『修羅の門 第弐門』第44話感想(ネタバレ有) | ~ Literacy Bar ~

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陸奥九十九「陸奥圓明流千年の歴史に、敗北の二字は無い」

物語

陸奥九十九の決め台詞が連載再開4年目にして復活です。まぁ、この如何にも少年漫画チックな台詞は序盤がメインで後半になると殆ど使われなくなっていましたが、それでも、これで漸く、陸奥九十九の真の帰還といえるのではないでしょうか。九十九がケンシン・マエダに負けていないのを完全に思い出したゆえの台詞=九十九の自分探しの戦いが終わり、陸奥圓明流を自分の代で終わらせる戦いが再開されるということですからね。第壱門の冒頭に戻ったともいえます。第弐門序盤で山田さんが『陸奥の戦いは零から始まる』といっていましたが、今回で零から一になったんじゃないでしょうか。今回のポイントは9つ。多いな。

1.姜子牙

ストーリー的に殆ど放置プレイ状態の姜子牙。誰か構ってやれよ。カウンターの高速発勁を出した態勢のままで先回からとまっているので、このまま次回になだれ込むと某キン肉マンの連載再開時のように身体が固まってしまっているかも知れません。今回は44話なので3話で1巻分になるコミックスの編成を考えると次回=45話で決着の可能性も出てきました。彼の艶姿を見られるのも@僅かの可能性大。

2.ケンシン・マエダ戦

実質、今回のメインイベント。全体として短目の印象ですね。まぁ、回想主体なので長過ぎてもアレなんですが、イグナシオ戦の五ヶ月という長さに比べると物足りなさを禁じ得ない。いや、もしかして、再登場&再戦あるのか。個人的にはトドメは刺されなかったものの、あのまま戦場で放置されたら死んでいるんじゃないかと思えるんですが。戦いの詳細は以下の通り。

2-1.驚愕

ケンシン・マエダ「硬い……なぁ。なんてぇ腹筋だ」

カウンターでボディブローを入れたにも拘わらず、当てたほうの拳のほうが軋む九十九の腹筋。『金剛』かとも思いましたが、流石に九十九も始終使っていられるワケではないので、これはナチュラルなフィジカルの強さでしょう。当身と組技の融合を目指した前田家とはいえ、打撃の攻撃力と耐久力となると陸奥の土俵。しかし、自分の拳では倒しきれないという認識が後述の危険な投げに繋がったと思いますので、満更、無意味な攻撃ではなかったり。

2-2.顔面

ケンシン・マエダ「人は顔面を反射的に護ろうとする……なのに、顔面を叩きつけられるまで腕十字を外さない。それが陸奥の人に非ざるところ……か」

これはケンシン・マエダ戦のみならず、姜子牙戦にも繋がる描写。頭部であっても時にガードせずとも戦える身体と精神のタフネスさが陸奥の強み。カウンターの高速発勁をアゴに食らっても倒れなかった姜子牙戦のエクスキューズだと思いました。そして、打撃に対する脅威のタフネスさを誇る陸奥を倒すには絞め技が最も有効。身体は鍛えられても頸動脈を鍛えることはできない。これはジム・ライアン戦でも語られていましたね。もっと早く九十九が記憶を取り戻していれば、ジム・ライアン戦であんなに苦戦することはなかった……いや、素の九十九でも敢えてライアンの肉の壁に挑んだかも知れません。そういう奴だし。

2-3.岩

ケンシン・マエダ「言ったろう。利も不利も使い方しだいの大地だと」

ケンシン・マエダの秘技は両腕を掴んでの変形の河津落としでした。地味。恐ろしく地味。しかし、本編の世界観では地味な技ほど恐ろしいというのも真実です。ちなみに講道館ルールでは禁じ手に分類されています。この点は、

道を踏み外さなければ陸奥には勝てない

という西郷四郎の体験談&前田光世の選択が反映されているのでしょう。グッドチョイスです。
そのうえ、九十九の後頭部を落としたのは岩の上。これはエグイ。しかし、上記の台詞通り、ケンシン・マエダは地面の使い方を解説済なので卑怯でも何でもありません。忘れていた九十九が悪い。きばっちの神威もどきの頭突きにも耐えた九十九の頭部でしたが、きばっちはで今回はなので、耐えられなかったのでしょう。逆にいえば、今回の岩を喰らった経験があったから、きばっちの頭突きに耐えられたのかもです。

陸奥九十九「一度喰らってなければ……あるいは……『いってた』かな」

という舞子パパへの台詞は是非、きばっちにも送ってあげて下さい。

2-4.地味

地味で危険な変形河津落としに続く攻撃は胴締めスリーパー。これも恐ろしく地味。しかし、本編の世界観では地味な技h【以下省略】。焦った九十九は躊躇いなしにケンシン・マエダの左目に指を突っ込みますが効果なし。有効な戦術には違いないんですが、ケンシン・マエダが全く動じなかったので、九十九の意外な小物感が目立った場面でした。まぁ、それほどにヤバかったということでしょう。構図としてはイグナシオ戦と真逆になるのかな。イグナシオは正統派の空手家なので未遂に終わりましたが、飛田は『陸奥は目に指を突っ込まれても顔色一つ変えずに絞め続けたと思う』と解説していたので、それを見ていれば九十九もムダな攻撃はしなかったかも知れません。自分の試合はVTRで確認しておきましょう。

