『独眼竜政宗』第4回『元服』簡易感想(ネタバレ有) | ~ Literacy Bar ~

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※基本、ネタバレ有となっていますので、ご注意下さい。

もう、前置きなしで記事を書きたいほどに面白いので、すぐに感想に入ります。今回のポイントは4つ。


1.アバンタイトル


薀蓄で知られる本作のアバンタイトルでも特に有名なのが今回のネタ。秀吉・家康・政宗の年齢差を王・長嶋・清原で例えるとはなぁ。判りやすいし、面白い。リアルタイムで見ていた方は成程と思ったのではないでしょうか。本編には挟みにくい説明や薀蓄を堂々と盛り込めるのがアバンタイトルの便利な点。尚、政宗に例えられた清原は(主にドラフト関係の)悲運のルーキーという当時にイメージとは程遠いキャラクターになってしまいました。現在の暴れん坊っぷりはガチで政宗と被る。ここまで読んでアバンタイトルを作成したとすれば天才。ちなみに上記三人の年齢差をプロレスラーで計算すると概ね馬場・猪木・秋山になります。ふた昔前のプヲタにはこちらのほうが判りやすいかも。


2.本音と建て前


台詞の持つリアリティの要素については何度か記事で述べましたが、今回は本音と建て前について。凡そ、社会人たるもの、上司や同僚(場合によっては部下)に対して、思っていることをストレートに口に出したりしません。状況に応じて言葉を選ぶ。これが生きた台詞を生む秘訣。まずは輝宗とお東の方。寝床では『竺丸生まれたんで梵天丸は仏門に入れればいーじゃん』とかぶっちゃけるにも程があるトークをかますお東の方でも、いざ、梵天丸改め藤次郎の元服の際には流石に言葉を選ぶ。『武将の子は辛いよ? 本当にそれでいいの?』と本音は反対だなと何とな~く周囲には伝わる言葉を使いながらも、肝心の点は口に出さない。ギリギリのラインで踏みとどまる。そして、水晶の数珠を授けて『辛い時はこれをママンとお思い! ママンは何時でも藤次郎の味方よ!』と励ます。これが大人の会話だよな、うん。

逆にいうと本音と建て前を使い分けなくていい間柄というのは相当に信頼関係が構築されているという証明でもあります。本作でいえば上記の輝宗とお東の方。そして、藤次郎と喜多がそれですね。前半の我儘梵天丸から元服を経て、落馬事故も自分の不注意といえるほどに成長した藤次郎ですが、嫁取りとなると自分の隻眼が気になる。輝宗にも相談しなかった不安を告げた相手は喜多一人。周囲に言わないことを誰に言うかで、キャラ同士の距離感を描くワケですよ。更に邪推すると藤次郎に本音で接しなかったお東の方は既に息子に隔意が生まれているとも取れるんじゃないかと。


3.伊達流へそ曲がり


虎哉さんの元で着々と学問を積んでいく主人公。『痛い時には痛くないといえ!』というへそ曲がりの教えは後年の政宗の言動もあるでしょうが、一つには『人の上に立つ者は簡単に本音を漏らしてはいけない』という教えなんでしょうね。実際、権力者が矢鱈と感情を爆発させては自分も周囲も困る。へそ曲がりの教えは虎哉さんなりのノーブレス・オブリージュの薫陶なのかも。まぁ、教えが過ぎて、へそ曲がりの域に留まるどころか戦国一のDQN厨二病患者になっちゃうんですが。尚、左月に死罪だと脅された時の、


虎哉宗乙「死罪結構! ただし、火焙りの刑だけは御免蒙りたい。わしゃ、熱がりなのでのぅ」アーッハハハハハッ!


あー、これは師匠ネタですわ。安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し。師匠は熱いのは平気(?)なのに、弟子は苦手(?)というのは何ともイキな対比です。まぁ、この時点では師匠は存命中なんですけどね。


4.政略結婚


今回の肝は元服よりも寧ろ、藤次郎の嫁取りに至る経緯。いやー、見応えあったわー。大抵の歴史劇では政略結婚の悲劇は描かれても、じゃあ、何でそんなことをしていたかについては殆ど踏み込まない。大抵は『それが戦国の慣い』の一言で悲劇的に片づけてしまう。それは非常に判りやすい表現ですけれども、その分、物事の本質から遠ざかっている。政略結婚は単なる因襲じゃない。必要性があるから行われていた。


誰と誰が如何なる思惑で姻戚となるのか。


これを描かない作品が続くと『政略結婚なんて馬鹿げた習慣よねー。アテクシが作品の中で彼女たちの本音を代弁してあげるわ』 とかいう馬鹿が出てくることになる。この辺は昨年、一昨年も因襲としては描けてても、必要性&必然性は等閑でした。その意味では本作の再放送は時宜を得ているんじゃないかと。

小国・田村の姫御を受け入れるか否か。この一事だけで奥州全土、或いは越後、常陸近辺までをも含んだパワーバランスが変わる。田村を庇護することは相馬・芦名を敵に回すことではあるが、同時に彼らと対決する時の大義名分にもなる。更には地政学的なメリット、デメリット。こうした諸条件を重臣たちに評議させたうえで輝宗が決断を下す。政略結婚とは単なる悲劇じゃない。文字通りの政治の一環なんだというのを見事に描ききりました。そうであるからこそ、直後のお東の方のちょっとやり過ぎなんじゃねーかと思えるほどのボーゼンっぷりも際立つんですよ。そして、梵天丸は私の手を離れてしまった&私には竺丸しかいないという方向に暴走する伏線になるんですよ。それが最終的にアレの事件にも繋がる。先回と同じように今回もアレの事件に帰結するネタで〆とか、計算された脚本にも程があるだろ。

何より、一番すげーのは肝心の愛姫が影も形も出てこなかったことだよね。結婚する相手とは祝言まで一度も顔を見ないという当時の風習を台詞やシチュエーションではなく、画で視聴者に伝える。それも、映すのではなく、映さないことでね。


他にも左月の対応の仕方で伊達家中の序列を描いたりとか、色々と触れたいことは山ほどあるのですが、明日も仕事なのでこの辺で。マジで日曜日休みに戻して貰えるように会社に掛けあってみるかな、せめて、一年間だけでも。


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