには見えない民部公子さま。美魔女ならぬ魔性の美中年といったところでしょうか。ちなみに民部公子が口にしていた今回のパリ万博は『ふしぎの海のナディア』の舞台になったイベントです。NHK的にはもっとプッシュして欲しい。再放送もいいぞ!

さて、東京開市300年祭に集った旧幕臣の面々。作中では会合で幕府時代を思い返すうちに慶喜の汚名を雪ごうという機運が高まるという流れでしたが、ナレーションでも述べられていたように祭り自体を企画したのが旧幕臣でしたから、恐らくは慶喜の名誉回復の寄合・会合・談合の場を設けるために口実をデッチあげたのかも知れません。勿論、表向きにはあくまでも東京開市記念ですので大っぴらに幕府を懐かしむことは出来ないのですが、空気を読まないことに定評がある猪飼さんの『快なり!』で一瞬場が凍りつく始末。お前、ホンマそういうとこやぞ。

幕末外交を再評価する機運の高まりを感じて、オグリンやチャカポンさんを懐かしむヒソカをはじめとした旧幕臣たち。まぁ、オグリンは話数削減の影響で描写不足の感は否めないものの、一応有能キャラとして描かれていたからヒソカたちの評価も納得ですが、チャカポンさんに関しては異論アリ。本作のチャカポンさん、あんま扱いよくなかったじゃん。可哀想キャラではあったけれども有能キャラではなかったですね。あと、幕末政治の再評価というのでしたら、そろそろ誰か高島秋帆を思い出してあげて下さい。

 

 

井上馨「よし、ここの商品全て頂こう!」

 

男・井上馨、200円でバザーの商品を買い占める。明治二十年代の200円は現在の貨幣価値に換算すると凡そ400万円である(CV:古谷徹)。モノ買うってレベルじゃねー気風のよさですが、他ならぬ聞多さんのことですから、金額以上にカネの出どころが気になってしまいました。そもそも、主催者が嫁という時点でバザーに大金をブッ込んでから、家で嫁に頭を下げて払い戻して貰う可能性も否定出来ません。コイツは臭ェーッ! マネロンの匂いがプンプンするぜェーッ! まぁ、聞多さんは日頃の行いがあるからね、下衆な勘繰りを受けるのも仕方ないね。政治家関係の話では視聴者の知らないうちに大隈の足がブッ飛んでいたのが地味にショック。折角、大隈をプッシュしてきたのですから、そこは描いたれよ。大倉孝二さんのリアクション見たかったのに。まぁ、主人公は、

 

渋沢栄一「私は一生政治に関わらぬと決めておるのに勝手に(貴族院議員に)選ばれて困ったものだ」

 

と政治家なんざクソくらえ的価値観の持主なので、やむを得ないのかも知れませんが。ちなみに栄一と同時期に貴族院議員に選ばれた中に山川浩がいますが、こちらは衆議院選挙で落選してからの貴族院での勅任という流れでした。栄一の愚痴を聞いたら『贅沢いうな』とキレ散らかしそう。

 

 

穂積陳重「篤二君の学校ですが……熊本の第五高等中学校に決めたい、と」

渋沢栄一「教師は一流ではあるが……何故だ?」

穂積陳重「私たちの不徳の致すところではありますが、何度厳しく注意しても篤二君の遊び癖が抜けません。歌子も困り果てている。一度、生活を変えてみては如何かと思うんです」

 

尚、この時期に熊本第五高等中学校に赴任していたのは我らがアヘアヘ金欠ウホウホ借金おじさんこと嘉納治五郎です。この御方が在籍していた熊本の学校に飛ばされても素行が改まらなかったことを考えると、少なくとも篤二に関しては『格闘技は人格形成のために有効な手段』なんて現代の某保守政党が掲げた教育政策は非現実的な戯言であることがはっきりわかんだね。というか、放蕩は兎も角、栄一が女性関係について息子に説教できないのと同じく、治五郎おじさんも浪費に関しては教え子に大きな口を叩けなかったのかも知れません。結局、素行は収まらないままに実家での謹慎を余儀なくされる篤二君。栄一との面会が許されなかった件については、

 

阪谷琴子「篤二さん、父様は貴方を愛しているからこそ、面会をお許しにならなかったのよ」

 

と前向きな解釈で慰めてくれる琴子さんですが、大河ドラマ的には関ケ原の戦いに遅参した秀忠に対する家康を思い浮かべた視聴者も多いのではないでしょうか。たわけうつけまぬけ定期(これは大坂の陣の台詞ですが)

尤も、篤二君の素行が荒れた原因の一つが養母・千代の死に起因していたという筋書きは面白いし、納得出来ました。栄一が『善行を施せばかっさまはよくなる』と篤二に草むしりをさせたのに、結局、千代さんは帰らぬ人になってしまった訳で、篤二君が神は死んだとニーチェ的虚無主義に陥ってしまったのも仕方ないことかも知れません。ただ、栄一は千代さんをコレラで亡くした悲しみを水道管に国産製品よりも安全性を重視した舶来品を推すことで建設的な方向に活かしているのに対して、篤二君は周囲のプレッシャーもあり、どうにも前向きになれないのでしょう。

 

 

渋沢栄一「貴方様を世に知らしめたい」

 

幕末史見直しの総決算として、野ブタならぬ豚一をプロデュースしようとする栄一。橋本左内といい、渋沢栄一といい、ヨイショ本を作られることに定評がある慶喜さん。謹慎中の慶喜は趣味の絵画でも人物画には滅多に手を出さなかった(実在の人物を描くことで政治的拡大解釈を避けたかった?)ように、誤解や斟酌を招くことは極力避けてきました。栄一が政治向きの話をする度にガン無視する場面もありましたね。ただ、慶喜本人は『俺が耐えれば済む』と思えても、幕府に尽力した家臣たちは納得いかないのも事実。栄一たちの運動は慶喜個人ではなく、幕臣全体の名誉回復を狙ったものでもあったと思います。

実際、現代社会でも前の世代の価値観を全否定すれば、自分たちは正しくいられると思い込んでいる連中はゴロゴロ存在する訳で、

 

渋沢栄一「俺が気に入らんのは御前様が幕府の終わりになさった数々のご偉業まで、まるでなかったことのように消し去られ、押し込められ、そこに別の輩がどんどんと現れて、己こそが日本を作ったというような顔をしておることだ」

 

という台詞は彼らに対する強烈なアンチテーゼとして認識されるべきでしょう。維新の集大成と本作の集大成が慶喜の再評価という点で軌を一にするという構成も素晴らしいですね。ただ、残念なのは作中で慶喜がそれほど有能に描かれたシーンがなかったこと。作中で慶喜本人がグチを零していたように周囲の人間に寄ってたかって祀りあげられた世慣れぬ武家貴族のお坊ちゃんというイメージが先行していたように思います。それはそれで一つの解釈ですが、幕府政策の再評価をラストの主題に据えるなら、そこは計画的に描写をしておいて欲しかった。残念。

個人的には栄一の名演説よりも、未だに慶喜が新政府に警戒されていると知った喜作が、

 

渋沢喜作「俺は御前様が朝廷と戦う気など一切お持ちでなかったことをよ〜く知っておる!」

 

というスゲー逆説的な説得力のある言葉で憤慨するシーンで腹の皮が捩れました。イヤミか貴様! まぁ、確かに『俺たちの旗頭になって下さい』という成一郎時代の喜作の要請をガン無視したけれどもさぁ。喜作本人には弁護のつもりが壮絶な当て擦りになっているという自覚はなさそう。だが、それがいい。

 

あ、来週は休む可能性高いです、悪しからず。