2-5.フラグ

ケンシン・マエダ「陸奥に勝ちきるに必要な事。それは最後に立たせないことだ。立っていなければ四門とやらも開けられない」
山田さん「終わってもいないのにそういう事言うの……最近じゃフラグっていうんですよ」


見事にフラグをぶっ立ててしまったケンシン・マエダ。戦闘内容は兎も角、物語の登場人物としては絶対に避けるべき台詞を口にしてしまいました。深夜アニメでも見て勉強しましょう。でも、ケンシン・マエダが『ひめゴト』とか見ている姿は想像したくない。
真面目な話、ケンシン・マエダの判断は半分正しくて、半分間違っていたと思います。確かに四門の際に発生する分身残像は脅威ですが、あれは四門を開く際に解放したパワーが起こす派生現象であって、大事なのはパワーそのもの。3人もの分身残像を作り出すパワーを如何に自分の土俵の寝技とはいえ、抑え込めると思い込んだのがそもそも間違い。素の九十九でさえ、飛田高明のインペリアルホールドを外し、イグナシオのパワーを封じたのですからね。九十九に勝つには一瞬でキめて落とすことを第一義に考えるべきでした。でも、ケンシン・マエダは『静流さんに免じて無理にトドメは刺さん』という姿勢で戦っていたので、直接的に生命に関わる攻撃はやらなかったのかもです。胴締めスリーパーも絞め殺すというよりも、駄々をこねる子供を抑え込むような感じにも見えなくもなかったし。

2-6.解放

ケンシン・マエダ「陸奥の強さは……ゴホ……本当に底がないんだな」

遂に発動した3つ目の四神『白虎』。『朱雀』は比較的オーソドックスな攻撃でしたが、レオン戦で発動した『玄武』は両腕が使えない状態でも放てる技。今回の『白虎』は寝技でも使える打撃でした。四神は追い詰められた状態からでも逆転することを想定した技といえるでしょう。ケンシン・マエダがいう『底がない』というのはあらゆる事態に対応できる奥義があるという意味ですかね。
その『白虎』。片足タックルを仕掛けてきた相手の首をフリーの足で絡め取り、動きを封じたうえで両脇腹を貫手で抉るという極めて地味なもの。しかし、本編の世界観では地m【以下省略】。本編では『神威』が片足タックルからのマウントを封じる圓明流の対近代総合格闘技の秘技と思われていましたが、既に『白虎』があったワケですか。これ使っていたら、ボルトも瞬殺でしょう。まぁ、次のジム・ライアン戦は戦えないのでアレですが、上記の総合格闘技への対策は実は昔から確立されていたということですね。確かに陸奥の強さには底がない。

2-7.怖かった

ケンシン・マエダ「たのしかった……な」
陸奥九十九「いや、怖かっただけだ」


レオン戦のように相手が殺す気で挑んできても心の奥底では楽しいと思えるのが九十九ですが、ケンシン・マエダ戦では恐怖のみが残ったようです。これは不破北斗以来かな。あれも楽しんでいるような戦いではなかったので。
一つには西郷四郎~前田光世と続く柔術の系譜が圓明流に並んだという意味でしょうか。恐怖のみの戦いは北斗戦くらいなので、その圓明流同士の戦いに伍するものがケンシン・マエダにはあったという意味あいかと。もう一つはケンシン・マエダそのものの強さ。意外と九十九ってベストコンディションでラスボスと戦ったことはないんですよね。その辺が九十九の中では自覚のない舐めプみたいな快感になっていたのかも知れないけれども、ケンシン・マエダとの戦いは五体満足の状態から瀕死まで持っていかれた初めての経験なので、これは純粋に怖かったのでしょう。九十九の屈辱的本気初体験とでもいいますか。

2-8.生死

陸奥九十九「じゃあ……な。死ぬなよ……おっさん」

『無理にトドメは刺さん』と言い放ったケンシン・マエダの御株を奪うようにトドメを刺さずに去った九十九。まぁ、先述のようにあの状態で戦場に放置されれば死ぬしかないんじゃないかと思えますが、相手の戦闘姿勢に応じて対応するのは陸奥の基本なので、これはこれでアリかと。スポーツにはスポーツで。本気には本気で。殺意には殺意で。反則には反則で。これが陸奥のスタイル。
尤も、これだと『父殺し』の点で姜子牙に及ばないことになっちゃうのが意外でした。姜子牙は呂凱殺しで『兄殺し』と『父殺し』を同時に完遂しましたが、九十九のほうは冬弥の『兄殺し』のみ。これが地味にラストバトルを揺るがさないといいのですが。
ケンシン・マエダの生死ですが、これ以降は本編に関わりなくなるかも知れません。『白虎』を放ってまで倒した相手に無理に再戦を挑まれても困りますしね。姜子牙戦後、もう一度現地を訪れた九十九が見たのは地面に残されたケンシン・マエダの服のみで、その生死は不明というのが一番収まりがいいかと思います。九十九に片目を奪われた者同士、ウェガリーとツルんで傭兵家業に精を出すのも悪くないでしょう。残る問題は舞子の帯。今回の内容を見るかぎり、戦闘中に帯をなくした描写はないので、マッイイツォが失くしたのは確定的に明らか。これが回収されるか、それとも、新生・九十九を描くうえで敢えて放置するのかが気になります。

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